過去の自分に縛られず、今自分が正しいと思うものにコミットする
『お天道様はすべてお見通しだ』
悪事を働いてもお見通しだし、自分に嘘をついてもお見通してです。
お天道様は自分が知っているのと同じだけ知っています。
つまり、嘘はつけないのです。
そしてお天道様とは自分のことなのです。
今日は『過去の自分に縛られず、今自分が正しいと思うものにコミットする』と題して、今自分が正しいと思うものにコミットするについて考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
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そして、
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奇跡を感じている
くろちゃんです。
過去の自分にも縛られず、今自分が正しいと思うものにコミットする
お天道様はお見通し
目に見えぬ神にむかひて恥ざるは人の心のまことなりけり
明治天皇 御製
これは明治天皇の御製(ぎょせい)です。
御製とは天皇がお詠みになった和歌のことを御製といいます。
神様は目に見えない存在だけども、神様にはすべてお見通しである。
その神様に恥ずかしくない行為をすることこそ誠の心である。
という意味です。
まったく同じ意味のことをApple創業者スティーブ・ジョブズも言っています。
偉大な大工は、誰も見ないからといって、床裏にひどい木材を使ったりはしない。
- スティーブ・ジョブズ -
昔から『お天道様はお見通しだ』と言われて育ちました。
今の子はどうなのでしょう?(笑)
お天道様というのは天照大御神(あまてらすおおみかみ)のことです。
つまり神様のこと。
そして神様とは、何を隠そう自分のことです。
誰も見ていなくても自分は見ています。
その自分に恥ずかしくない行為をすることが誠の心であると、明治天皇もジョブズも言っているのです。
昔の日本人は自然と共に生きていました。
八百万(やおよろず)の神といって、すべてのものに神が宿っていると考えました。
”すべて”ですから自然現象さえも神だと考えたわけです。
災害が起こったら、それは悪いことをした報いだと考えたのです。
そして私たち人間も自然の一部ですから、神はそれぞれの『心』の中に在ります。
だから、神様はすべてお見通しなのです。
誰もみていないからといって、自分にとって恥ずかしい行為をしたなら必ずその報いがあるのです。
一番の報いは何か?
一番の報いは何か?というと、それは『自分に嘘をついた』ことによる”心の傷”です。
あまりに、この傷が多いと、自分のことが信じられなくなります。
人間には、『一貫性とコミットメント』という心理作用があります。
一度心に決めたことや実行したことと矛盾のない行為を今後も取ろうとしてしまうのです。
誰も見ていないからと、一度床裏にひどい材木を使ってしまうと、その行為に矛盾がないように、床裏にはひどい材木を使い続けてしまうのです。
しかし、本当は良くないことだと思っているとしたら、ひどい材木を使う度に心に傷を重ねていくのです。
そして、自分もしているのだから他人もきっとそうだと思うようになり、他人のことも信じられなくなります。
自分を信じられない人は他人のことも信じられないのです。
今自分が正しいと思うものにコミットする
このお話とセットで考えないといけないと思うのは、誠の心、自分に恥じぬ行為とは何か?ということです。
誤解を恐れずにいうと、それは法律を守るとかルールを守るということでは必ずしもないということです。
たとえ法律がそうだとしても人の命には代えられないという場合もあるでしょう。
法律やルールは万能ではありません。
その時代の価値観や常識という枠の中で決められたものもあります。
では、自分に恥じぬ行為とは何か?、自分の信念に嘘をつかないということです。
たとえ、それが他人とは違う意見だったとしても自分の信じた行為をすることです。
ですが、もし他人の意見が良いと思ったなら、それにも嘘をつかないことです。
先ほども言いましが人間には『一貫性とコミットメント』という心理作用があります。
他人の意見が良いと思ったとしても、なかなか自分の考えを曲げられないものです。
なのに他人の考えは変えたがりますけど・・・。
つまり、過去こうだった、ああだったではなく、今どうなのか?にコミットするということです。
過去の自分にも縛られない。
たとえ、過去に間違った行為をしてしまったとしても、今自分が正しいと思うものにコミットするのです。
過去の自分に縛られず、今自分が正しいと思うものにコミットするのまとめ
今日は『過去の自分に縛られず、今自分が正しいと思うものにコミットする』と題して、今自分が正しいと思うものにコミットするについて考えました。
お天道様はお見通し
神様は目に見えない存在だけども、神様にはすべてお見通しである。
その神様に恥ずかしくない行為をすることこそ誠の心である。
一番の報いは何か?
一番の報いは何か?というと、それは『自分に嘘をついた』ことによる”心の傷”です。
あまりに、この傷が多いと、自分のことが信じられなくなります。
今自分が正しいと思うものにコミットする
過去こうだった、ああだったではなく、今どうなのか?にコミットするということです。
過去の自分にも縛られない。
たとえ、過去に間違った行為をしてしまったとしても、今自分が正しいと思うものにコミットするのです。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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