沈黙の螺旋に巻き込まれるな|すべての人の合意点を探る

沈黙の螺旋理論という言葉をはじめて聞きました。
聞いてみると”あるある”ですね。
理論だということは多くの人にみられる傾向だということ。
それに関連して夫婦別姓(氏)についても思っていることを書かきました。
今日『沈黙の螺旋に巻き込まれるな|すべての人の合意点を探る』とか題してる、沈黙の螺旋理論について考えます。
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沈黙の螺旋に巻き込まれるな|すべての人の合意点を探る
沈黙の螺旋
秋のドラマでかなり好評の西島秀俊さん主演『真犯人フラグ』の中で沈黙の螺旋理論の話しが出てきます。
11月7日(日)放送の第4話『罠だらけの会見!!ご近所さんの危険な秘密』の中で『沈黙の螺旋理論』という言葉を初めて聞いたのですが、なるほどと思いましたので、沈黙の螺旋理論から感じたことをテーマに今日は書いていきたいと思います。
※少しですがドラマのネタバレがありますので、まだご覧でない方は読むのをお控えください。

沈黙の螺旋理論とは、1973年にドイツの政治学者E.ノエル=ノイマンによって提唱されました。
人は自分が多数派だと思うと、公の場でも声を大にして自分の意見を言うようになります。
逆に自分が少数派だと思うと、孤立することを恐れて沈黙を保つようになります。
多数派の声は大きくなり、少数派が沈黙することで、本当は同程度の意見であってもあたかも多数派の方が多いような世論が形成される状態を沈黙の螺旋とノイマンは名付けました。
たとえば政党Aと政党Bがあったとします。
本当は政党A49で政党B51という同程度の勢力であってもマスメディアが政党Bが優勢と報道をすると、政党Bを支持している人たちは自分は多数派だと思い公の場で声を大にして『自分は政党Bを応援している』と言いやすくなります。
一方政党Aを応援している人たちは自分が少数派だと思うので孤立を恐れて沈黙をしてしまいます。
そうすると本当は同程度なのに、政党Bの支持者ばかりの声が聞こえるようになり、あたかも世間では政党B支持者が多数派であるという世論が形成されて実際の選挙でも政党Bが圧勝するということが起こるというのです。
人は孤立するのが怖いから自分が少数派になるのを恐れて、多数派の意見に同調することで安心しようとします。
本当はそれほど関心がなかったり、確固とした自分の意見がなかったとしても多数派に乗っかることで、とりあえず孤立していないという安心感を得ようとするのです。

