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すべてを受け入れるとは、どんな自分も受け入れること

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『すべてを受け入れる』、すごく貴い生き方です。

どんなことも受け入れ、許し、愛する貴い心。

他人の行為や存在だけではありません。

本当に受け入れたいのは自分自身のことなのです。

今日は『すべてを受け入れるとは、どんな自分も受け入れること』と題して、すべてを受け入れる心を磨くことの大切さについて考えます。

 

世界一、幸せなみなさんへ

今日も読んでいただき
感謝しています。

そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。

くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。

くろちゃんは、
世界一幸運です。

毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。

すべてを受け入れるとは

すべてを受け入れるとは、どんな人もどんな事も、受け入れ、許し、愛することです。

”受け入れる”ということは、本来は受け入れ難く、許し難く、愛せないことなのです。

それを考え方、見方、解釈を変えて受け入れるということです。

本来、受け入れ難いものを受け入れる心を持つことが貴いのです。

はじめからすべてを受け入れられることが貴いのではありません。受け入れ難いことを受け入れることが貴いのです。

どんな人間にも正しさがあります。

正しさとは、信じていることです。

親や目上の人は敬うもの。物は大切にする。横断歩道は赤信号では渡らない。

他にも色々あると思いますが、生まれてからたくさんのことを教え刷り込まれてきました。

そして、それが自分が正しいと信じていることなのです。

当たり前のことばかりだと思う人もいるかもしれませんが、そう信じていない人だっているでしょう。

正しさは人それぞれ違うのです。

何が正しいかは問題ではありません。

自分が信じていることを受け入れることは出来るけど、そうでないものは受け入れ難いということです。

信じていることを受け入れることは簡単なのです。

自分がこれまで信じてこなかったことを受け入れることが今日のテーマです。

すべてを受け入れられないのは

そうですね。もしも生まれてから、人間にはそれぞれ信じていることがあって、それぞれに正しさがあるのだと。教え刷り込まれていたら、それが自分の信じていることになったかもしれません。

しかし、残念ながらそういうふうには教えられていません。

お箸はこう持ちなさい。ご飯は残さず食べなさい。手を洗いなさい。

たとえばこう教えられてきましたね。

だとすると、その反対は悪いことになります。

何が正解で何が不正解か。残念ながらそういうふうにしか物事を教えることが出来ません。

ですから善悪が出来てしまうのは仕方がないのです。

『お箸はこう持ちなさい。でもそうじゃない持ち方をする人もいるからね』なんて教えられたら子どもは混乱してしまいます。

ですから、すべての人間には正しさがあり、その反対は間違いなのです。

”ともいき”とはすべてを受け入れる生き方

『ともいき』という生き方、考え方は、すべてを受け入れる生き方です。

人間にはそれぞれ正しさがありますから、もちろん簡単ではありません。

しかし、それぞれに正しさがあるということは、見方、考え方を変えれば、今まで自分が間違いだと思っていたものが”正しい”に変わるということなのです。

理屈ではそうですが、だからといって受け入れることは簡単ではありません。

自分の正しさが侵されそうになると、怒りが湧き、守ろうとします。

相手だって同じことです。

お互いが自分の正しさを守るために争いになるのです。

もし、お互いがそれぞれに正しさがあるということを深く理解出来ると人と人が争いになることがなくなります。

最初に書いたように受け入れ難いことを受け入れる心を持つことがすべてを受け入れることですから。

最初に許せない気持ちや怒りがあってもいいのです。

『そうは言っても相手にも正しさがある』そう思えればいいのです。

すべてを受け入れるとは、どんな自分も受け入れること

自分の正しさがあり、その反対が間違いです。

その間違いを受け入れることが出来るということは、自分の中の間違いも受け入れることが出来るということです。

他人を受け入れるということは、自分をまるごと受け入れることでもあるのです。

自分にも正しいことを正しく行えることと、それに反して間違いを犯すことだってあります。

そのときに自分が許せなくなり、その積み重ねで自分を信じられなくなります。

そんな自分を受け入れ、許し、愛することが出来なければ、一生自分のことを信じられなくなります。

自分の人生で自分を信じられないほど、辛く虚しい人生はありません。

ぜひ、この考え方でリセットして自分のことを受け入れて欲しいと思います。

すべてを受け入れるとは、どんな自分も受け入れることのまとめ

今日は『すべてを受け入れるとは、どんな自分も受け入れること』と題して、すべてを受け入れる心を磨くことの大切さについて考えました

すべてを受け入れるとは
”受け入れる”ということは、本来は受け入れ難く、許し難く、愛せないことなのです。
それを考え方、見方、解釈を変えて受け入れるということです。
本来、受け入れ難いものを受け入れる心を持つことが貴いのです。

すべてを受け入れられないのは
何が正解で何が不正解か。残念ながらそういうふうにしか物事を教えることが出来ません。
ですから善悪が出来てしまうのは仕方がないのです。

”ともいき”とはすべてを受け入れる生き方
それぞれに正しさがあるということは、見方、考え方を変えれば、今まで自分が間違いだと思っていたものが”正しい”に変わるということなのです。

すべてを受け入れるとは、どんな自分も受け入れること
自分の正しさがあり、その反対が間違いです。
その間違いを受け入れることが出来るということは、自分の中の間違いも受け入れることが出来るということです。
他人を受け入れるということは、自分をまるごと受け入れることでもあるのです。

今日も読んでいただきありがとうございます。

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