『頑張れ』という言葉は禁句? どう受け取るか?は本人次第 自分が聞きたいように聞く
頑張っている人に『頑張れ』という言葉を言ってはいけないと言われることがありますが、その言葉をどう受け取るかは本人次第だと思います。
水は適量だと栄養になりますが、やり過ぎると根が腐ってしまいます。
必要な量だけ受け取ることが出来たら最高です。
大事なことは、頑張れを言うか言わないか?ではなくて、そういうことだと思うのです。
今日は『『頑張れ』という言葉は禁句? どう受け取るか?は本人次第 自分が聞きたいように聞く』と題して、『頑張れ』という言葉は禁句?について考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
『頑張れ』という言葉は禁句? どう受け取るか?は本人次第 自分が聞きたいように聞く
『頑張れ』という言葉は禁句?
何故「頑張れ」と言われたくない人は、「頑張れ」と言われたくないんでしょうか。
仮に、今僕が限界まで頑張ってる状態で他人から頑張れって言われても、それは頑張れそのものの意味だけではなくて、あなたが最終的に良い結果になればいいねっていうニュアンスもあるんだろうなって思うんです。
僕は後者のニュアンスで受け取ることができるので、追い詰められた状況で頑張れと言われても自分を追い込んだりはしません。
「頑張れ」と言われると苦しくなる人は、「頑張れ」と他人から言われると、頑張れそのものの意味でしか捉えることができないから、頑張れをキツく感じてしまうんでしょうか。
純粋に分からないから質問しています。誰か教えてください。
yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14270073529)
みなさん、ごきげんよう。
今日もよろしくお願いします。
頑張っている人に『頑張れ』と言ってはいけないと言われます。
頑張っている人に『頑張れ』と言うのは『もっと頑張れ』とか『まだまだ頑張りが足りない』と言うようなものだと考えられているからです。
ですが、言っている人がどんな気持ちで言っているかは、言った本人にしかわかりません。
言った人がどんな気持ちで言ったかは、本当のところ言われた人にはまったく関係がないのです。
肝心なのは、言われた人がどう受け取っているか?です。
『もっと頑張れ』とか『まだまだ頑張りが足りない』と言われたような気がするのは、言われた人が自分に対してそう評価しているからです。
『まだまだ頑張りが足りないのではないか?』。そう自分自身が思っているのです。
そう感じているのは、実は言われている本人なのです。
ですが、『頑張りが足りない』かどうか?を正確に評価することは出来ません。
他人と比べることは出来ないし、過去の自分と比べることが出来そうですが、頑張る対象が違えば必要な頑張り量も違うかもしれません。
なので、頑張りが足りているか?足りていないか?は実はわからないのです。
だとすると、本人はどうやって『頑張りが足りない』と評価しているのでしょうか?
それは成果で測っているのではないか?と思います。
結果が出ているかどうか?です。
ですが、成果が出ていないイコール頑張りが足らないというわけではないと思うのです。
だからといって、頑張っていれば成果は二の次だと、いつも結果が出る前であきらめてしまっては、逆に頑張りが報われません。
世界のホームラン王、王貞治氏の言葉に
努力は必ず報われる。もし報われない努力があるのならば、それはまだ努力と呼べない。
という言葉があります。
結果が出るまであきらめなければ努力は報われるということを伝えたいのだと思います。
他人の言葉に自分の心がどんな反応をするか?で、今の自分の心がわかります。
『頑張って』と言われて責められているように感じるのは、実は自分が自分を責めているからだと思うのです。
他人の言葉をどう解釈するか?は、自分次第だからです。
どう受け取るか?は本人次第
質問の中に、
『今僕が限界まで頑張ってる状態で他人から頑張れって言われても、それは頑張れそのものの意味だけではなくて、あなたが最終的に良い結果になればいいねっていうニュアンスもあるんだろうなって思うんです。』
というくだりがあります。
沿道でマラソンを応援しているときに『がんばれ!!』とか『ファイト!!』と声をかけることがあります。
その時に『頑張りが足りないからもっと頑張れ』と思っているでしょうか?