昨年は、女子プロレスラーの木村花さんがネットで炎上して自殺をされました。
これも沈黙の螺旋が木村花さんを追い詰めてしまったのかもしれません。
ニュースになるまで、そもそも木村花さんのことを知らなかった人の方が多かったのではないでしょうか?
ということは、本当に関心があった人が多かったとは思えません。
しかし、きっとご本人にとっては周りの人がみな敵に見えてしまっていたのだろうと思います。
ドラマの中でも、世間で犯人ではないかと疑われている旦那(西島秀俊)が『本当にみんな俺のこと犯人だと思ってるのかな?テレビもネットも俺を責めるような内容ばっかりで目につくものみんな敵にみえちゃって』というセリフがあります。
芳根京子さん演じる二宮瑞穂が『実際は、ほんのわずかな差しかないのに、少数派は沈黙しているから目につかない。逆に多数派は発言量が多くて目立つ。だから実際よりも大きな数の差があるような印象になっちゃうんです。見えていないだけで課長の見方は多いと思いますよ』と言って上司の相良凌介(西島秀俊)を慰めます。
沈黙の螺旋理論を知ると、自分の感じている印象を疑ってみることは大切だということを思います。
人間はありのままに物事をみることが出来ません。
もちろん物理的に見えないということもありますが、見えたとしても何かしら解釈をしてジャッジをしようとします。
ポジティブに解釈出来る場合はそれほど問題はないのですが、ネガティブにしか解釈出来ないときに『それは本当なのか?』と疑ってみる必要があると思うのです。
そうしないと、ただ見えていないだけの意見まで、自分と反対意見のように感じて自分を苦しめてしまうからです。
更にいうなら他人の意見はあくまでも他人の意見であるということをしっかりと自分自身が認識していないと、沈黙の螺旋理論に巻き込まれて自分を苦しめてしまいます。
この沈黙の螺旋がいわゆる空気(ムード)を作ってしまうからです。
すべての人の合意点を探る
最近では少数派の意見も尊重しなければいけないという風潮にあります。
ジェンダー問題や選択的夫婦別姓(氏)問題などがそうです。
いわゆるマイノリティ(少数派)と言われる人たちの意見を社会に反映しようという動きです。
それ自体は大賛成です。
しかし、そうなると、どこまでの少数派を救うのか?という部分が問題になります。
同性婚を認めるとなると、それ以外の婚姻についてはどうなのか?
一夫多妻もいいんじゃないかとか、兄弟や親子の結婚だっていいんじゃないかという意見まで出てくる可能性があります。
あくまで可能性ですが、ありえないとはいえないわけです。
一夫多妻は他の国にいけば合法の国もあって、夫婦別姓(氏)も他国では当たり前だから日本でもそうすべきだと言う声があるようです。
ですが、さすがに兄弟や親子の結婚はかなり違和感があります。
そこまでは認めないということになると、そもそもマイノリティを救うという話しだったはずなのに、そこまでマイノリティな意見は切り捨てるんだという話になって矛盾してしまいます。
ジェンダー問題や夫婦別姓(氏)問題でも同じことですが、マイノリティと言われる人たちが本当に求めていることは何なのか?が大切です。
人間はみな幸せになるために生きています。
行動も発言もそのためです。
同性婚をしたい、ジェンダー平等を実現する、夫婦別姓(氏)を導入するなど、それそのものが目的ではなくて、それが達成されれば幸せになれると思っているからです。
では、目的の目的である幸せになる方法として、少数派でも多数派でもみんなが合意できる方法は他にないのか?
そういう方法を模索することが出来るなら素晴らしいなと思います。
長く続いたことには意味がある
珍しく個人的な意見を書かせてもらうと選択的夫婦別姓(氏)問題については反対の立場です。
それは日本の伝統だからです。
もし逆に夫婦別姓(氏)が昔からの日本の伝統ならそれを大切にすべきだと思います。
今は少子化で、家を継ぐという意識が薄れてきたように思います。
昔は子だくさんで、子のうち誰が家を継ぐのかということが伝統的に決まっていることで禍根を残さないということが暗黙のうちに大事にされていたのではないかと思います。
それが家制度のひとつの意義だと認識しています。
現代では少子化で、その必要がないという考えもあると思いますが、僕は逆だと考えています。
その伝統を軽んじてきたことが少子化につながったと思っています。
どういうことかというと、昔はお金がない未熟な若者でも結婚して子が産まれれば家で子を育ててくれたわけです。
現代は子ができたら未熟な若い夫婦だけで子を育てないといけません。
それは不安で子どもを作ることが出来ないというのが現代の事情ではないかと思います。
夫婦が同じ氏を名乗る。親子そして孫が同じひとつの家族になることでひとつの家族、一家になるという意識を自然と持てたと思うのです。
家を守るは、家族を守るということです。
だから若い夫婦でもたくさんの子を産むことが出来たのです。
1947年に家制度は廃止されましたが、夫婦が同じ姓を名乗るというのは家制度の名残です。
もちろん家制度がなんでも取りこぼしのない素晴らしい制度だとは思いません。
女性などは、夫の家に入るという制度の中で苦しんだ人もあると思います。
ただ、どんなことにも良いことと、悪いことがあります。
良いことと悪いことを天秤にかけて良いことの方が多いから、それが伝統として守られてきたはずです。
だからといって、なんでもかんでも伝統を崩してはいけないとも思いません。
時代の変化とともに変えないといけないこともあると思います。
その場合はよほど慎重に変えないといけないと思います。
間違っても沈黙の螺旋理論であたかも多数派の意見のようにみえたものが選ばれてはいけないと思うのです。
というのは反対とか改革という人の方が声が大きいからです。
『そのままでいい人』『関心のない人』は、声をあげなかったり、沈黙の螺旋で多数派っぽい意見に同調されていくからです。
長く続いただけで正義だとは思いませんが、長く続いたこと、長く支持されてきたことにはそれなりの意味があると思うのです。
沈黙の螺旋に巻き込まれるな|すべての人の合意点を探るのまとめ
今日『沈黙の螺旋に巻き込まれるな|すべての人の合意点を探る』とか題してる、沈黙の螺旋理論について考えました。
沈黙の螺旋
他人の意見はあくまでも他人の意見であるということをしっかりと自分自身が認識していないと、沈黙の螺旋理論に巻き込まれて自分を苦しめてしまいます。
この沈黙の螺旋がいわゆる空気(ムード)を作ってしまうからです。
すべての人の合意点を探る
目的の目的である幸せになる方法として、少数派でも多数派でもみんなが合意できる方法は他にないのか?
そういう方法を模索することが出来るなら素晴らしいなと思います。
長く続いたことには意味がある
どんなことにも良いことと、悪いことがあります。
良いことと悪いことを天秤にかけて良いことの方が多いから、それが伝統として守られてきたはずです。
だからといって、なんでもかんでも伝統を崩してはいけないとも思いません。
時代の変化とともに変えないといけないこともあると思います。
その場合はよほど慎重に変えないといけないと思います。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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