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【更新】新しい死生観|生きている今を天国にする

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死ぬことが怖いという質問に回答したら、死生観が更新されたという気がします。

死に方は生き方だといいます。

生き方も死に方です。

どんな風に生きるか?はどんな風に死ぬか?なのです。

今日は『【更新】新しい死生観|生きている今を天国にすると題して、死生観について考えます。

 

世界一、幸せなみなさんへ

今日も読んでいただき
感謝しています。

そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。

くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。

くろちゃんは、
世界一幸運です。

毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。

【更新】新しい死生観|生きている今を天国にする

死んでみなければ死というものはわからない

死が怖いです。

亡くなっても自分が死んだ事にすら気付かないし記憶無くなるなら死んでも大丈夫

とは思いますが。

よく死は、眠っている状態が永遠に続くと表現されますが想像できません。

無も想像できません。

自分の意識が無くなるのが怖いです。

無くなっても気づかないですけど

受け入れる方法や、死を納得できる答え求めております。よろしくお願いしますm(_ _)m

yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10268358455

 

みなさん、ごきげんよう。

今日もよろしくお願いします。

 

人間は分からないこと未知のことを恐れるものだと思います。

分からないことが分かるようになると不安が消えます。

ボヤ〜ッとしているものがくっきりすると覚悟が決まります。

例えば今月お金が足りるかなと考えている時、それをはっきりさせるのが怖いと思いますが、実は逆ではっきりしていないから怖いのです。

白黒はっきりさせて、足りないなら足りないことを明確にすれば、『じゃあどうしよう』と次の行動に移せます。

覚悟を決めるというのはそういう意味です。

ですが、死だけは、どんな人でもわかりません。

死んでみなければ死というものはわからないのです。

だから、死が怖いのは仕方がないと思います。

ただ、どんな人でも死ぬまで『死』についてはわからないもの。

自分だけがわからないわけではないのです。

死というのは元に還ること

死というのは、死んだ後の世界に行くことではありますが、そこは『生まれる前の世界』でもあると思うのです。

これも実際のところはわかりません。

誰もが生まれる前にどこにいたかは知りません。

そして、同じように死んだらどこに行くかわかりません。

ですが、きっと、そこは同じところだという気がしませんか?

これは理屈ではなく、感覚として、人間の本能として間違い無い気がします。

なので、死というのは元に還ることなのです。

そこでは『私』という意識がなくなるのか?

それとも、その世界でも『私』という意識をもって存在するのか?

それはわかりません。

ですが、そんなことを想像していると、『死ぬこと』『元に還る』ことが楽しみでもあるのです。

知りたいとも思うし、体験したいとも思うのです。

どんな風に死ぬか?はどんな風に生きるか?

生き方は死に方であり、死に方は生き方です。

どんな風に死ぬか?はどんな風に生きるか?でもあります。

死を恐れていると、生きることが怖くなります。

死を恐れながら生きることになるからです。

どんな人にも必ず『死』はおとずれます。

誰もが死ぬまで死についてはわかりません。

わからないから『恐れる』。だから、くっきりさせると不安が消えるという話とは矛盾しますが、これだけはどんなに努力をしてもわかることが出来ません。

死んだらどうなるか?

これは人間の大きなテーマのひとつです。

これは僕自身の死生観ですが、死んだら皆同じところへ行くのだと思います。

『私』という意識がなくなるのか?それとも、『私』という意識をもって存在するのか?わかりませんが、これも皆同じだと思っています。

なので、死んだ後に地獄に行く人、天国に行く人と分かれることはないと思っています。

なので、自分だけが地獄に行くというようなことはありません。

では、地獄とは何か?

死を恐れて生きることは『苦しみ』です。

また、罪を犯して後悔して生きることも『苦しみ』です。

昔の人はそれを『地獄』と表現したのではないか?と思うのです。

生き方は死に方であり、死に方は生き方です。

実は、天国も地獄も、生きているこの世界に在るのです。

なぜ、そう思うのか?と言えば、天国も地獄も考えたのは生きている人間だからです。

死を恐れていると、生きている今が地獄になります。

それに気がついて、『今を生きよう』『今を楽しもう』と思えば、生きているこの世界は天国になります。

もちろん、死んだ後も今を生きていれば、そこは天国になるはずです。

死は人間にとって、死ぬまでわからないことです。

つまり、それは『今にないモノ』です。

今にないモノを探すから『苦しい』のです。

今在るモノと共に生きましょう。

そうすれば死について考えません。

人間はいずれ必ず死にます。

死が『今在るモノ』なるときが必ずきます。

その時に死と共に生きればいいのだと思っています。

 

では、ごきげんよう。さようなら。

【更新】新しい死生観|生きている今を天国にするのまとめ

今日は『【更新】新しい死生観|生きている今を天国にすると題して、死生観について考えました。

死んでみなければ死というものはわからない 
死だけは、どんな人でもわかりません。
死んでみなければ死というものはわからないのです。
だから、死が怖いのは仕方がないと思います。
ただ、どんな人でも死ぬまで『死』についてはわからないもの。
自分だけがわからないわけではないのです。

死というのは元に還ること 
誰もが生まれる前にどこにいたかは知りません。
そして、同じように死んだらどこに行くかわかりません。
ですが、きっと、そこは同じところだという気がしませんか?
これは理屈ではなく、感覚として、人間の本能として間違い無い気がします。
なので、死というのは元に還ることなのです。
 
どんな風に死ぬか?はどんな風に生きるか? 
地獄とは何か?
死を恐れて生きることは『苦しみ』です。
また、罪を犯して後悔して生きることも『苦しみ』です。
昔の人はそれを『地獄』と表現したのではないか?と思うのです。
生き方は死に方であり、死に方は生き方です。

実は、天国も地獄も、生きているこの世界に在るのです。

今日も読んでいただきありがとうございます。

 

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