他人を知るためには分析するのではなく全体を見る
ぶんせき
【分析】
《名・ス他》
物事をいくつかの要素に分け、その要素・成分・構成などを細かい点まではっきりさせること。
しかし、分析ではその人や物のすべてのことを知ることは出来ません。
今日は『他人を知るためには分析するのではなく全体を見る』と題して、他人を知るためには分析ではなく全体性を見るということについて考えます。
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今日も読んでいただき
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くろちゃんです。
他人を知るためには分析するのではなく全体を見る
分析は物事を知る手法のひとつです。
大まかに把握することは出来ますが、すべてのことがわかるわけではありません。
分析するというのはメスで切って中身を見るようなものです。
切った部分だけは詳細に確認することは出来ますが、そこから他の部分を推測しているにすぎないのです。
物質を知るためには分析は便利です。
しかし、人、生命と言った方が適切ですが、生命を分析するのは危ういですね。
分析することを最上の手法と思い込み。知りたいと思ったらなんでも分析しようとします。
生命とは全体ですから分析ではすべてを知ることは出来ないということを知るべきなのです。
その人のすべてを知るには分析は不完全
分析は対象物、人や物を切り刻むことです。
物質には出来ますが生命には出来ません。
生命は肉体と精神を合わせたものだからです。
肉体には出来ても精神には出来ませんね。
ですから人を分析することは、大まかにその人を知るには便利ですが、その人のすべてを知るには不完全なのです。
分析というのは己の知性、経験というメスで切り刻むようなものです。
己の枠にあるものに当てはめるのみです。
限界がありますよね。
分析することで人を大まかに知ることはOKですが、それに留まってはいけないということです。
謙虚さが目には見えないものを見つけさせてくれる
分析は仮です。
それが完全ではありません。
自分が分析によって知り得たものは一部分であるということを強く自覚しないといけません。
頭の良い人ほど分析したものを信じてしまいます。それが全体だと錯覚します。
自分にはまだ見えていないものがある。
その謙虚さが大事なのです。
その謙虚さが目には見えないものを見つけさせてくれます。
これで終了だと思うと、もう何も見えないのです。
これは人も物も出来事も同じです。
これ以上良い方法はないと決めてしまうと、それ以上の良いアイデアは思い浮かびません。
終わりはないのです。
他人を知るためには分析するのではなく全体を見るのまとめ
今日は『他人を知るためには分析するのではなく全体を見る』と題して、他人を知るためには分析ではなく全体性を見るということについて考えました。
他人を知るためには分析するのではなく全体を見る
生命とは全体ですから分析ではすべてを知ることは出来ないということを知るべきなのです。
その人のすべてを知るには分析は不完全
分析というのは己の知性、経験というメスで切り刻むようなものです。
己の枠にあるものに当てはめるのみです。限界がありますよね。
謙虚さが目には見えないものを見つけさせてくれる
自分にはまだ見えていないものがある。その謙虚さが大事なのです。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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