『悩み』との付き合い方|何もない日は、何事もなかった日

悩みが問題なのではありません。
同じ『悩み』でも人によっては、生きていく糧にする人もいるのです。
無いものを見るのではなく、在るものを見る。
今日は『『悩み』との付き合い方|何もない日は、何事もなかった日』と題して、『悩み』との付き合い方について考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
『悩み』との付き合い方|何もない日は、何事もなかった日
『悩み』との付き合い方
精神的に不安定な時
今すごく精神的に不安定でしんどいです。
日常生活が上手くいってないとか人間関係で悩みがあるとかそんなことは全くなく、充実した生活をおくれています。
なのに夜、不意に寂しいとか孤独だとか色々考えて急に涙がでてきます。
誰かに認めて貰えることでしか自分の存在意義を確かめることが出来ない、いわゆる承認欲求が強いんだと思います。
誰か1人でもいいから自分を必要として欲しい、君がいてくれたら何もいらないと言ってくれる人が欲しいなとふと思ってしまうんです。
なんかポエマーみたいでキモいかもしれませんがこの考え方を無くすもしくは違う考え方に変える方法を教えて欲しいです。
もう夜1人泣くのは嫌なんです、助けてください。
yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14274946204)
みなさん、ごきげんよう。
今日もよろしくお願いします。
理由は『孤独』ではないと思います。
書かれている通り、誰かから必要とされ『君がいてくれたら』と言われたら、この『孤独』については癒やされるのかもしれません。
それで、今抱えている問題はなくなりますし、それさえ満たされれば、死ぬまで安心して暮らせるのかもしれません。
ですが、それは根本的な解決ではありません。仮に『孤独』問題が解決しても、今度は違う問題が出てくる可能性があります。
根本的な問題は『無いもの』を見ていることだからです。
『無いもの』を見る癖があると、今は『自分を必要としてくれる人がいない』ことで『孤独』を感じていますが、それが解決すると、次は『お金がない』とか『パートナーが優しくない』とか。次々に『無いもの』を探しだします。
そして、いよいよ『無いもの』がなくなると、ラスボス『悩みがない』ことを悩みにしてしまいます。
『無いもの』を見るのではなく『在るもの』を見る
変なことを言うようですが、考え方次第では『悩み』も『在るもの』に出来るのです。
明治の文豪、芥川龍之介は『将来に対する唯ぼんやりした不安』という言葉を遺して自殺をしました。
どんな人でも悩みがあるものですが、大きな悩みがひとつあった方がいいと、元お笑い芸人で今は引退した島田紳助さんは言っています。
大きな悩みがひとつあると安心なんだと。大きな悩みだと人に相談出来るからです。『給料が安い』『会社がブラックだ』『姑が意地悪だ』。こういう悩みは他人に相談しやすいし、相談された方も相談にのりやすいのです。似たようなことが誰にでもあるから共感も出来ます。
ですが、小さい悩みは、小さすぎて他人に相談しにくいのです。自分でも『これは本当に悩みなのか?』『悩んでる私が悪いのか?』とだんだん不安が大きくなっていくのです。
そして、どんどん不安だけが大きくなり、解決出来ずについに命を断ってしまうのです。
悩みがあるということは解決しなければいけない問題が在るということです。考えようによっては、この世界から必要とされているといえます。
同じ『悩み』でも捉え方でこうも変わるのです。
『無いもの』を見るのではなく『在るもの』を見ましょう。
何もない日は、何事もなかった日
『在るもの』を見るようになると、些細なことに幸せや温かさを感じることが出来るようになります。
”些細なこと”というと『幸せのハードルが低い』ことを惨めに感じたりするかもしれません。
それは、実際に些細な幸せに触れていないからです。触れていないので、そんな些細なことで幸せを感じることを惨めだと思ってしまうのです。
実際に些細なことに幸せを感じた時、どれだけ豊かな気持ちになるか?!どれだけ世界が広くて美しく感じるか?!味わった人にしかわかりません。
実際は、多くの人が日々の暮らしの中で、小さな幸せに触れているのですが、それを幸せだと認識していないだけなのです。
当たり前すぎて、それを幸せだと思えていないのです。
『何もない日は、何事もなかった日』という言葉があります。『何もない日』というと何もイベントがなかったつまらない日というニュアンスですが、『何事もなかった日』というとトラブルも問題もなく無事に過ごせた『幸せな一日』というニュアンスになります。
どちらも同じ一日ですが、過ごした人によって、まったく別の日になってしまうのです。
大切なことは『どう思って生きるか?』ではないでしょうか?
では、ごきげんよう。さようなら。
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ぜひ、お読みください。m(_ _)m
『悩み』との付き合い方|何もない日は、何事もなかった日のまとめ
今日は『『悩み』との付き合い方|何もない日は、何事もなかった日』と題して、『悩み』との付き合い方について考えました。
『悩み』との付き合い方
仮に『孤独』問題が解決しても、今度は違う問題が出てくる可能性があります。
根本的な問題は『無いもの』を見ていることだからです。
『無いもの』を見る癖があると、今は『自分を必要としてくれる人がいない』ことで『孤独』を感じていますが、それが解決すると、次は『お金がない』とか『パートナーが優しくない』とか。次々に『無いもの』を探しだします。
そして、いよいよ『無いもの』がなくなると、ラスボス『悩みがない』ことを悩みにしてしまいます。
『無いもの』を見るのではなく『在るもの』を見る
悩みがあるということは解決しなければいけない問題が在るということです。考えようによっては、この世界から必要とされているといえます。
同じ『悩み』でも捉え方でこうも変わるのです。
『無いもの』を見るのではなく『在るもの』を見ましょう。
何もない日は、何事もなかった日
『何もない日は、何事もなかった日』という言葉があります。『何もない日』というと何もイベントがなかったつまらない日というニュアンスですが、『何事もなかった日』というとトラブルも問題もなく無事に過ごせた『幸せな一日』というニュアンスになります。
どちらも同じ一日ですが、過ごした人によって、まったく別の日になってしまうのです。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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