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リハビリの夜|受け入れ方を学ぶ

自分が見えていないことを見ないと人は気づけません。

それも出来るだけ臨場感があった方がいいですね。

そういう意味で『リハビリの夜』は臨場感があって、自分に置き換えることが出来てよかったです。

今日は『リハビリの夜|受け入れ方を学ぶ』と題して、『リハビリの夜』から感じた受け入れるということについて考えます。

 

世界一、幸せなみなさんへ

今日も読んでいただき
感謝しています。

そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。

くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。

くろちゃんは、
世界一幸運です。

毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。

リハビリの夜|受け入れ方を学ぶ

リハビリの夜

『リハリビの夜』という熊谷晋一郎さんという脳性麻痺当事者のいわゆる体験談の本があります。
彼が今何をしているかというと小児科の医師です。

ですから『リハビリの夜』は、単なる体験談ではなく医学書院という出版社から出版された医学書でもあります。

本書は、身体が不自由な人のリハビリの体験談や日常生活、心の動きなどが事細かく、しかも健常者にも想像しやすい表現で書かれています。

私たちは当たり前のように移動をしたり、トイレをしたりします。

当たり前に出来ることを人間は深く考えません。

本書では、便意が体内で起こり排泄というゴールをむかえるまでの身体と心のこと。排泄に失敗した場合、いわゆる『失禁』した場合の身体と心のこと。介助者との関係性など。健常者では想像も出来ないことも教えてくれます。

身体というものの重大さというか、深さというか、人生に占める割合の大きさとか。

そういったことを嫌というほど感じることが出来ます。

そして身体の内外に関わらず、すべては連動した一連の動きによって起こっていることをリアルに認識させてくれます。

排泄というのは、健常者であれば、完全なプライベートで完結されるもので、他人が介在しないものです。

だから、私たちは当たり前のように自分の内と外を別物として考え、それが外と連続しているとは考えません。

排泄だけではありません。ひとりで出来るから外は関係ない、連続性がないのではないのです。

起こることはすべて連続していて、ひとつの流れの中にあるということなのです。

こんなくだりがあります。

身体を構成するパーツは、各々ばらばらに動いているわけではない。あるパーツの動きを他のパーツが拾って応答し、その応答をさらに別のパーツが拾うといった、動きや情報の流れがある。

これは自分の身体の中だけの話ではないと感じたのです。

自分の内も外も関係なく、この世はすべてそういった連続した動きの流れであるということです。

何が始まりで何が終わりなのか?

すべてがひとつの大きな流れです。

だとしたら、何が始まりで何が終わりなのか?何が成功で何が失敗なのか?

それをどうやって決めるのか?

リハビリの夜では失禁したときののことが書かれていますが、

失禁は、焦燥や不安が、悲しみや恥辱へ、ゆるゆると溶けていく過程だ。それは同時に腹痛という生理的な苦痛からの解放でもある。

失禁によって穢れ(けがれ)、多くのモノや人とのつながりを失ってしまった私の身体は、まずこのように、失禁介助者とのつながりを取り結ぶことになる。そして、失禁介助者とのつながりを通してきれいになった私の身体は、再び多くのモノや人とのつながりを回復するに至るのである。

失禁は、ただただ絶望的な失敗ではなくて、それによって解放される苦痛もあるし、失禁を始まりとして、再び世間とつながることが出来るという側面もあるのです。

また、失禁という体験が、身内以外の他人に介助してもらえるという経験と実感になり、著者に『なんとかなるさ』という自由をもたらしたのです。

私たちが日常生活や仕事で繰り返す失敗と何も変わらないし、むしろ私たち健常者の方がリカバリ可能な失敗なのにも関わらず、もっとクヨクヨしているなと感じるのです。

そして何をもって失敗というのか?何をもって成功というのか?決めることは出来ないなと思ったのです。

受け入れ方を学ぶ

こう思ったのです。

この世界の始まりはいつなのか?

すべての出来事はバラバラに起こるわけではなくて、次の出来事にバトンタッチしていくように、すべてが連動している。

これは間違いのない事実だと思います。

突然起こる出来事はありません。

人やモノも同じで突然生まれてくるものはありません。

人には必ず父母がいて、その父母にも父母がいます。

そして、何かしらの起源があって、その起源が起こった時点で、今この世界がこうなることは決まっていたんだろうと。

すべては大きな一枚の絵のようなモノなのではないかと。

時間とか空間というのは概念であって、そんなものは実際にはないのではないか?

私たちは、その一枚の絵のいち部分を切り取って、『私』とか『今ここ』と言っているにすぎないのではないかと。

すべてが決まっているのだから、未来を快適なものにしようとして何かをするのはナンセンスで意味がない。

起こることをどう受け入れていくかにしか意味はないのではないか。

苦痛と感じられるのは、流れとの衝突なのではないかと思うのです。

流れに乗ることが出来るとただただ快適になる。

人はそれを幸せと呼んでいる。そんな気がするのです。

何かを手に入れるために学ぶのではなく、流れに乗るために受け入れ方を学ばないといけないのではないでしょうか。

違ったとしても、その学びは必ず役に立ちますしね。(笑)

リハビリの夜|受け入れ方を学ぶのまとめ

今日は『リハビリの夜|受け入れ方を学ぶ』と題して、『リハビリの夜』から感じた受け入れるということについて考えました。

リハビリの夜 
当たり前に出来ることを人間は深く考えません。
本書では、便意が体内で起こり排泄というゴールをむかえるまでの身体と心のこと。排泄に失敗した場合、いわゆる『失禁』した場合の身体と心のこと。介助者との関係性など。健常者では想像も出来ないことも教えてくれます。

何が始まりで何が終わりなのか? 
失禁は、ただただ絶望的な失敗ではなくて、それによって解放される苦痛もあるし、失禁を始まりとして、再び世間とつながることが出来るという側面もあるのです。

受け入れ方を学ぶ 
すべてが決まっているのだから、未来を快適なものにしようとして何かをするのはナンセンスで意味がない。
起こることをどう受け入れていくかにしか意味はないのではないか。

今日も読んでいただきありがとうございます。

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