自分がやりたいことをやっただけなのに怒られるのはなぜ?
自分が正しいと思うことをやったのに、相手から嫌われるということがあります。
ですが、それは当たり前といえば当たり前です。
ですが、人間はそれに苦しみます。
当たり前だと受け入れることが出来たら、ずいぶんと楽になると思うのです。
今日は『自分がやりたいことをやっただけなのに怒られるのはなぜ?』と題して、当たり前のことを受け入れるについて考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
自分がやりたいことをやっただけなのに怒られるのはなぜ?
大切にすれば大切にされる
兄の結婚式の件で義姉に嫌われています
兄の結婚式に参列する予定でしたが、同人系のイベントと重なっていてやっぱりそっちに行きたいと感じ、直前にキャンセルしました
母や兄には本当の話をして仕方ないなあ〜ということで終わり、義姉には仕事だと言っておいてほしいといったのですが、家族の誰かが口を滑らしたらしくイベント参加のことがバレていて私のことを非常識とかあり得ないと言っていたそうです
母や兄は許してくれたんですから許してほしいというのが正直な気持ちですし私はきちんと直前にはキャンセルすると言っていたのですから怒るのはお門違いだと思ってしまいます
これって私が悪いことになるんですかね
皆様も失礼だと感じますか?
yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11268663091)
みなさん、ごきげんよう。
今日もよろしくお願いします。
良いか悪いかで判断するから、このような考え方をする人がいるのかなと思いました。
良いか悪いかは人によっても違うし、良いにも程度があるし、悪いにも程度があります。
良い悪いではなく気持ちの問題でしょう。
許したといってもお兄さんやお母さんは、良いといったわけではないでしょう。
おそらく、普段の質問者さまの性格や行動を勘案して『仕方ない』と思っただけで、許したわけではないと思います。
常識というのは、時代や場所によって違うので、あまり使いたくありませんが、これはさすがに『非常識』ですね。
ですが、非常識だからいけないということもありますが、それよりも肝に銘じないといけないのは、『やったこともやらなかったことも全部自分に返ってくる』ということだと思います。
当たり前ですが、このお義姉さんにしても、お兄さんにしても、質問者さまの結婚式のときに今回のことを必ず思い出します。
もしかすると、いえ、一度は参列しない理由を探すと思います。
お義姉さんからすれば、今回のことが参列しない立派な理由にもなるでしょう。
よほどでないかぎり、参列しないということはないかもしれませんが、どうやってあのときの悔しさを晴らしてやろうかと考えるのではないでしょうか?
なので、ご自分の結婚式のときには参列してもらえない可能性があることを覚悟しなければいけません。
そのときは、もちろん悔しい思いをするでしょうし、腹が立つと思いますが、そのときにお義姉さんやお兄さんの気持ちがわかるのだと思います。
人でもモノ、何でもそうですが、大切にすれば大切にされるし、大切にしなければ大切にされません。
良いか悪いかで、良いからといって。表面的に許されたからといって、それで相手の腹立ちがおさまるわけではありません。
仮にお義姉さん以外の人、すべてが良いと言ったとしても、お義姉さんが怒るのがお門違いということではないでのす。
『嫌だ』といえば、相手から嫌な顔をされのは当たり前
いつも書くことですが、『やったこともやらなかったことも全部自分に返ってくる』のです。
たとえば、相手から嫌なことをされたとします。
ですが、相手は嫌なことをしたつもりは、きっとないですよね。
それを『嫌だ』といえば、相手から嫌な顔をされます。
これは当たり前のことなのです。
それを自分が正しいから相手が嫌な顔をするのはお門違いだと思う方がお門違いなのです。
『正しい』、『間違っている』は極めて主観的なものです。
それで人の心が動いているわけではありません。
自分が間違っているからと怒りが収まるわけではないのです。
だからと言って、嫌なモノを『嫌だ』と言ってはいけないということではありません。
そんなものだということを受け入れましょうということです。
自分は正しいことをしたのに、相手が思い通りにならないと思うと苦しくなります。
ですが、相手が思う通りにならないことが当たり前だとしたら、いい気持ちはしないにしてもそれほど苦しくならないと思うのです。
100歩譲って、今回の質問者さまの行動も、自分の人生ですから、好きな選択をすることは自由だといえば自由なのです。
その場合、自分がしたことが報いとなって返ってくることを受け入れられるのなら何の問題もないのです。
そのときになって、自分はそのとき筋を通したとか何とかいって、相手を責めてしまうと今度は自分が苦しくなるということです。
自分が相手をその程度に扱ったのですから、自分もその程度に扱われる。
それだけのことなのです。
正しいと思えば思うほど苦しい
繰り返しになりますが、『やったこともやらなかったことも全部自分に返ってくる』です。
今目の前にあることは、過去に自分がやったことが返ってきた結果です。
自分が正しいから、相手がおかしいと思うことは自由ですが、そう思うと自分が苦しむだけです。
自分が正しいと思っているように相手も自分が正しいと思っているものです。
なので、正しいからといって自分の望む通りにはならないものなのです。
むしろ、正しいと思えば思うほど、相手とのギャップに苦しむことになります。
相手が自分のことを嫌っていたら、『自分が相手に嫌われるような行動をとったのだ』と受け入れたらいいと思います。
ですが、それは自分が間違っていたということではありません。
自分は、自分が信じる選択をした。
その結果、相手から嫌われることだってあります。
そう思っている相手の気持ちを尊重してはどうでしょうか?
なので、質問者さまがお義姉さんに嫌われるのは当たり前なのです。
自分が生きてきた結果が今です。
なので、それを受け入れられるような行動をとらないと、後からそんなつもりではなかったと言っても遅いでのです。
つまり、人生は他人のせいには出来ないということです。
では、ごきげんよう。さようなら。
自分がやりたいことをやっただけなのに怒られるのはなぜ?のまとめ
今日は『自分がやりたいことをやっただけなのに怒られるのはなぜ?』と題して、当たり前のことを受け入れるについて考えました。
大切にすれば大切にされる
人でもモノ、何でもそうですが、大切にすれば大切にされるし、大切にしなければ大切にされません。
良いか悪いかで、良いからといって。表面的に許されたからといって、それで相手の腹立ちがおさまるわけではありません。
『嫌だ』といえば、相手から嫌な顔をされのは当たり前
相手から嫌なことをされたとします。
ですが、相手は嫌なことをしたつもりは、きっとないですよね。
それを『嫌だ』といえば、相手から嫌な顔をされます。
これは当たり前のことなのです。
それを自分が正しいから相手が嫌な顔をするのはお門違いだと思う方がお門違いなのです。
正しいと思えば思うほど苦しい
自分が正しいから、相手がおかしいと思うことは自由ですが、そう思うと自分が苦しむだけです。
自分が正しいと思っているように相手も自分が正しいと思っているものです。
なので、正しいからといって自分の望む通りにはならないものなのです。
むしろ、正しいと思えば思うほど、相手とのギャップに苦しむことになります。
今日も読んでいただきありがとうございます。
ともいき個人セッションでは、あなたのお話を聞くことで、あなたが見えていないもうひとつの現実をともに探します。目から鱗が落ちる体験になります。
「迷わない」「信じる」ことを超本気でやってます。
ともいき信聞塾はオンラインで開催中!!
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません