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人間は皆平等の落とし穴

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平等という言葉を切り口に人間の心の性質についてのお話になります。

脳科学の『心の理論』は、相手の立場を想像する力のことですが、それは自分と相手が同じだという思い込みから起こっている推論です。

間違ってはいませんが、人間は一人ひとり違います。

だから、人間は皆平等と言った場合、どのレベルでそれを言うかで落とし穴が存在するのです。

今日は『人間は皆平等の落とし穴』と題して、人間の心について考えます。

 

世界一、幸せなみなさんへ

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人間は皆平等の落とし穴

人間は皆平等の落とし穴

心の理論というものがあります。

心の理論とは、他者の心を類推し、理解する能力のことです。

例えに使われるのが『サリー・アン課題』といわれるものです。

サリーとアンは最初、同じ部屋にいる。

部屋にはサリーのカゴとアンの箱が置かれている。

サリーがビー玉をカゴに入れる。

そしてサリーは部屋の外に出ていき、その間にアンがビー玉を自分の箱に移動する。

最後にサリーが部屋に戻ってきて、ビー玉を取り出そうとする。

この様子を3歳児と5歳児に見せて、『サリーはカゴと箱のどちらを探すか?』と問うと3歳児は箱と答えるけれど、5歳児くらいになるとカゴと答える、という実験結果があります。

どういうことかというと、サリーはアンがビー玉をカゴから箱に移していることは知らないわけです。
だからカゴを探すだろうと5歳児は推論するというわけです。
3歳児は自分の知識がすべてなので、自分が知っている箱と答えるのです。

人間とチンパンジーは3歳くらいまではチンパンジーの方が発達が速く優秀ですが、4歳くらいから逆転するといわれています。

それはこの心の発達の差だと言われているのです。

つまり相手の立場に立ってモノを考えるということが出来るようになります。

相手の立場に立つというのは、自分と相手を交換してるということです。

つまり、自分と相手は同じだと認識しているということです。

人間は皆平等という考え方の根っこには、相手と自分は交換できる存在で相手の立場に立ってモノを考えることを良しとするというところがあります。

悪いことだと言っているわけではないんですよ。

心の理論は、相手の立場を想像することが出来る力です。

しかし、実際は若い人もいれば年寄りもいて、お金持ちもいれば貧乏な人もいます。

頭で考えると人間は平等ですが、感覚で捉えると人は皆違います。

人間は皆平等というのは、生命というレベルにおいては平等といえますが、実際は人間は一人ひとり違います。

本当の意味で相手の立場に立とう思うなら、違いを認識した上で相手の立場に立たないと、それは相手の立場に立ったことにならないだろうと思います。

落とし穴とはそういうことですね。

先程も述べましたが、生命というレベルにおいて人間は皆平等だというのは大切な考え方だと思います。

だから、置かれた環境や立場が違っても相手を尊重しなければいけないといえるのです。

受け入れるべき痛み

自分を大切にできない人は、他人を大切にできないというのはどういう意味なんでしょうか?
他人への思いやりが欠けている人は、自分の事も大切にできていないのですか?

というyahoo知恵袋の質問に回答しました。

2015年に西島秀俊さん主演の『無痛〜診える眼〜』というドラマがありました。

「痛み」をひとつのキーワードに、「神の診察眼」を持つ医師の活躍を描いたドラマでした。

無痛は痛みを緩和するのではなくて、痛みをそもそも感じないという意味です。

痛みを感じないということは、恐怖がないということです。

恐怖がないなんてそれだけを聞けば、すごいことだし、それは楽だろうと夢のような話かもしれません。

しかし、痛みを感じないということは、自分の身に差し迫った危険を察知することもできず、身を守ることもできないということであり、きわめて危険な諸刃の剣です。

これは身体的な話ですが、痛みを感じないということは、自分の言葉や行動が他人を傷つけたとしても、それに対して何も感じないということでもあります。

心も無痛だということです。

自分が殴られたら痛いから、相手も殴られたら痛いだろうと思う。だから簡単に人を殴ることは出来ません。

それがわからないということです。

ドラマ『無痛〜診える眼〜』の中に『受け入れるべき痛みが人間にはあるのかもしれません』という言葉が出てきます。

自分を大切に出来ないということは、自分を粗末に扱ったとしても心が傷つかない無痛状態です。

自分が無痛だから、他人の痛みもわかりません。

ですから自分を大切に出来ない人は他人のことも大切にしません。

しないといけない意味がわからないのだと考えられます。

だから人間には痛い思いをする経験が必要です。

痛みを知らない人は痛みに無頓着で、無神経になってしまうからです。

追伸

話が平等から少し逸れてしまいましたが、人は平等であるということと、他人の心を推論するということ、そして痛みを感じるというあたりは心というキーワードでつながっていると思います。

どれも心が創り出しているということです。

どれも本当のことですから、どれかを優先すると正しく見通せないですね。

思いやるのも心ならば、粗末に扱ってしまうのも心、そして痛みを感じるのも心です。

繰り返しになりますが、生命は平等ということに行き着くと思います。

確かに一人ひとりは違います。

しかし、その根っこにある生命は皆平等です。

ですから、心の性質を出来る限り理解して、広い心で受け入れたり、想像することが必要だなと思います。

人間は皆平等の落とし穴のまとめ

今日は『人間は皆平等の落とし穴』と題して、人間の心について考えました。

人間は皆平等の落とし穴 
人間は皆平等というのは、生命というレベルにおいては平等といえますが、実際は人間は一人ひとり違います。
本当の意味で相手の立場に立とう思うなら、違いを認識した上で相手の立場に立たないと、それは相手の立場に立ったことにならないだろうと思います。
落とし穴とはそういうことですね。

受け入れるべき痛み 
自分を大切にできない人は、他人を大切にできないのか?
自分を大切に出来ないということは、自分を粗末に扱ったとしても心が傷つかない無痛状態です。
自分が無痛だから、他人の痛みもわかりません。
ですから自分を大切に出来ない人は他人のことも大切にしません。

今日も読んでいただきありがとうございます。

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