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苦しみがあるのは『私の頭の中』だけ

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五蘊皆空、この世界はすべて空であると言いますが、それはすべてが『私の頭の中』で創り上げたことだということです。

私の頭が創り上げた物語の中で苦しみがあるのなら、その物語から離れることが出来たら、苦しみも消えるわけです。

そのことを『今を生きる』と言っているのです。

今日は『苦しみがあるのは『私の頭の中』だけ』と題して、私の頭の中について考えます

 

世界一、幸せなみなさんへ

今日も読んでいただき
感謝しています。

そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。

くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。

くろちゃんは、
世界一幸運です。

毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。

苦しみがあるのは『私の頭の中』だけ

尊敬する人は『私』の頭が創り上げたもの

憧れの人とか尊敬する人がいます。

昨日、絶対的な幸福と相対的な幸福について書きました。

他人と比較するというのは幸福だけではありません。

何ごとにおいても比較することで物事を認識しています。

憧れの人や尊敬する人もそうです。

憧れの人や尊敬する人というのは、『私』の反転した姿です。

『私』にないモノをすべて持っている人が憧れの人であり、尊敬する人です。

ですが、それは『私』の頭が創り上げたもので、実際にそうかはわかりません。

僕が憧れる人といえば、お釈迦さまとか親鸞聖人とか松下幸之助とか。生きている人でいえばイチローとか。

すべての人が職業も違えば成し遂げたことも違いますが、これらの人たちのすべてというわけではなく、どこか一部が僕の憧れであり、それは僕にないものなわけです。

イチローといえば歴史に名が残るほどの野球選手ですが、野球選手という部分に憧れているわけではありません。

その生き様や自分との向き合い方、そしてそれを野球に活かす姿勢、それを日常生活に落とし込んでいる姿に憧れ、尊敬しているわけです。

それは僕にはまだ出来ていないことをあたかもイチローがやっているというふうに僕の目に映っているということです。

ですが、お釈迦さまでも親鸞聖人でも、生きているイチローにだって会ったことはないのです。

本当にそうかはわかりません。

イチローだって人間です。

こうしたいと思って出来ないことだってあるでしょう。

ワールド・ベースボール・クラシックの韓国戦で怒りをあらわにするイチローの姿もありました。

聖人君子は、実際は聖人君子ではないのです。

『私の頭の中』でだけ聖人君子なのです。

『私』も実は存在しない

憧れの人は『私の頭の中』で創り上げます。でも実際にはそんな人はいないのです。

イチローがいないと言っているのではありません。

『私』が頭の中で”こんな人”だと思っているようなイチローはいないのです。

繰り返しますが、それは『私』が思っている私の反転した姿であって、実際には存在しません。

そして一番肝心なことは、その『私』も実は存在しないということです。

物理的は『私』、肉体としての『私』は、確かに存在しています。(それも本当は怪しいですが(笑))

ですが、『私』が思っている『私ってこんな人』は尊敬する人と同じように『私』が頭の中で創り上げたものです。

確かに傾向として、優しい私とか、心が温かい私とか、わがままな私とか、押しが強い私とか。

そういう傾向は人それぞれあると思います。

ですが、時には優しいし、時には自分勝手だし、時に怒りっぽいし。その時その時、『私』はコロコロ変わります。

変わらず確かな『私』は存在しないのです。

尊敬する人も本当はいないし、いつも変わらない確かな『私』もいない。

では、確かに在るものは何か?

それが『今』です。

『私』の頭が創った物語

ほとんどの時、『私』の頭が創り出した想像、物語の中で『私』は生きています。

『私』でさえ頭が創り出した物語の登場人物なわけです。

『私』の目の前に現れる人物は、すべて『私』の頭が創り上げた”こういう人”という役柄を演じています。

この世界は例外なくすべてが『私』の頭が創り上げたもので構成されています。

苦しみも喜びも、その物語の一部です。

やはり『私』の頭が創り出しています。

たとえ、他人から嫌われたり、反りが合わなかったりしてもそれも物語です。

『私』に物語があるように他人にも物語があって、お互いに『私』の物語を生きています。

今日のお話にはオチはありません。

何か提案があるわけでもありません。

ただ、”そうだ”ということです。

精神世界では、この世界のことを映画に喩えます。私たちが現実だと思っているこの世界は実は映画のようなもので、『本当の私』はスクリーンの外で見ている観客なのだと。

例えばそういうことです。

だったら、苦しみは苦しみではないですよね。

映画の中で起こっている出来事であって本当ではない。

喜びだって同じですが、喜びは喜びですからそのまま物語の中で喜んでいればいいですが、苦しみは物語なのだと気づいた方が楽になります。

だから、苦しいときにはこの話を思い出してください。

そして物語からいったん離れて『今』に戻ってください。

そこに苦しみはありません。

苦しみがあるのは『私』の頭が創った物語の中だけだからです。

苦しみがあるのは『私の頭の中』だけのまとめ

今日は『苦しみがあるのは『私の頭の中』だけ』と題して、私の頭の中について考えました。

尊敬する人は『私』の頭が創り上げたもの 
憧れの人や尊敬する人というのは、『私』の反転した姿です。
『私』にないモノをすべて持っている人が憧れの人であり、尊敬する人です。
ですが、それは『私』の頭が創り上げたもので、実際にそうかはわかりません。

『私』も実は存在しない  
一番肝心なことは、その『私』も実は存在しないということです。
物理的は『私』、肉体としての『私』は、確かに存在しています。(それも本当は怪しいですが(笑))
ですが、『私』が思っている『私ってこんな人』は尊敬する人と同じように『私』が頭の中で創り上げたものです。

『私』の頭が創った物語  
苦しいときにはこの話を思い出してください。
そして物語からいったん離れて『今』に戻ってください。
そこに苦しみはありません。
苦しみがあるのは『私』の頭が創った物語の中だけだからです。

今日も読んでいただきありがとうございます。

 

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