また、そう受け取るランナーはいるでしょうか?
ゼロではないかもしれませんが、あまりいないだろうと思います。
それはお互いに頑張っていることはわかっているからです。
『その頑張りが必ず報われると信じているよ。がんばれ!!』だとランナーは受け取っているから、沿道の声援が力になるのです。
僕もマラソンを何度か走っていますが、あの声援があるから完走できたと毎回思っていました。
以前に奈良マラソンを走ったことがあるのですが、奈良マラソンでは名前かニックネームをゼッケンに載せることが出来ました。
僕は『くろちゃん』と載せていたのですが、地元の学生さんから『くろちゃんがんばって!!』と言われたときに奥底から力がみなぎってくるのをあれほど感じたことはありませんでした。
なので、『頑張れ』という言葉をどう受け取るか?は言われた人次第だと思うのです。
そして、責められていると感じるのは『頑張りが足りない』からではなく、『まだ頑張れる』という自分自身の心の声だと思うのです。
自分が聞きたいように聞く
この話が繋がるかどうかはわかりませんが、以前に付き合っていた人が7ヶ月の闘病の末に亡くなったとき。
僕はやりきった気持ちでいっぱいだったので後悔はありませんでした。
出来ることは全部やったと思っていたからです。
それを見ていた周囲の人たちは、色々なことを思っていたと思います。
病気の人を連れて、入院もさせずに色々なところで色々な治療を試して回っている僕を非常識だと責めていた人もいただろうと。
今になってそう思うことはありますが、そのときは自分にとってはそれが最善だと思っていますから、みんな応援してくれているくらいに思っていました。
家族の気持ちになれば、地元に帰ってきて地元で入院して最善の治療をと思っていたかもしれません。
今になってそう思うことはありますが、そのときはそんなこと少しも思っていませんでした。
彼女にとって一番善いことをしていると信じていたからです。
また、そうでなければ出来なかったと思います。
ですが、僕もその時病気で入院していたということもありますが、彼女のお葬式にも呼んでもらえなかったときに、実は家族によくは思われていなかったんだと気がついてしまいました。
何かを言われたということではないのですが、そう感じたということです。
そのときは、悔しい思いをしましたが、今でもその7ヶ月間を後悔したことは一度もありません。
もう一度同じような状況になっても、きっと同じことをするような気がします。
何が言いたいか?というと。
言葉というのは、自分が聞きたいように聞きます。
他人の思いも自分が感じたいように感じるということです。
どんな言葉もそれを解釈しているのは『自分』だということです。
では、ごきげんよう。さようなら。
『頑張れ』という言葉は禁句? どう受け取るか?は本人次第 自分が聞きたいように聞くのまとめ
今日は『『頑張れ』という言葉は禁句? どう受け取るか?は本人次第 自分が聞きたいように聞く』と題して、『頑張れ』という言葉は禁句?について考えました。
『頑張れ』という言葉は禁句?
『もっと頑張れ』とか『まだまだ頑張りが足りない』と言われたような気がするのは、言われた人が自分に対してそう評価しているからです。
『まだまだ頑張りが足りないのではないか?』。そう自分自身が思っているのです。
そう感じているのは、実は言われている本人なのです。
ですが、『頑張りが足りない』かどうか?を正確に評価することは出来ません。
どう受け取るか?は本人次第
沿道でマラソンを応援しているときに『がんばれ!!』とか『ファイト!!』と声をかけることがあります。
その時に『頑張りが足りないからもっと頑張れ』と思っているでしょうか?
また、そう受け取るランナーはいるでしょうか?
ゼロではないかもしれませんが、あまりいないだろうと思います。
それはお互いに頑張っていることはわかっているからです。
『その頑張りが必ず報われると信じているよ。がんばれ!!』だとランナーは受け取っているから、沿道の声援が力になるのです。
自分が聞きたいように聞く
言葉というのは、自分が聞きたいように聞きます。
他人の思いも自分が感じたいように感じるということです。
どんな言葉もそれを解釈しているのは『自分』だということです。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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