人間の私と神の私

『人間の私と神の私』という怪しいタイトルですので怪しい話しをします。
こういう怪しい話しをよく書きますが、大前提として思っているのは、こういう話しが本当かどうかはそれほど重要ではなくて、どういう考え方で世の中を捉えるかが大切で、そのひとつの捉え方の提案だと思っています。
要は幸せになれたり、苦しみから救われることが目的ですから本当かどうかはあまり重要ではないと考えているのです。
今日『人間の私と神の私』とか題してる、人間の私と神の私について考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
人間の私と神の私
人間の私と神の私
今日話したい内容というのは『人間の私』と『神の私』という話です。
どういうことかというと、人間の私というのは怒ったり泣いたり喜んだり感情がある私のことです。
一方、神の私というのは、全てを見通していて、この世界で起こっていることは、ただ起こっているだけだと知っている私です。
この世界で起こっていることはただ出来事が起こっているだけです。
それに対して私たちは様々な解釈をして世の中を見ています。
人間の私はそれに対して一喜一憂しているわけです。
何とかして人生を好転させたい。人生を幸せなものにしたいと思って頑張っています。
しかし、その全てが実はただ起こっているだけで、それに対して人生を今よりもよくしたいと人間の私が思っているのだと神の私は知っています。
通常は、神の私はなりを潜めていると言うか、自分の中にはあるという認識がないので見通してもいないし知っているという感覚もないですよね。
私の中にあるというから、また誤解を招きます。
そうじゃなくて、この世界が私で、それが神の私です。その世界の中に人間の私がいるんです。
人間のあなたもいます。
誤解を招くと思いますので、念ために言っておきますが、神というのもたとえです。
自分が神様だという意味ではありません。
自分が神様でもある意味あってはいますが、全知全能の神とか、全てを司っている存在とかそういう意味ではありません。
大いなる存在と言ってもいいし、老子の道(タオ)でもいいし、村上和雄先生のサムシンググレートでもなんでもいいわけです。
神様自体が人間が創った概念ですからなんでもいいのです。
たとえば、そういう存在ということです。
神の私に気づくとホッとする
人間の私が神の私になると幸せになるとか、人を嫌いにならないとか、感情的にならず聖人君子でいられるとか、そういうことではないんですね。
確かに神の私は、起こった出来事をただ起こっていると見通しているので感情的にはならないとは思いますが、しかしそれは人間の私がなくなるということではありません。
神の私が人間の私を通してこの世界を見ているのですから、両方同時に存在しています。
(逆を言えば、人間の私が消えると神の私も消えるわけです。)
感情的になる人間の私もいて、なるときはなるし、ならないときはならないだけの話しです。
ですから、人間の私から神の私になろうとする行為。
たとえば、それを悟りとか目覚めだと思っているとしたらそれは間違いだと言わないといけません。
目覚めるとは『神の私』の存在に気づくだけのことですから。
人間の私も神の私も恐らく、いえ断定していいと思います。死ぬまで存在します。
神の私に気づくと偉いとか、幸せになるとか、そういう話しでもありません。
ただ、気づくとホッとはすると思います。
なんだ夢だったのか!?みたいなことです。
だから目覚めなんです。(笑)
神の私の存在に気づくと救われる
神の私の存在に気づくときの話しです。
例えばですが、ほんとはわかっているという事ってありますよね?
すごく感情的になっていて怒っているけども本当は何が正しいか分かっている。
そういうことってありますよね?
そういう感覚がもっともっとクリアになって本当はわかっているを自覚し続けている感じです。
正しいとか、間違っているということは、すべてのことにおいて実際はないんですけど、あえて言葉にすると何が正しいかわかっている私です。
それが神の私です。
普段は人間の私としてやはり同じ人間のあなたとこの世界で暮らしています。
そして、神の私に気づいていなければ『人間の私』だけが私だと思っていますが、実は神の私がいるんだということを知っているということです。
これは神の私に気づかないといけないという話ではありません。
気づいても気づかなくてもいいです。
気づいても気づかなくても幸せにはまったく関係がありません。
ですが、四苦八苦の人生の苦しみから救われるとしたら神の私の存在に気づく以外に方法はない。
そう思っています。
人間の私と神の私のまとめ
今日『人間の私と神の私』とか題してる、人間の私と神の私について考えました。
人間の私と神の私
私の中にあるというから、また誤解を招きます。
そうじゃなくて、この世界が私で、それが神の私です。その世界の中に人間の私がいるんです。
人間のあなたもいます。
神の私に気づくとホッとする
神の私に気づくと偉いとか、幸せになるとか、そういう話しでもありません。
ただ、気づくとホッとはすると思います。
なんだ夢だったのか!?みたいなことです。
だから目覚めなんです。(笑)
神の私の存在に気づく救われる
これは神の私に気づかないといけないという話ではありません。
気づいても気づかなくてもいいです。
気づいても気づかなくても幸せにはまったく関係がありません。
ですが、四苦八苦の人生の苦しみから救われるとしたら神の私の存在に気づく以外に方法はない。
そう思っています。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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