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平等という言葉は危うい|本当の平等、本当の差別とは?

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今日は平等という言葉考えます。

平等という言葉はとても素晴らしい言葉ですが、一歩間違うと、逆に不平等を招いたり、自分の成長を止めてしまいます。

本当の意味を考えます。

今日は『平等という言葉は危うい|本当の平等、本当の差別とは?』と題して、本当の平等について考えます

 

世界一、幸せなみなさんへ

今日も読んでいただき
感謝しています。

そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。

くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。

くろちゃんは、
世界一幸運です。

毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。

平等という言葉は危うい|本当の平等、本当の差別とは?

人間平等な訳ないだろう

https://youtu.be/lULSW07ZmUs

先日、『生命は平等だ』というブログを書きました。

生命は平等だ|一人ひとり違うことが平等

生命は平等ですが、人間は平等ではありません。

平等とは?、偏りや差別が無く、みな等しいことです。

はぁ〜?!って感じです。

人間だけではなくて、すべてのものがひとつひとつ違います。

養老先生のこの動画が、人間ひとりひとり違うということを明らかにしてくれています。

今日は平等という言葉が実に危ういという話をします。

『生命は平等』という思想は、結果の平等ではなく、機会の平等という意味が込められています。

それぞれに役割があって、その役割を果たす生命は皆平等ということです。

なので、それぞれに輝く機会があり、その機会が平等に与えられているということです。

これは感覚的に感じることであり、以前の自分のことなのかもしれませんが、多くの人は、”平等”とは『結果の平等』のことだと誤解をしていると思っています。

つまり、自分と他人は同じだから、同じように頑張れば同じ結果が得られるという誤解です。

それが養老先生の動画でも表されています。

人間は無意識に自分と他人は同じだと思っているのです。

だから、『相手の立場に立つ』ことが出来る。

相手の立場に立つということは、相手と自分は同じということが大前提になります。

違うと思っていたら相手の立場に立っても理解出来るわけがありませんから、ハナから相手の立場に立とうと思いません。

『相手の立場になって考えてみなさい』と子どもの頃に親に叱られた経験は多くの人にあるでしょう。

つまり、叱っている親から叱られた子どもへ、人間は皆平等だと脈々と無意識に刷り込まれていっているのです。

ですが、それ自体が悪いと言っているわけではありません。

そのおかげで、人に優しく出来ることはとても善いことだと思います。

ただ、弊害もあるということです。

どういうことかというと、自分を弱いと思っている人は、他人のことも弱いと思っています。逆もまたしかりです。

だから優しくするとか、見逃してあげるみたいなことが正当化されるということです。

そして、それが自分の弱さを正当化するためのエクスキューズになります。

人間は皆弱いのだから(強いのだから)・・・。です。

そう考えれば強くならなくていいのです。

辛辣な言い方ですが、他人も弱いということにすると自分に都合が良いのです。

平等という言葉は実に危うい

平等という言葉は実に危ういでしょう?(笑)

人間の能力に大差はありませんし、考えることもだいたい似通っています。

なので、相手の立場に立ってみて大きく外すことはないかもしれません。

ですが、大きく外さないだけでまったく同じということは絶対にありえない。

それがわかっていないと独善的になってしまいます。

それがわかっていると、相手と自分の違いをつぶさに観察して、だったら、こうした方がいいよねというアドバイスが出来たり、指導方法が変わったりします。

それを能力差だと思うのではなく、ひとりひとり違うんだという認識の上でする。

それが平等です。

ですが、『私に出来るのだから、あなたにも出来る』などと、平気な顔をしていったり、男女平等だといって、男の仕事を女にさせたり、家事や育児を男がするのが普通だという今の風潮はいささか変だと思っています。

それは本当の意味で平等ではないと思います。

男だろうが女だろうが、得意な仕事をすればいいし、家事が得意な男がいてもいいでしょう。

今世間で言われている家事の分業は、過去に女性が家事を押し付けられていたのと同じ構図です。

しきたりとか伝統とかに縛られて苦しんでいたのが昔。

それが今は世間の空気で分業を押し付けているにすぎません。

人それぞれに役割があり、得意なことがあり、その役割を果たすことで輝く機会を与えられることが平等ではないでしょうか。

先生に礼、お互いに礼

理想をいえば、男とか女とか、健常者とか障害者とか、人間とかそれ以外の動物という概念で区別をするのではなく、ひとつの生命として、この世界で一番いい生き方をするためにお互いが尊重しあえる世界が理想だと思います。

そのためには、相手を見るときに、ありのままに見ることです。

障害があるから、病気をしているからと、弱者扱いをしたり可哀そうという目で見るのではなく、同じひとつの生命として、違いがあり、その違いからお互いが学ぶという姿勢です。

一人ひとりが尊敬しあえる世界です。

NHKの朝の連続テレビ小説『スカーレット』でヒロインの喜美子が少女時代に草間流柔道を習います。

草間流柔道では、相手を尊敬するところから始めます。

『先生に礼、お互いに礼』

その上で柔道という競技で技を競うのです。

この世界の理想を見た思いがしました。

追伸

さて、そもそも平等とか、差別という言葉は仏教用語として日本にありました。

欧米からそれらの概念が来たときに、平等、差別という言葉をその概念に当てはめたわけですが、その話を紹介しているYou Tubeがありました。

日本の文化レベル、思想レベルが深いということが知れるとても面白いお話です。

僭越ですが、僕が言いたいのはこういうことなんだよ!!とも思いました。

平等という言葉は危うい|本当の平等、本当の差別とは?のまとめ

今日は『平等という言葉は危うい|本当の平等、本当の差別とは?』と題して、本当の平等について考えました。

人間平等な訳ないだろう 
『生命は平等』という思想は、結果の平等ではなく、機会の平等という意味が込められています。
それぞれに役割があって、その役割を果たす生命は皆平等ということです。
なので、それぞれに輝く機会があり、その機会が平等に与えられているということです。

平等という言葉は実に危うい 
人間の能力に大差はありませんし、考えることもだいたい似通っています。
なので、相手の立場に立ってみて大きく外すことはないかもしれません。
ですが、大きく外さないだけでまったく同じということは絶対にありえない。
それがわかっていないと独善的になってしまいます。

先生に礼、お互いに礼 
障害があるから、病気をしているからと、弱者扱いをしたり可哀そうという目で見るのではなく、同じひとつの生命として、違いがあり、その違いからお互いが学ぶという姿勢です。
一人ひとりが尊敬しあえる世界です。
NHKの朝の連続テレビ小説『スカーレット』でヒロインの喜美子が少女時代に草間流柔道を習います。
草間流柔道では、相手を尊敬するところから始めます。
『先生に礼、お互いに礼』
その上で柔道という競技で技を競うのです。
この世界の理想を見た思いがしました。

今日も読んでいただきありがとうございます。

 

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