身近な友達や憧れている人の口癖や仕草を真似てしまうのは良いのか?悪いのか?

『身近な友達や憧れている人の仕草や言葉遣いイントネーションを無意識に真似てしまいます。』という質問にお答えしました。
他人に指摘をされて、恥ずかしかったのかやめたいと思ったみたいですが、やめなくていいのではないか?と思いました。
理由はちゃんとあります。
今日は『身近な友達や憧れている人の口癖や仕草を真似てしまうのは良いのか?悪いのか?』と題して、他人を真似てしまうことについて考えます。
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身近な友達や憧れている人の口癖や仕草を真似てしまうのは良いのか?悪いのか?
無意識に他人の仕草や言葉遣いを真似てしまう
身近な友達や憧れている人の仕草や言葉遣いイントネーションを無意識に真似てしまいます。
昔から人の真似をしてしまうようです。昔友達に「○○って人の真似よくするよね」と言われたことがあります。
これを治すにはどうすればいいでしょうか?
yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10261904500)
僕も小学生、中学生の頃に、当時プロ野球で活躍していた、シャイアンツの江川卓のピッチングフォームを真似したり、原辰徳、篠塚利夫のバッティングフォームを真似していました。
実際の野球で真似をしていたのではなく、形態模写をして遊んでいたのです。
とても似ていると友だちに言われて得意になってやっていました。
実際に少年野球チームに入っていましたが、実際のプレイはそれほどうまくありませんでした。(笑)
そこでも同じ学年のレギュラー選手の真似をしたりして、それが質問者さまと同じですね。
別の友だちが『○○の真似している』と言っているのが聞こえてきて、気恥ずかしかったのを憶えています。
好きだから、憧れているから、気がついたら真似をしているということは誰にでもあるのではないか?と思います。
ただ、他人が気づくくらいうまく真似をしている人はあまりいません。
なので、質問者さまも僕も他人から真似していると気づかれるくらい真似がうまかったのだと思います。(笑)
なので、僕は治す必要はないのではないかと思うのです。
というのは、顔がもともと似ているというのではなく、雰囲気や仕草が似ているというのは、相手の心を真似しないと出来ないと思うからです。
見た目を似せようと思ったら、心を真似しないといけない
モノマネでも形態模写というのがありますが、顔が似ているわけでもなく声が似ているわけでもない人が、動きだけでモノマネをして、他人に似ていると思わせるのは顔が似ているとか、声が似ている以上に実は難しいのではないかと思っています。
それは仕草だけを真似しても瞬間の形は真似出来るかもしれませんが、連続した動きになったときに違いがハッキリと出てしまうからです。
つまり、特徴的な動きというのは一部であって、それ以外の雰囲気とか、この人ならこうするだろうみたいな在るけど特徴として際立っていないもの。それが似ていないと意識もしていない他人に似ているとは思わせられないのではないか?と思うからです。
『今からこの人の真似します』といって、見てもらうなら、見る人もそう思って見てくれるのでアドバンテージがありますが、そうではないときに『似ている』と思われるには、瞬間の特徴的な動きだけでは難しいということです。
ここから少し高尚なお話になりますが、見た目を似せようと思ったら、心を真似しないといけないと思っているのです。
つまり、他人が無意識に思っている『この人ならこんなことをするだろう』と思っている部分が、特徴的な動き以外のところで表れてはじめて似ていると思われるということです。
たとえば、野球のバッターの真似しようと思うと、スイングだけを真似ても似ているとは思われないのです。
それ以外のウエイティングサークルでの待ち方とか、バッターボックスへの歩き方、ボックスで足場をならす仕草、素振り、それらが似ていて、しかもフォームが似ている。これらは似ていて当たり前。
その上、これらの動作の合間、合間の雰囲気まで似ていて、はじめて似ているとは思われるのです。
そのためには、その人の心を真似していないと出来ないと思います。
もっと言えば、その人の心そのものになったつもりにならなければ、真似をしているという意識では、真似をしている人の真似になってしまうということです。
未だ経験したことがない自分になる
わかりやすいようにシンプルなたとえ話をすると、声が大きい人の気持ちを理解しようと思ったら、大きな声を出してみることです。
出してみると、なぜ出しているのか?なぜ出さないといけないのか?その時のその人の心を感じることが出来ます。
形を真似すると、心を感じることが出来るのです。
逆に声が小さい人の真似をしてみると、声が小さい人の心を感じることが出来ます。
声が小さいとき、声が大きいとき、どんな心に自分になっているのか?
未だ経験したことがない自分になることが出来ます。
真似をすることで、自分以外の人間になることが出来るのです。
真似をしなければ一生出会えなかった自分かもしれません。
そして、裏を返せば、形を変えることで、心を変えることが出来るという発見が出来るのです。
ですから、質問者さまにはこう返しました。
『真似がうまいということは、そういう人になれる可能性も高いということです。
良いことだと思います。』
身近な友達や憧れている人の口癖や仕草を真似てしまうのは良いのか?悪いのか?のまとめ
今日は『身近な友達や憧れている人の口癖や仕草を真似てしまうのは良いのか?悪いのか?』と題して、他人を真似てしまうことについて考えました。
無意識に他人の仕草や言葉遣いを真似てしまう
僕は治す必要はないのではないかと思うのです。
というのは、顔がもともと似ているというのではなく、雰囲気や仕草が似ているというのは、相手の心を真似しないと出来ないと思うからです。
見た目を似せようと思ったら、心を真似しないといけない
動作の合間、合間の雰囲気まで似ていて、はじめて似ているとは思われるのです。
そのためには、その人の心を真似していないと出来ないと思います。
もっと言えば、その人の心そのものになったつもりにならなければ、真似をしているという意識では、真似をしている人の真似になってしまうということです。
未だ経験したことがない自分になる
声が大きい人の気持ちを理解しようと思ったら、大きな声を出してみることです。
出してみると、なぜ出しているのか?なぜ出さないといけないのか?その時のその人の心を感じることが出来ます。
逆に声が小さい人の真似をしてみると、声が小さい人の心を感じることが出来ます。
声が小さいとき、声が大きいとき、どんな心に自分になっているのか?
未だ経験したことがない自分になることが出来ます。
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