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心頭を滅却すれば火もまた涼し|自分がなくなり、相手になる

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心頭を滅却するとは?

我をなくし、世界と一体になること。

そうすることで痛みも苦しみもなくなるのです。

今日は『心頭を滅却すれば火もまた涼し|自分がなくなり、相手になる』と題して、心頭を滅却すれば火もまた涼しについて考えます

 

世界一、幸せなみなさんへ

今日も読んでいただき
感謝しています。

そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。

くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。

くろちゃんは、
世界一幸運です。

毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。

心頭を滅却すれば火もまた涼し|自分がなくなり、相手になる

心頭を滅却すれば火もまた涼し

心頭を滅却すれば火もまた涼しといいます。

無念無想の境地に至れば、火も熱くは感じなくなる。どんな苦難にあっても、それを超越した境地に至れば、苦しいとは感じなくなるものである。

引用:https://onl.la/s5gNsyD

という意味ですが、そもそも無念無想の境地とは如何なるものか?

心頭を滅却するとは?

自分を無くすということではないでしょうか?

自分があり、火があります。そうすると自分にとって火は熱く苦しいものです。

自分が無くなり、火と一体になれば、火は自分のことを熱いとは思わない。

心頭を滅却するとは?

ただ単に自分を無くすということではなく、自分がなくなることで火と一体になることです。

自分も火になるということではないでしょうか。

痛みとともに在る

何度か紹介していますが、僕の体験談を書きます。

昔、虫垂炎(盲腸)で入院したことがあります。

お腹が痛くて病院に行ったら、緊急手術だと言われて、その日のうちに手術をしました。

そのときの手術で医療ミスがあり、膀胱に穴が開いてしまいました。

1ヶ月ほど入院が伸びましたが適正に処置をしてもらって退院することが出来ました。

2017年にふたたびその古傷が開いて入院することになりました。

なんでそうなるかはわかりませんが、膀胱に穴が開いているからなのか、穴からなんらかの体液(尿?)が漏れた時に激しい腹痛に襲われます。

入院中も手術までの間、何度も激しい腹痛に襲われました。

前置きが長くなりましたが、ここからが本題です。

そのときに誰から教わったわけではありませんが、『痛みとともに在る』という痛みの消し方を見つけました。

『自分が痛い』ではなくて、『自分が痛みになる』という心のあり方です。

バカバカしいと思わずに聞いてくださいね。(笑)

当時、パートナーが癌治療をしていました。

西洋医学的な治療では手遅れで、発見されたときは余命3ヶ月と診断され、7ヶ月闘病をしましたが、いよいよ残された時間も1ヶ月ないだろうという時期でした。

そういうこともあり、西洋医学的な治療は根本治療ではないということを実感していましたし、とくに痛み止めは、治療ではないので痛みを取るだけでは意味がないどころか病気が進行すると頑なに信じていました。(今もそう思っていますが・・・)

痛みが出ると看護師さんが痛み止めをもってきてくれますが、飲みたくないと断っていました。

看護師さんは怪訝な顔をしますが、『痛み止めは治療じゃないから』と頑なに断りました。

そうすると看護師さんは放っておくしかないですよね。

そこで自分自身で編み出したのが『痛みとともに在る』でした。馬鹿でしょう!!(笑)

しかし、これは実に効果がありました。

自分が痛みを嫌い、逆らい、消したいと思っていると、その分だけ痛みが自分を襲ってきます。

しかし、『自分が痛みになる』『自分は痛みである』と痛みと自分を統合していくイメージをしていくと、だんだんと痛みが和らぎ、10分ほどで痛みが消えていったのです。

それでも10分かかっているので、何もしなくても消えていたのかもしれませんが。(笑)

痛みが『痛い』とは、思わないですよね。

それは自分が『自分になりたい』とは思わないようなものです。

自分”が”痛いと思っているから痛いのであって、自分が痛みであれば痛みは痛みではなくなるのです。

今考えるとこれは『心頭を滅却すれば火もまた涼し』の境地に近づいていたのではないかと思うのです。

つまり、『自分が痛みになる』とは、自分が無くなり痛みになることだったのです。

自分がなくなり、相手になる

『痛みと共に在る』など、馬鹿馬鹿しいと思うかもしれませんが、心頭を滅却するとは超人になるということではないと思います。

人間の心と肉体のまま、そういう心の境地になるということですから、『自分』のままで『自分』が無くなるということです。

特別な何かになるのではなく、むしろ逆に何者でもなくなることです。

苦しみや痛みは、自分があるからです。

それは自分という特別な存在が在るということです。

自分と痛みが別々のものだから、『自分が痛い』わけです。

自分が苦しみそのものであり、痛みそのものであれば、苦しみは苦しくないし、痛みは痛くない。

これは人間関係においても同じではないかと考えたのです。

自分がいて相手がいる。

自分があるから、相手との違いに苦しみが生まれます。

自分がなくなり、相手になることが出来たら、苦しみはなくなるのではないでしょうか?

自分を殺して相手になるということを提案しているのではありません。

一時的に相手になり、その景色を見てから自分に返ってくるのです。

相手の立場や考えが見えたときに思うこともあるのではないか?

そんな提案です。

心頭を滅却すれば火もまた涼し|自分がなくなり、相手になるのまとめ

今日は『心頭を滅却すれば火もまた涼し|自分がなくなり、相手になる』と題して、心頭を滅却すれば火もまた涼しについて考えました。

心頭を滅却すれば火もまた涼し 
自分があり、火があります。そうすると自分にとって火は熱く苦しいものです。
自分が無くなり、火と一体になれば、火は自分のことを熱いとは思わない。
心頭を滅却するとは?
ただ単に自分を無くすということではなく、自分がなくなることで火と一体になることです。

痛みとともに在る  
自分”が”痛いと思っているから痛いのであって、自分が痛みであれば痛みは痛みではなくなるのです。
今考えるとこれは『心頭を滅却すれば火もまた涼し』の境地に近づいていたのではないかと思うのです。
つまり、『自分が痛みになる』とは、自分が無くなり痛みになることだったのです。

自分がなくなり、相手になる  
自分がいて相手がいる。
自分があるから、相手との違いに苦しみが生まれます。
自分がなくなり、相手になることが出来たら、苦しみはなくなるのではないでしょうか?

今日も読んでいただきありがとうございます。

 

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