幸せは目の前にある|探しものは、探すのを辞めたときに見つかる
♪探すのをやめた時
見つかる事もよくある話で♪
何者かになるのを辞めたとき、何者かになっているのかもしれません。
何者にもならないということを辞めたとき、何者でもない『私』になれているのかもしれません。
今日は『幸せは目の前にある|探しものは、探すのを辞めたときに見つかる』と題して、幸せは目の前にあるについて考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
幸せは目の前にある|探しものは、探すのを辞めたときに見つかる
”何者にもならない者”になろうとしない
「何者にもならない」
生きている、
ただそれだけですでに
「何者かである」
これは、毎朝7時に配信している、メルマガの冒頭に書いてあるメッセージです。
メルマガをはじめて5年になりますが、はじめたときから、このメッセージは冒頭を飾っています。
深い言葉ですが、最初に書いたときには、自分で書いておきながら、この言葉の深さをわかっていなかったと今更ながら思います。
『何者にもならない』
これは探求の答えになりうる言葉です。
ですが、この言葉が私たちを迷わせます。
『何者にもならない』ということをすれば、何かにたどり着けるという誤解を与えてしまうからです。
”何者にもならない者”になろうとしてしまうからです。
なろうとしている間はなれないのです。
言葉を聞いてはいけません。
言葉通りにしていては、いつまでもたどり着けません。
答えは、言葉が指し示すものであって、言葉ではないからです。
何もしていない姿が『素敵な人』
ともいきにもお約束があります。
『私がそう聞いた』
『素敵な人になると決める』
『自分に素直に正直に』
とても大切なお約束であり、実践項目です。
このお約束を実践することはとても大切で、とてもいいことです。
それだけで二元の世界では幸せに生きるヒントになります。
ですが、本当に伝えたいことはお約束ではありません。
お約束を実践することで形つくられる心であり姿です。
お約束は言葉で伝えられるギリギリのものです。
実践することは大切なことですが、『実践する者』であることがゴールではありません。
『素敵な人になると決める』者になることではなく『素敵な人』で在ることです。
何もしていない姿が『素敵な人』で在るということです。
素直になろうとしていない姿が素直であることです。
これも言葉で伝えられるギリギリです。
これでも誤解があるかもしれません。『素敵な人で在る』者になろうとすることがゴールだと思ってしまうかもしれないからです。
言葉に囚われないでください。言葉はすべてを表すことは出来ません。
ですが、言葉を通して、実践を通してしか伝えることが出来ません。
探しものは、探すのを辞めたときに見つかる
もう10年以上前ですが、ある講演を聞きに行って、その時の講師が『感謝というのはするものではない』と言っていたのを今でも憶えています。
感謝とはするものではなく内側から湧き上がってくる思いのことだと。
感謝で生きるものだというような意味のことを言っていました。
寝ても感謝。起きても感謝。一歩歩くごとに感謝。
自分が感謝そのものになることだと。
感謝をしようと思っているときは、まだ感謝になっていないわけです。
最初は『感謝をしよう』でいいのです。
ですが、いつまでもそれでは十分ではありません。
感謝をしようと思わなくても感謝で生きている。生きている姿が感謝であるという状態にならなければ感謝が身についたとはいえないのです。
なろうとするのではなくて在ることです。
幸せになろうとするのではなく、幸せで在ることです。
どこかに正解やゴールや達成や成功があるのではないのです。
すべては今ここにあるのです。
何者かになることで、幸せになれると信じている人は、『今ここ』ではないどこかに探しに行きます。
幸せは今ここでなるものなので、探しているうちは見つかりません。
『何者にもならない』ということが身についたとき、幸せは『今ここ』、目の前にあることに気づくことが出来るのです。
探しものは、探すのを辞めたときに見つかるのです。
幸せは目の前にある|探しものは、探すのを辞めたときに見つかるのまとめ
今日は『幸せは目の前にある|探しものは、探すのを辞めたときに見つかる』と題して、幸せは目の前にあるについて考えました。
”何者にもならない者”になろうとしない
『何者にもならない』ということをすれば、何かにたどり着けるという誤解を与えてしまうからです。
”何者にもならない者”になろうとしてしまうからです。
なろうとしている間はなれないのです。
何もしていない姿が『素敵な人』
実践することは大切なことですが、『実践する者』であることがゴールではありません。
『素敵な人になると決める』者になることではなく『素敵な人』で在ることです。
何もしていない姿が『素敵な人』で在るということです。
素直になろうとしていない姿が素直であることです。
探しものは、探すのを辞めたときに見つかる
幸せは今ここでなるものなので、探しているうちは見つかりません。
『何者にもならない』ということが身についたとき、幸せは『今ここ』、目の前にあることに気づくことが出来るのです。
探しものは、探すのを辞めたときに見つかるのです。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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