全部が正解|人生に正解も不正解も成功も失敗もない
中庸という言葉は、『片寄らず中正なこと』という解釈から、真ん中を取るというふうに誤解されていると思います。
ですが真ん中は存在しません。
中庸とは、すべてを正解にするという考え方です。
今日は『全部が正解|人生に正解も不正解も成功も失敗もない』と題して、全部が正解について考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
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くろちゃんです。
全部が正解|人生に正解も不正解も成功も失敗もない
すべて正解だという景色がある
『私』たちは、自分が信じていることが正解だと思っています。
ですから、それ以外はすべて不正解だと思っているわけです。
あるいは、他人が正解なら自分が不正解と思っています。
他人と意見が違うのは、人それぞれ信じていることが違うからです。
人それぞれに正解があるというわけです。
それ自体が問題なのではなく、意見が違うことで争ったり、いがみ合ったりしてしまうことが問題なのです。
他人と意見が違うこと自体は誰もが知っているのですが、知っていることと認めることは別物です。
誰もが自分の意見が正しいと思っていて、自分の思い通りにならないことを嫌います。
相手を自分の意見に寄せようとしてしまいます。
当たり前ですが、そんなに簡単に思った通りにはなりません。
自分が信じたことを簡単には変えられないように、相手だって変えられません。
相手と意見が違うことじたいが苦しみなのではなく、相手の意見を変えようとすることが苦しみになるのです。
中庸という概念が身につくと、自分の信じたことが正解ではなく、すべて正解だという景色が見えてきます。
中庸は、簡単に言うと全部正解
中庸は真ん中ではなく全体のことです。
ですから、どちらが正解ではなく、どちらも正解です。
『片寄らず中正なこと』という解釈から、どちらにも寄らない真ん中を選ぶことだと誤解されることがあります。
それでは真ん中が正解で、真ん中以外は不正解ということになってしまいます。
それでは結局、どちらかに寄ってしまいます。
本当に真ん中がとれるなら、それはそれで公正かもしれませんが、真ん中というのはあってないようなものです。
真ん中はどこですか?と聞かれて、『ココ』と指したら、その真ん中は?と、更に真ん中が生まれてしまいます。
『ココ』と指したら、更にその真ん中は?というふうに永遠に真ん中を見つけることは出来ません。
ですから、真ん中というのは概念としては確かに在るけれど無いようなものなのです。
では、何が公正か?
それが中庸という概念です。
中庸は、真ん中でも真ん中以外でもない全体ということです。
簡単に言うと全部正解ということです。
全部が正解?
物事には必ず正解があると信じている人には、それこそ信じがたいことですが、正解というのはひとつではないのです。
自分が選んだ人生は全部正解
月並みですが『人間万事塞翁が馬』の故事がそれを表しています。
その時だけを切りとれば、確かに正解不正解を決めることが出来ます。
ですが、それを起源に次の出来事が起こり、それが正解となるかもしれません。
ということは、最初の不正解がなければ後の正解はなかったことになります。
今だけでは正解不正解は決められないのです。
また、ひとつの出来事には良いことと悪いことの両方の要素が必ずあります。
たとえば、戦争というのは絶対悪である。
日本人なら多くの人がそう教育されています。
ですが、戦争が起こると軍需が起き景気が良くなることは知られています。
日本も第一次世界大戦では大戦景気といって、海外需要の急増によって輸出が増加し、海運業・造船業を中心に大きな利益が生まれたそうです。
戦争でさえ、良い面と悪い面があるのです。
巷で起こる出来事であれば推して知るべしです。
ひとつの出来事を時間空間を超えた視点で見た場合、正解はひとつではないことがわかります。
ですからすべて正解という概念が成り立つのです。
つまり中庸です。
もし、他人と自分の意見や考え方に違いがあって苦しんでいる人がいたら、ぜひ中庸という概念を知り、自分と相手の意見をありのままに見て、良い面と悪い面がどちらにもあることを知ってください。
それだけでいいのです。
正解、不正解はありませんから、何かをする必要もありません。
何も変えなくていいのです。
自分がそれをわかりさえすればいいのです。
そして一番肝心なのは、中庸という概念で自分の人生を見ることです。
人生に正解も不正解も成功も失敗もありません。
自分が選んだ人生は全部正解なのです。
全部が正解|人生に正解も不正解も成功も失敗もないのまとめ
今日は『全部が正解|人生に正解も不正解も成功も失敗もない』と題して、全部が正解について考えました。
すべて正解だという景色がある
相手と意見が違うことじたいが苦しみなのではなく、相手の意見を変えようとすることが苦しみになるのです。
中庸という概念が身につくと、自分の信じたことが正解ではなく、すべて正解だという景色が見えてきます。
中庸は、簡単に言うと全部正解
中庸は、真ん中でも真ん中以外でもない全体ということです。
簡単に言うと全部正解ということです。
全部が正解?
物事には必ず正解があると信じている人には、それこそ信じがたいことですが、正解というのはひとつではないのです。
自分が選んだ人生は全部正解
一番肝心なのは、中庸という概念で自分の人生を見ることです。
人生に正解も不正解も成功も失敗もありません。
自分が選んだ人生は全部正解なのです。
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