事実とは何か?|人生とは今日一日のことである
時間の見方、解釈が一変するかもしれない話をします。
過去や未来は何なのか?
事実とは?
私たちは今この瞬間を生きなければいけないのです。
今日は『事実とは何か?|人生とは今日一日のことである』と題して、今この瞬間を生きることについて考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
事実とは何か?|人生とは今日一日のことである
事実とは何か?
突然、変な話をしますが、子どもの頃に経験したと記憶しているけど冷静に考えたらそんなことあるのかな?と思うような記憶ってありませんか?
僕には2つあって、ひとつは小学校低学年くらいのときだと記憶してるんですが、友だちの家に遊びに行ったら、2ドアの冷蔵庫の上のドアに、ドア1面くらいの大きな蜘蛛がピタッと貼り付いていたという記憶があるんです。
記憶は完全に断片的で、その前もその後もまったく覚えていません。
退治したとか追い払ったという記憶もありません。
もうひとつは、これも小学校低学年くらいだったと思うのですが、どこか田舎の総合病院みたいなところに、誰かのお見舞いに行ってたんです。
その病院の駐車場で10匹以上の野犬に取り囲まれたという記憶があるんです。
砂利の駐車場で、漫画『流れ星銀牙』に出てくるような犬たちに取り囲まれているんです。
蜘蛛の件と同じで前後の記憶はまったくありません。
確かに断片的ですが、かなり鮮明に記憶としてあるんですが、今考えるとそんなこと本当にあるんだろうか?夢だったのかな?と思うことがあります。
間違いないのは、そんなことがあったと信じているということです。
ここからが本題ですが、それと、最近起こった事実と思しきものと何が違うのか?ということです。
確かに最近起こったことというのは、記憶も新鮮ですし、同じ出来事を共有している人たちもいて、間違いのない事実だと思えます。
しかし、誰もがご存知のように記憶というのは実に不確かなもので、10年前のことでもかなり正確に憶えていることもあれば、ついさっきのことを忘れてしまったということも珍しくありません。
過去の記憶というのは実際にあった事実というよりも、そうだったと信じていることに過ぎないのかもしれません。
そして未来についても同じことが言えます。
こうなるだろうと信じていることです。
(きっと)明日は○○をしているだろう。10年後には○○になっている。
そう信じていることで、しかし、これは当てになりません。
今晩寝ている間に心筋梗塞などで突然死するかもしれません。
過去も未来も私たちの肌感覚では、実際にあった過去、未だ起こっていない未来と、相反するものだという捉え方をしていることがほとんどだと思いますが、見方を変えると、自分が信じていること、今以外のことという意味においては同じ性質のものだと言えると思います。
実際にあった過去といっても前段書いたように記憶は実に当てになりません。
また、起こった出来事は事実(ひとつ)でも人によってその解釈も違えば、記憶違いや注目している点が違って記憶している部分も違います。
ですから、あったこととこれから起こることという思い込みというか、概念から解放されると、単に自分が信じていることに過ぎないのではないかと思えるのです。
そして、私たちは、自分で自覚している以上に過去や未来、自分が信じていることに縛られて生きています。
良いことも悪いこともです。
人生とは今日一日のことである
ここまでの話で何が言いたいかというと、間違いがないのは今この瞬間だけであるということです。
こんな話を聞きました。
『今日一日禁酒』という話です。
毎晩晩酌をするのが日課である酒飲みの男が禁酒の話を聞いて、とても納得して、お話をしてくれた先生に今日から禁酒しますと言ったそうです。
そしたら先生は『今日一日禁酒』ということを言ったそうです。
男は一日だけ禁酒すればいいんですかと。
それなら簡単だと喜んだそうです。
そして、その日の0時が近づくと、明日になったらやっとお酒が飲めると思って、ビールをグラスに注いで今か今か待っていたそうです。
5・4・3・2・1、ピンと0時になった瞬間に、なんと『今日』になったんですね。
そうか!と。『今日一日禁酒』というのは一生禁酒ということだったんだと男は気づいたというのです。
私たちは、今日を生きているから明日があります。
今が今日だから、明日を明日と呼んでいますが、明日になったら、そのときはまた今日で、次の日のことをまた明日と呼びます。
ですから今日一日を大切に生きることは明日も大切に生きるということなんですね。
デール・カーネギーは『人生とは今日一日のことである』と言いました。
過去も未来も自分が信じていることでしかありません。
1秒先は未来だし、1秒前は過去です。
だとすると間違いがないのは今この瞬間しかありません。
それは、私たちが幸せになるのは今でなければならないということを意味しています。
未来幸せになろうとしても、そう信じたとしても当てにはならないからです。
それを親鸞聖人は平生業成(へいぜいごうじょう)と言いました。
死んで極楽浄土に行くのではなくて、生きている今を極楽浄土にするということです。
そう考えて今を生きることが今ここを天国にすることだよとおっしゃっているように思えます。
信じることが悪いわけではありません。
信じていることは信じていることだし、今この瞬間が間違いのない事実だということも事実です。
どちらが良いとか悪いではなくて、私たち人間は両方を合わせ持っているというのが事実です。
それをきちんと理解して区別して、そしてうまく生かしていくことが大事なことなのです。
事実とは何か?|人生とは今日一日のことであるのまとめ
今日は『事実とは何か?|人生とは今日一日のことである』と題して、今この瞬間を生きることについて考えました。
事実とは何か?
確かに最近起こったことというのは、記憶も新鮮ですし、同じ出来事を共有している人たちもいて、間違いのない事実だと思えます。
しかし、誰もがご存知のように記憶というのは実に不確かなもので、10年前のことでもかなり正確に憶えていることもあれば、ついさっきのことを忘れてしまったということも珍しくありません。
過去の記憶というのは実際にあった事実というよりも、そうだったと信じていることに過ぎないのかもしれません。
人生とは今日一日のことである
私たちは、今日を生きているから明日があります。
今が今日だから、明日を明日と呼んでいますが、明日になったら、そのときはまた今日で、次の日のことをまた明日と言います。
ですから今日一日を生きることが大事だということなんですね。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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