自分の中心は神である|敬天愛人の精神で解釈すれば
「自分の中心は神である」という言葉は、一般的に傲慢だと受け取られるのでしょうか。
言葉をどう受け取るかは聞く人によります。
自分も他人も大切だと理解すれば、傲慢には聞こえません。
お互いを尊重することが大切です。
今日は「自分の中心は神である|敬天愛人の精神で解釈すれば」と題して、自分の中心は神であるについて考えます。
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●自分の中心は神である|敬天愛人の精神で解釈すれば
○自分の中心は神である
自分の中心は神であるということを言うと、なんて傲慢な人なんだと受止められるのが一般的なのでしょうか。
yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10299748100)
※質問は原文ママです。
みなさん、ごきげんよう。今日もよろしくお願いします。
聞く人によると思います。言った人が、どういう意図で言ったかは、実は関係ありません。
あくまで聞いた人がどう解釈するか?です。
聞いた人が、「自分が神であるなら、自分以外の人も神だ」と言っていると解釈すれば、決して傲慢だとは思わないでしょう。
自分も自分以外の人も、等しく大切な存在だと言っているのだと思うでしょう。尊敬と感謝を思う人だとさえ思うと思います。
傲慢だと思う人は、「自分は神で、あなたは下々の人間だ」と言われているように聞こえるのでしょう。
それは、裏を返せば、自分は特別な存在だと思っているからです。
相手が神だとすると、自分以上の特別な存在がいると。「それはけしからん。傲慢だ」と思っているのです。実は、他人を傲慢だと思う人こそ傲慢なのです。
自分の中心が神であると言うと、それを聞いた人がどう感じるかに大きく依存します。
ですから、この発言が傲慢かどうかは、一概に決めることはできません。
◯敬天愛人の精神で解釈すれば
西郷隆盛の座右の銘である「敬天愛人」という言葉があります。
天とは、宇宙や大自然、神という意味です。
分かつことが出来ないひとつの大いなる存在です。
「敬天愛人」の意味を、
「天は人も我も、同一に愛し給うゆえ我を愛する心を以って、人を愛するなり。」
と南洲遺訓にはあります。
「南洲遺訓」とは、戊辰戦争で西郷さんの恩情にあずかり感謝した旧庄内藩の人々がまとめた書です。
「天を敬い人を愛する」という言葉の奥行きには、「私もあなたも神と同じように大切な存在なのだ」という意味が込められていると考えています。
今日の質問にある「自分の中心は神である」という発言者の意図はわかりませんが、聞いた人が「敬天愛人」の精神で理解すれば、それは決して傲慢には聞こえないと思います。
この言葉を理解することで、「自分の中心は神である」という発言も違った角度から見えるようになります。
敬天愛人の精神に基づけば、自分を尊重することは他者を尊重することと同義であり、そこに傲慢さは存在しません。
むしろ、互いに尊敬し合うことが重要であると説いています。
◯自己理解と他者理解
「自分の中心が神である」と言うことは、自分の内面の神聖さや価値を認識することですが、それは決して他人を軽視することではありません。
真の自己理解とは、自分自身の価値を認めると同時に、他者の価値も同等に認めることです。
自分を神だと認識することは、自己肯定感を高める一方で、他人のことも神聖な存在として見る視点を持つことです。この視点があれば、決して傲慢にはなりません。むしろ、互いの尊重と感謝の気持ちが深まるでしょう。
また、自己理解と他者理解は相互に補完し合うものです。自己を深く理解することで他者への理解も深まり、逆に他者を理解することで自己の本質も見えてくるのです。
「自分の中心は神である」と言うことの真意は、自己と他者を同等に尊重する心の姿勢を示しているのです。
以上のように、「自分の中心は神である」という発言が傲慢と受け取られるかどうかは、その言葉を発する人と聞く人の理解と価値観に大きく依存します。
敬天愛人の精神を持ち、自分も他者も尊重することができれば、その発言は傲慢ではなく、むしろ深い敬意と愛情の表現となるでしょう。
では、ごきげんよう。さようなら。
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●自分の中心は神である|敬天愛人の精神で解釈すればのまとめ
今日は「自分の中心は神である|敬天愛人の精神で解釈すれば」と題して、自分の中心は神であるについて考えました。
○自分の中心は神である
「自分が神であるなら、自分以外の人も神だ」と言っていると解釈すれば、決して傲慢だとは思わないでしょう。
自分も自分以外の人も、等しく大切な存在だと言っているのだと思うでしょう。尊敬と感謝を思う人だとさえ思うと思います。
○敬天愛人の精神で解釈すれば
敬天愛人の精神に基づけば、自分を尊重することは他者を尊重することと同義であり、そこに傲慢さは存在しません。
むしろ、互いに尊敬し合うことが重要であると説いています。
○自己理解と他者理解
自分を神だと認識することは、自己肯定感を高める一方で、他人のことも神聖な存在として見る視点を持つことです。この視点があれば、決して傲慢にはなりません。むしろ、互いの尊重と感謝の気持ちが深まるでしょう。
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