生命は平等だ|一人ひとり違うことが平等
生命に優劣はありません。
すべての生命が等しく尊い。
ですから、がんばれば報われます。
やったこともやらなかったことも、すべて自分に返ってくるのです。
今日は『生命は平等だ|一人ひとり違うことが平等』と題して、生命の平等について考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
生命は平等だ|一人ひとり違うことが平等
生命は平等だ
「命は平等だ」と言う人は、腕に蚊が止まっても殺すことなく見過ごしてくれますか?
yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10261314765)
とても面白い質問です。
そして、人間がいかに言葉を表面的に捉えているかを感じさせてくれます。
この方がそうなのか?どうかはわかりません。
質問に、どんな意図があるかわかりませんので。
平等とは何か?
Wikipediaでは、偏りや差別が無く、みな等しいこととあります。
京都の宇治にある平等院の名前の由来は、仏の救済が平等ということからつけられたそうです。
平等は、もとは仏教用語です。
何度か紹介していますが、手塚治虫の漫画『ブッダ』の中で、お釈迦様が『この世のあらゆる生き物はみんな深いきずなで結ばれている』と言っています。
お釈迦様が実際に説かれたのか、手塚治虫の哲学なのか?はわかりませんが。
この絆というのは弱肉強食という自然の摂理のことを言っていると解釈しました。
つまり、森羅万象、すべての生命にはそれぞれ役割があり、その生命は等しく平等であると言われていると思います。
強い物が弱い物を食べるのも、それがこの世界では、それぞれの役割を果たしていて、生命の上では平等な姿なのだと思うのです。
食べるわけではありませんが、人間が蚊を殺すこともそれに含まれていると思います。
ですから、僕も生命は平等だと思っていますが、蚊やゴキブリは殺します。
すべての生命が平等に全力で生きている
人間は悔しいことがあると、それをバネに次はがんばろうとします。
苦しみがあると、それを乗り越えようとします。
それも自然の摂理です。
もし、悔しさも苦しみもなければ、人間は何も成長しません。
悔しさも苦しみも、成長して幸せになるということとセットです。
弱肉強食という自然の摂理も、この世界のバランスを取るための究極のシステムだと思うのです。
人ひとりの人生も同じで、辛いことや苦しいことがあって、喜びや幸せを感じられるという究極のシステムによって成り立っています。
そして、これは恐らく人間だけではなく、生命あるモノすべてに平等なシステムだと思います。
負ける人もいますが、負ける人がいるということは勝つ人がいる。
これも自然の摂理です。
その部分だけを見れば、不平等に感じられますが、世界というマクロな視点ではそれも平等なのです。
それぞれの生命が平等に全力で生きている姿なのだと思います。
自分のやったことはすべて自分に返ってくる
『生命は平等』という、聞き慣れた言葉でさえ、人それぞれに解釈があります。
それを表面的とか本質的などといってジャッジすることはおこがましいことです。m(_ _)m
平等とは、みな等しいことですが、何を持って等しいとするのか?
”何を”の部分が人それぞれであるということです。
それを単に等しいとか、同じという表面的な意味で捉えてしまうと、この世の中が等しいわけがありません。
そもそも、人は一人ひとり違います。
男女では生態自体が違いますし、一人ひとり身長や体重、腕力も違う。考え方や生き方が違えば同じことをしても結果が違って当たり前です。
一人ひとり生きる環境が違っても自分のやったことは、すべて自分に返ってくるという意味で平等です。
仏教では因果の道理といって、善因善果、悪因悪果、自因自果といいます。
善い原因は善い結果をもたらし、悪い原因は悪い結果をもたらします。
結局は、自分が原因を作ったなら、すべては自分に結果として返ってくるというわけです。
そういう意味で、人はみな平等です。
間違いなく、生命は平等です。
生命にはそれぞれ役割があって、その役割をまっとうするために生まれ、そして死んでいきます。
生まれて、そして死ぬまで生きる。
どんな生命も等しく同じだと思うのです。
生命は平等だ|一人ひとり違うことが平等のまとめ
今日は『生命は平等だ|一人ひとり違うことが平等』と題して、生命の平等について考えました。
生命は平等だ
「命は平等だ」と言う人は、腕に蚊が止まっても殺すことなく見過ごしてくれますか?
とても面白い質問です。
そして、人間がいかに言葉を表面的に捉えているかを感じさせてくれます。
すべての生命が平等に全力で生きている
弱肉強食という自然の摂理も、この世界のバランスを取るための究極のシステムだと思うのです。
人ひとりの人生も同じで、辛いことや苦しいことがあって、喜びや幸せを感じられるという究極のシステムによって成り立っています。
そして、これは恐らく人間だけではなく、生命あるモノすべてに平等なシステムだと思います。
自分のやったことはすべて自分に返ってくる
仏教では因果の道理といって、善因善果、悪因悪果、自因自果といいます。
善い原因は善い結果をもたらし、悪い原因は悪い結果をもたらします。
結局は、自分が原因を作ったなら、すべては自分に結果として返ってくるというわけです。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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