心の管理は大変だ|どんなことが起こっても最善

どんなことが起こっても最善です。
ですが、それは何かと比較して善いという意味ではなく、それしかないということです。
ふたつないのですから、本当は。。。とか、こうなるはずだったもありません。
いつだってそれしかない。いつだって最善なのです。
それがわかると心の管理は簡単です。
今日は『心の管理は大変だ|どんなことが起こっても最善』と題して、どんなことが起こっても最善について考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
心の管理は大変だ|どんなことが起こっても最善
心の管理は大変だ
心って管理は大変だという話です。
ある人の心の痛みを『私』の痛みにしてしまうということがあります。
心は目に見えません。
なので、『私』の心なのか、相手の心なのか区別がつかなくなるのです。
同じ場を共有した人が心を痛めているとします。
本当に痛めているのは、『私』ではなくその人なのに、『私』までが心の痛みを感じてしまうのです。
心の痛みは、身体の不調として表れます。
頭が痛くなったり、歯が痛くなったり、集中できなくなったりします。
ですが、本当に心が痛いのはその人なんです。
『私』はその人の痛みを共有しているだけなのです。
なぜ、そうなるか?というと、いつも言っていますが、『私』が感じたものが世界だからです。
つまり、その人が心を痛めていると思っているのは『私』なのです。
もし、心を痛めていたとしても『私』がそれに気づいていなければ、それは『私の世界』では存在しません。
逆に、もしその人が心を痛めていなかった場合でも、『私』がそう感じたならば、『私』の世界では、その人は心を痛めているのです。
『私』がそう感じたから、それが在るというわけです。
管理するならば、それはその人の痛みであるということを自覚することです。
その人を思いやる気持ちを持つことは良いことですが、だからといって、痛みまで感じる必要はありません。
それが重要なことではないということです。
痛めていることを理解することが重要なのであって、一緒に痛むことが重要ではないというわけです。
ひとりひとり世界は違う
この世界で起こることは、すべて『私』が感じていることが現実になっています。
つまり、ひとりひとり世界は違うわけです。
ですが、私たちの目には、この世界に『私とあなた』がいて、この世界を共有しているというふうに映っています。
物質的な観点から見ればそうなのかもしれません。
ですが、心の世界から見たらどうでしょう。
脳科学ではクオリアといいますが。
簡単に言えば、クオリアとは「感じ」のことである。「イチゴのあの赤い感じ」、「空のあの青々とした感じ」、「二日酔いで頭がズキズキ痛むあの感じ」、「面白い映画を見ている時のワクワクするあの感じ」といった、主観的に体験される様々な質のことである。
Wikipediaより
この『感じ』は人それぞれだし、本当に同じモノを見て、みんなが同じ感じに感じているかは定かではないんです。
科学でもまだ証明されていなくて、議論の最中ということです。
ただ、少なくても『私』にはそう見えている。そう思っているということは間違いありません。
でも、それは他人がどう見ているからとか、どう感じているからということとはまったく関係ありません。
なので、痛いのは『私』ではないんだという自覚。そのことに目覚める必要があるというわけです。
どんなことが起こっても最善
話がすっ飛びますが、どんなことが起こってもそれは最善だということです。
最善という言葉が実は危うくて、最善があるということは最悪もあるし、その中間もあるということになります。
ここで言っている最善とは、”それしかない”ということです。
今起こっていることは、今しかない、それしかないのです。
いつだって今しかありません。
過去の選択がもっとよかったら、もっといい今があったと思うかもわかりませんが、その過去の時もその時は今だったのです。
いつだって今ですし、今が連続して起こっているのです。
なので、比べるものはありませんけど最善と言っているのです。
だから、案ずることはありません。
何が起ころうが、それがベストだったんだと信じていいのです。
正そうとしたり、わかってもらおうとしたりする必要もありません。
すべては大事な経験です。
そして、それが良いことであっても、悪いことであっても、『大事な経験』です。そのことに変わりはありません。
冒頭に心の管理は大変だと書きましたが、今日の話を信じれば、心の管理は実に簡単になるのです。
心の管理は大変だ|どんなことが起こっても最善のまとめ
今日は『心の管理は大変だ|どんなことが起こっても最善』と題して、どんなことが起こっても最善について考えました。
心の管理は大変だ
心は目に見えません。
なので、『私』の心なのか、相手の心なのか区別がつかなくなるのです。
同じ場を共有した人が心を痛めているとします。
本当に痛めているのは、『私』ではなくその人なのに、『私』までが心の痛みを感じてしまうのです。
ひとりひとり世界は違う
この世界で起こることは、すべて『私』が感じていることが現実になっています。
つまり、ひとりひとり世界は違うわけです。
ですが、私たちの目には、この世界に『私とあなた』がいて、この世界を共有しているというふうに映っています。
物質的な観点から見ればそうなのかもしれません。
ですが、心の世界から見たらどうでしょう。
どんなことが起こっても最善
すべては大事な経験です。
そして、それが良いことであっても、悪いことであっても、『大事な経験』です。そのことに変わりはありません。
冒頭に心の管理は大変だと書きましたが、今日の話を信じれば、心の管理は実に簡単になるのです。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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