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絶対的な幸福|相対的な幸福否定するべからず

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絶対的な幸福を手に入れることが正しくて、相対的な幸福が間違っているとは思いません。

それは、結局絶対的な幸福と相対的な幸福を材料にして相対的な幸福を手に入れようとしていることになるからです。

今日は『絶対的な幸福|相対的な幸福否定するべからず』と題して、絶対的な幸福について考えます

 

世界一、幸せなみなさんへ

今日も読んでいただき
感謝しています。

そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。

くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。

くろちゃんは、
世界一幸運です。

毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。

絶対的な幸福|相対的な幸福否定するべからず

絶対的な幸福と相対的な幸福

よく相対的な幸福ではなく、絶対的な幸福を手に入れるということが言われます。

これは相対的な幸福が間違いで、絶対的な幸福が正しいと言っているわけではないと思います。

確かに相対的な幸福は、他人と比較し、何かを手に入れたとしても幸福感は長続きせずに”もっともっと”と求めてしまう幸福です。

絶対的な幸福は、他人と比較せず今在るもので幸せを感じることです。存在しているだけで幸せになる。それが絶対的な幸福の境地です。

こう説明されると相対的な幸福は間違いで、絶対的な幸福を得ることが正しいという気がしてきます。

ですが、前々からそれには違和感がありました。

相対的な幸福を求めている人に対しては『それではキリがないよ。今在るものに感謝しましょう』というようなアドバイスをすることがあります。

ですが、それでは相対的な幸福と絶対的な幸福をやはり比較していることになるのです。

結局、『相対的な幸福と絶対的な幸福』という材料を使って、またも相対的な幸福を手に入れようとしているのです。

それだってキリがないですよね。

相対的な幸福否定するべからず

人間は相対的に幸せを感じるものです。

それでしか幸せを感じることが出来ません。

たとえが少し難しいというかイメージしにくいと思いますが、この世界に自分しかいなければ他人と比較することが出来ません。

つまり、不幸になることも幸せになることも出来ません。

比較することが出来ないということは不幸せにもなりませんが、幸せにもなれないということです。

ですから、人間は生きている以上他人と比較をするし、比較した上で幸せになったり不幸せになったりするということから逃れられないのです。

では、絶対的な幸福というのはないのか?というと、在ります。

ですが、それは円の中心みたいなものです。

円の中心は?と、問われて、『ココ』ですというと、ではココの中心は?と問われて、さらに『ココ』ですと答えます。でも、それにもやはり中心があるわけです。

確かに在るにはあるのですが、永遠に見つけることが出来ないのが円の中心です。

絶対的な幸福も概念としては在るのですが、『いつも在るもの』として手に入れられるものではない。そういうものだと思います。

では、どういう時に絶対的な幸福を感じるのか?というと、たとえば、モノづくりをしていて完成した瞬間とか、スポーツでチーム一丸となって勝利したときとか。

つまり、今この瞬間を生きているときです。

これだって、よくよく見たら何かと比較した結果ですが、比較していることを忘れるくらい今この瞬間に集中しているということです。

今作ったモノよりも良いモノを他人が作ったと知ればたちまち幸福度は下がります。

試合には勝ちましたが、実は相手の主力メンバーが怪我をしていたと知ると勝利の喜びも少し目減りします。

比較しようと思えば比較する材料はいつもあります。

絶対的な幸福とは、今この瞬間、誰とも比べることのない幸せを大切にし、その気持を忘れずに持ち続けることです。

比較するような気持ちが湧いたときに、今を生きれば幸せなのだと思い出すことです。

絶対的な幸福も相対的な幸福も『今ここ』に在ります。

自分がどちらを見ているか?です。

絶対的な幸福

いつも書きていることですが、『私』に必要なものはすべて用意されていると信じることです。

この世界に『私』しかいなければ他人と比較することが出来ません。

比較する必要がないのです。

在るものは全部自分のものですし、在るものしかないのですから不足もない。

それが『必要なものはすべて用意されている』という心の境地です。

無いとしたら無いことが在るという考えです。

無いということは必要がないということを信じています。

実際は、『私』だけが生きている世界ではないので、どうしても比較をしてしまいます。

ですが、世の中は余の中です。

そう見えているだけで『私』は私(余)の中の世界を生きている。そう考えて誰とも比較せず、すべては用意されているという心の境地で生きることが出来れば、それが絶対の幸福です。

絶対的な幸福|相対的な幸福否定するべからずのまとめ

今日は『絶対的な幸福|相対的な幸福否定するべからず』と題して、絶対的な幸福について考えました。

絶対的な幸福と相対的な幸福 
相対的な幸福を求めている人に対しては『それではキリがないよ。今在るものに感謝しましょう』というようなアドバイスをすることがあります。
ですが、それでは相対的な幸福と絶対的な幸福をやはり比較していることになるのです。
結局、『相対的な幸福と絶対的な幸福』という材料を使って、またも相対的な幸福を手に入れようとしているのです。
それだってキリがないですよね。

相対的な幸福否定するべからず  
中庸は、真ん中でも真ん中以外でもない全体ということです。
簡単に言うと全部正解ということです。
全部が正解?
物事には必ず正解があると信じている人には、それこそ信じがたいことですが、正解というのはひとつではないのです。

絶対的な幸福  
実際は、『私』だけが生きている世界ではないので、どうしても比較をしてしまいます。
ですが、世の中は余の中です。
そう見えているだけで『私』は私(余)の中の世界を生きている。そう考えて誰とも比較せず、すべては用意されているという心の境地で生きることが出来れば、それが絶対の幸福です。

今日も読んでいただきありがとうございます。

 

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