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絶対的な正義はない|すべての物事はつねに流動的

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絶対的な正義はないというお話しです。

その理由は、人それぞれに正義があるからですが、人それぞれの正義が出来る理由が大事なのです。

それがわかれば、赦すことだって出来るかもしれないからです。

今日は『絶対的な正義はない|すべての物事はつねに流動的』と題して、絶対的な正義はないについて考えます

 

世界一、幸せなみなさんへ

今日も読んでいただき
感謝しています。

そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。

くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。

くろちゃんは、
世界一幸運です。

毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。

絶対的な正義はない|すべての物事はつねに流動的

すべての物事はつねに流動的

先日、言葉と言葉が指し示すモノは違うということを書きました。

そして、それは言葉だけではないのです。

コレっ言った瞬間、それはコレではありませんし、この人はこんな人と思った瞬間、その人はこんな人ではありません。

どういうことか?というと、たとえば『ともいき』という言葉を説明するとします。

ともいきの約束の中に『私はそう聞きました』​という気持ちで聞くこと、というのがあります。

相手がどんな話しをしていても、それを解釈しているのは『私』だからです。

いつでも聞き手が聞きたいように聞いているからです。

同じ話を聞いても受け取り方は人それぞれですから、『誰々がこう言っていた』という気持ちで聞くと、思った通りにならないとき、『あの人がこう言ったのに・・』と 人のせいにします。

ですから自分の責任で聞くという約束です。

このともいきの約束を聞いても、解釈は人それぞれだということです。

『私』が思っているともいきの約束と、あなたが思っているともいきの約束は同じではありません。

それぞれに解釈があります。

つまり、『私』がこれがともいきの約束かと固定した瞬間に、相手との食い違いがはじまるのです。

しかも、その食い違いは目に見えるものではありません。

物事はつねに流動的です。ふわふわと曖昧なまま固定されずにこの世界を漂っている。

言葉にしようとした瞬間、収束してひとつの形を表しますが、それが絶対的な正解ではないのです。

そのときは、それがひとつの正解を体していますが、それを正解とすると次の瞬間には別のモノになっているかもしれない。

信じ難い話しかもしれませんが、人の心は移ろいやすいというところからも、そう考える方が自然なのです。

昨日の『私』と今日の『私』は違う

人は正解を作りたがります。

これを正解だと決めたくなるのです。

『私とはこんな人』だと決めたがるのです。

しかも、そんな『私』が正解か不正解かも決めようとします。

ここにひとつの物語があります。

どんな人にも、お父さんとお母さんがいます。

お父さんは言いたいことを言う人で一見わがままにも映りますが、そんなところが一部の人からは尊敬される人物でした。ただ敵も多く友だちも少なかったのです。

一方お母さんは、優しい人で、明るく人当たりもよく、たくさん友だちがいる人でした。

こんな両親から産まれた『私』は、両方の面を持ち合わせているはずです。

しかし、幼かった『私』は、そんなお父さんが嫌いで、お母さんのような生き方を理想としました。

しかし、大人になった『私』はすごく苦しかったのです。

お母さんを理想としたことで、言いたいことを我慢する大人になりました。

そして、ある時から、自分に素直に正直に生きようと決めたのですが、そうするとお母さんから『あなたは変わった』と言われたのです。

『私』は何が正解なのか?本当の『私』は何のか?わからなくなりました。

この話しを聞いて、きっとこの方(『私』)の本当は、お父さんとお母さんの良い面も悪い面も両方を持ち合わせた第三の人格、私だけの『私』ではないのか?と思いました。

幼い頃に正解を決めたことで、こうあらねばならないという苦しみを抱えてしまったように感じました。

ただ、私だけの『私』もひとつの正解に違いありません。

それもやはり流動的です。

昨日の『私』と今日の『私』は違うのです。

絶対的な正義はない

『今』は今といった瞬間に『今』ではなく過去になります。

すべての物事の原理はここにあると思っています。

『私とはこんな人』と思った瞬間にそれは『私』ではないのです。

すべてのことは流動的です。

ただ、概念として、言葉として収束してひとつの形を整えますが、それは人それぞれ違うのです。

正解とはそういうモノです。実にあやふやで頼りない。絶対ではないのです。

正解を絶対視するので、正義と悪が出来ます。

本当は絶対正義も絶対悪もないのです。

ただ、この世界(二元の世界)では、正義も悪も存在します。

なければ秩序のない無法地帯になるからです。

ただし、その正義は時代や環境で変わってしまうふわふわしたものです。

いつまでも、そして誰にとっても変わらぬ正義というものはないのです。

絶対的な正義はない|すべての物事はつねに流動的のまとめ

今日は『絶対的な正義はない|すべての物事はつねに流動的』と題して、絶対的な正義はないについて考えました。

すべての物事はつねに流動的 
物事はつねに流動的です。ふわふわと曖昧なまま固定されずにこの世界を漂っている。
言葉にしようとした瞬間、収束してひとつの形を表しますが、それが絶対的な正解ではないのです。
そのときは、それがひとつの正解を体していますが、それを正解とすると次の瞬間には別のモノになっているかもしれない。
信じ難い話しかもしれませんが、人の心は移ろいやすいというところからも、そう考える方が自然なのです。

昨日の『私』と今日の『私』は違う  
人は正解を作りたがります。
これを正解だと決めたくなるのです。
『私とはこんな人』だと決めたがるのです。
しかも、そんな『私』が正解か不正解かも決めようとします。

絶対的な正義はない  
『今』は今といった瞬間に『今』ではなく過去になります。
すべての物事の原理はここにあると思っています。
『私とはこんな人』と思った瞬間にそれは『私』ではないのです。
すべてのことは流動的です。

今日も読んでいただきありがとうございます。

 

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