優しさの真髄|全体のために尽くす
優しさとは、全体のために尽くす人のことです。
自分の幸せは他者の幸せと繋がっています。
「今」という時間や空間を超え、人の区別もなく、すべてのために力を尽くす人が本当の優しさを持っている人です。
今日は「優しさの真髄|全体のために尽くす」と題して、優しさの真髄について考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
●優しさの真髄|全体のために尽くす
○優しさの真髄|全体のために尽くす
「優しい人」ってなんですか?
怒らない人、怒ってくれる人、褒めてくれる人、褒めるよりお礼を言う人、話を聞いてアドバイスしてくれる人、ただ何も言わず聞いてくれる人、教えてくれる人、自分で気付くまで教えない人、自分の事を1番大事にしてる人、相手の事を自分よりも大事にしてる人、悩みを聞き出そうとしてくれる人、本人が打ち明けるまで放っておく人、など…いろんな優しいを耳にしすぎて、結局優しいがなんなのか分からなくて…。優しいって正解ないんですか?みなさんが思う優しい人はなんですか?
yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11289563666)
※質問は原文ママです。
みなさん、ごきげんよう。今日もよろしくお願いします。
他の回答の中に、「自分にとって都合のいい人のことを「優しい人」と言っているだけです。」というものがありました。
確かにそうだなと思いました。
優しい人とは、こういう人であって欲しいと、くろちゃんが願っていることが、今回の回答であるということを踏まえて書いていきます。
つまり、優しい人の絶対的な定義は存在しないのです。
怒っても怒らなくても、褒めても褒めなくても、アドバイスするにしてもしないにしても・・・。そして相手が誰であろうと、自分の行動が全体のためになると信じて行動できる人が優しい人です。
ある特定の人物に向けて「優しくする」。これも優しさの場合もありますが、怪しさもあります。
実は、自分のためにやっている可能性があるからです。
相手からよく思われたいとか、周りから承認されたいという欲求があるということです。
欲求があることが悪いわけではありません。
先程、「自分の行動が全体のためになる」と書きましたが、全体の中には「自分」も入っているからです。
つまり、自分も良い、相手も良い。その周りにとっても良い。三方良しという言葉がありますが、そこまでのことを考えて行動できる人が優しい人だと思うのです。
○お釈迦さまの優しさ
度々紹介している話です。
ある朝、お釈迦さまが集会で座っていました。
ある男がお釈迦さまのもとにやってきました。 その男は熱心な神奉者で、神の存在を信じて人生を生きてきましたが、人生も残り少なくなって来て、ほんの少しだけ疑いを持ってしまったのです。
『神がいなかったとしたら、これまで神を信じて来た私の人生はなんだったのだろう?』と。この男は、人生のすべてを神に捧げてきたので、このような疑問を持ったのです。もし、一日10分だけしか神に祈らない人なら、そんな疑問を持つことはなかったでしょう。
人生のすべてを神に捧げてきた人だからこそ、このような疑問を持ったのです。神を信じることで人生を浪費しているのかもしれないと。
神を信じない人もいます。神を信じない人にも朝が来れば太陽は昇り、暖かくなれば花が咲きます。もしかすると、神を信じている私よりも信じてない人の方が良い人生を送っているかもしれないと疑問に思ったのです。
とうとう男はお釈迦さまに尋ねました。
『神はいますか?』と。
お釈迦さまはその男に力強く明確にこう言いました。「いません」と。
それを聞いていた弟子たちは、喜びで狂気しました。神がいないとしたら、自分を見張っている存在も罰を与える存在もいないということです。集会場はお祭りのようになりました。
夕方、別の男がまたお釈迦さまの元にやってきました。
その男は大変な無神論者で、どれだけ神を信じている人がいても10分も話すと神がいないことを証明しました。
その男も、一生をかけて、神がいないことをたくさんの人に説いてきたのです。
やはり人生が残り少なくなってきて、『もし本当に神がいたとしたら?私は死ぬときにどんな罰を神から与えられるのだろう?』と、自分の考えに疑いを持ってしまったのです。
その男もお釈迦さまに尋ねました。
『神はいますか?』と。
お釈迦さまは言いました。『います』と。
また騒動が起きました。
なぜ、朝と夕方でお釈迦さまはまったく反対のことを言ったのでしょう?
それは、お釈迦さまが優しい人だからです。
自分の考えを言ってもよかったはずですが、質問してきた二人に今必要な回答を告げたのです。
それは、今まで自分が信じてきた世界と別の世界を見せるための回答でした。
神がいると信じていても、いないと信じていても、それはどちらも同じことです。
自分が信じていることがすべてだと思っているという点では同じことなのです。
神がいると信じてきた人には、神がいない世界を、神はいないと信じてきた人には神がいる世界を、それぞれ見せたのです。
自分が知らない世界があることを知ることで、人は優しくなります。
二人が、これまで信じてきた世界と別の世界を見ることが二人にとって必要なことであり、それを知った二人が「優しさ」を手に入れることを願っていたのです。
○すべてのために自分の力を尽くす
目の前の人が幸せになることが、自分の幸せであり、世界の幸せです。
そのために、自分の力を尽くすことを惜しまないのが、優しい人です。
世の中のために、自分のできることをする。
世の中には、自分も目の前の人も、それ以外のすべての人が含まれています。
そして、今も昔も未来もありません。
時間や空間の区別もない。
すべてのために自分の力を尽くすことができる人が、本当に優しい人なのです。
では、ごきげんよう。さようなら。
電子書籍を出版しています。
Unlimited会員なら0円で購入できます。
ぜひ、お読みください。m(_ _)m
●優しさの真髄|全体のために尽くすのまとめ
今日は「優しさの真髄|全体のために尽くす」と題して、優しさの真髄について考えました。
○優しさの真髄|全体のために尽くす
他の回答の中に、「自分にとって都合のいい人のことを「優しい人」と言っているだけです。」というものがありました。
確かにそうだなと思いました。
優しい人とは、こういう人であって欲しいと、くろちゃんが願っていることが、今回の回答であるということを踏まえて書いていきます。
つまり、優しい人の絶対的な定義は存在しないのです。
○お釈迦さまの優しさ
なぜ、朝と夕方でお釈迦さまはまったく反対のことを言ったのでしょう?
それは、お釈迦さまが優しい人だからです。
自分の考えを言ってもよかったはずですが、質問してきた二人に今必要な回答を告げたのです。
それは、今まで自分が信じてきた世界と別の世界を見せるための回答でした。
○考えない人たち
時間や空間の区別もない。
すべてのために自分の力を尽くすことができる人が、本当に優しい人なのです。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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