どっちでも大丈夫な生き方がしたい|すべてが正解という世界
どっちも大丈夫というのは、どっちでもいいという意味ではありません。
すべてOK!すべて正解ということです。
とても素晴らしい。とても美しい生き方です。
今日は『どっちでも大丈夫な生き方がしたい|すべてが正解という世界』と題して、すべてが正解という世界について考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
どっちでも大丈夫な生き方がしたい|すべてが正解という世界
どっちでも大丈夫な生き方がしたい
是か非か、善か悪か、正解か不正解か。この世界には、二つの意見があるように『私』には感じられます。
ですが、本当はこの世界には、二つの意見があるのではなく、人の数だけ意見があって、二つの意見があるのは、実は『私』の中だけです。
『私』が正解と思っている意見と、そうでない意見。つまり不正解です。
ですが、世界は『私』の心を投影していますから、まるで世界には二つの意見があるかのように『私』には感じられるのです。
それを冷静に見抜くことが出来たら、どっちでも大丈夫な生き方をしたいと思います。
意見は人の数だけあり、絶対的な正解があるわけではありません。
どっちでも大丈夫というのはどれが正解でも大丈夫という意味ではなく、すべてOKという意味です。
結果が出た後で、どちらが正解でも大丈夫なのではなく、結果が出る前からすべて正解という態度です。
簡単ではありませんが、そんな生き方で日々生きていけたら素晴らしいと思います。
すべてが正解という世界
生きていれば諸問題を抱えていることでしょう。
すべてが正解なんて、そんなのは到底無理だと思うかもしれません。
ですが、仮に、すべてが正解という心になれたら、それはそれはとても幸せな気持ちになります。
どんな問題が起こっても、答えは決まっているのです。
すべて正解です。
問題は、問題が起こった時点で、すでに問題ではないのです。
誤解がないようにもう少し説明をすると、どんな事にも強みと弱みがあったり、良いところも悪いところもあります。
すべて正解は、言い換えるとすべて不正解でもあります。
『私』が物事のどこを見るか?が問われています。
すべて正解とは、物事の良いところを見るということを決めておくということです。
いつでも、誰とでも、良いところを見ると決めておきます。
いざ、その時には、出来るときも出来ないときもあると思いますが、今この瞬間は、そう決めておきます。
それだけで日々穏やかに過ごすことが出来ます。
いざ、その時に出来なかったとしても、思い出したら、物事の良い部分を見るようにします。
大切なのはそんな生き方を心がけることです。
選ばれたから正しいというわけではない
ディベートは、肯定、否定のチームに分かれて、議論をし、第三者を説得するというゲームのようなものです。
自分の意見とチームの意見は別で、自分の意見と違ったとしてもチームの意見として理論を立て、相手チームの立論の矛盾をつき反証をします。
問題の本質がわかっていなければ、自分と違う意見の立論も出来ないし、逆に自分と同じ意見の反証も出来ません。
絶対的な正しさや間違いを信じがちだとディベートはうまくいきません。
ディベートがうまい人は、自分の意見とは関係なしに、どちら側のチームになったとしても冷静に問題の本質をつかんで、立論と反証が出来るのです。
『私』の正しさや正義はあってもいいのですが、それはあくまでもたくさんの意見のひとつであるということの自覚があればいいのです。
他人には他人の意見があります。
実はどちらを採用しても良い面も悪い面もあります。
その本質がわかった上でどちらを採用するのか?
すべてが正解といっても現実世界では、何かを選んでいかないといけません。
選ばれたから正しいというわけではないことも大切な本質のひとつです。
どっちでも大丈夫な生き方がしたい|すべてが正解という世界のまとめ
今日は『どっちでも大丈夫な生き方がしたい|すべてが正解という世界』と題して、すべてが正解という世界について考えました。
どっちでも大丈夫な生き方がしたい
意見は人の数だけあり、絶対的な正解があるわけではありません。
どっちでも大丈夫というのはどれが正解でも大丈夫という意味ではなく、すべてOKという意味です。
結果が出た後で、どちらが正解でも大丈夫なのではなく、結果が出る前からすべて正解という態度です。
簡単ではありませんが、そんな生き方で日々生きていけたら素晴らしいと思います。
すべてが正解という世界
すべて正解は、言い換えるとすべて不正解でもあります。
『私』が物事のどこを見るか?が問われています。
すべて正解とは、物事の良いところを見るということを決めておくということです。
いつでも、誰とでも、良いところを見ると決めておきます。
いざ、その時には、出来るときも出来ないときもあると思いますが、今この瞬間は、そう決めておきます。
それだけで日々穏やかに過ごすことが出来ます。
いざ、その時に出来なかったとしても、思い出したら、物事の良い部分を見るようにします。
大切なのはそんな生き方を心がけることです。
選ばれたから正しいというわけではない
どちらを採用しても良い面も悪い面もあります。
その本質がわかった上でどちらを採用するのか?
すべてが正解といっても現実世界では、何かを選んでいかないといけません。
選ばれたから正しいというわけではないことも大切な本質のひとつです。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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