フラットに他人を見るには?|無関心でいようという関心事
フラットに他人や物事を見るには、『なんとかしたい』『変えたい』という気持ちをおさめることです。
理想や希望と比較するからフラットに人や物事を見れません。
今が普通なんだと受け入れたとき。ありのままが見えるようになります。
今日は『フラットに他人を見るには?|無関心でいようという関心事』と題して、フラットに他人を見るには?について考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
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くろちゃんです。
フラットに他人を見るには?|無関心でいようという関心事
「信用しない事」と「疑う事」
「信用しない事」と「疑う事」はどこが違うのでしょうか?
また、どうしたら「疑う事」から「信用しない事」にシフト出来るのでしょうか。
yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12274234137)
みなさん、ごきげんよう。
今日もよろしくお願いします。
言葉をどんな意図で使っているかは人それぞれです。
文章の脈絡から、質問者さまが『信用しない事』と言っているのは、『無関心になりたい』ということではないか?と感じました。
疑いはしないけど、信用もしないということだと思います。
好き嫌いに置き換えるとわかりやすいのですが、好きなときも嫌いなときも相手はいつも自分の中にいます。
嫌いになればなるほど、その人はくっきりと自分の中にいます。
ですので、信用しているときも、信用が出来ないときも、その人は自分の中にいます。
信用出来ないのではなくて、『信用しない』ということに一番ニュアンスが近いのは『無関心』だろうと思います。
つまり、自分の中にその人が現れてほしくないということだろうと思います。
無関心でいようという関心事
だとすると、どうすれば『疑う事』から『信用しない事』、つまり無関心になれるか?
無関心になればいいわけですが、一度関心を持ってしまったモノを意図的に無関心にするのは簡単ではありません。
なぜなら、好き嫌いの理屈と同じで、無関心になろうとすればするほど、自分の中にいるからです。
無関心でいようという関心事になってしまうのです。
『いようとする』『いたいと思う』『なろうとする』『なりたいと思う』
言葉は微妙に違いますが、共通しているのは関心があるということです。
それは今はそうでないからです。
今は、そうでないから、そうなりたいと思っているわけです。
つまり、関心があるわけです。
たとえば、気になる車があるとします。
それが欲しい車になり、買いたい車になります。そして買う車になります。
いずれもまだ手に入れていないのでずっーと関心があります。
それが手に入れた瞬間『欲しい』という関心はなくなります。
その車でどこかへ行きたいとか、車内を快適な空間にしたいとかは、また別の関心です。
欲しいというカテゴリーでは叶ったので無関心になります。
『手に入れる』ということは違う表現をすれば『普通』ということです。
あることが普通です。
つまり、無関心になるためには、その状態が『普通』になることなのです。
今を普通にすること
なんとかしたいという状態から、何もしないでいい状態。それが普通になること。それが無関心でいるということです。
私が『私になりたい』とは思いません。
私であることには関心はないはずです。
私がお金持ちになることには関心はあっても『私』で在ることに関心はありません。
無関心とは、そういう状態のことです。
今回の質問に置き換えると、『信用したい』とも思わず、『疑わない』とも思わず、そして無関心になろうともしないことです。
つまり、今を普通にすること。それが『疑い』だろうが『信用』だろうがです。
疑っているなら、疑っているで何も変えないのです。
ですが、疑っていて、疑っているような事態が何も起こらなければ疑いが小さくなります。
そしたら、それをまた『普通』にします。
それでもまだ少し疑っているとします。
でも、その小さな疑いのような事態も起こらなければ、疑いがなくなるかもしれません。
そししたら、またそれを『普通』にします。
それは『信用もしていないけど、疑ってもいない』状態にかなり近づいてはいないでしょうか?
おそらく、質問者さまが求めている心の状態に近いかと思います。
では、ごきげんよう。さようなら。
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ぜひ、お読みください。m(_ _)m
フラットに他人を見るには?|無関心でいようという関心事のまとめ
今日は『フラットに他人を見るには?|無関心でいようという関心事』と題して、フラットに他人を見るには?について考えました。
「信用しない事」と「疑う事」
文章の脈絡から、質問者さまが『信用しない事』と言っているのは、『無関心になりたい』ということではないか?と感じました。
疑いはしないけど、信用もしないということだと思います。
無関心でいようという関心事
無関心になればいいわけですが、一度関心を持ってしまったモノを意図的に無関心にするのは簡単ではありません。
なぜなら、好き嫌いの理屈と同じで、無関心になろうとすればするほど、自分の中にいるからです。
無関心でいようという関心事になってしまうのです。
今を普通にすること
今を普通にすること。それが『疑い』だろうが『信用』だろうがです。
疑っているなら、疑っているで何も変えないのです。
ですが、疑っていて、疑っているような事態が何も起こらなければ疑いが小さくなります。
そしたら、それをまた『普通』にします。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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