持っていない苦しみから解放される|必要なモノが必要な分だけ手元にある

『所有感をなくす』ということはよく言われていることです。
そこで所有感とは何のか?
所有感から解放されるとなぜ楽になるのか?を考えます。
今日は『持っていない苦しみから解放される|必要なモノが必要な分だけ手元にある』と題して、持っていない苦しみから解放されるについて考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
持っていない苦しみから解放される|必要なモノが必要な分だけ手元にある
はじめから持たないと決める
『手に入れると維持するのが大変だ。はじめから持たないと決めた方が生きやすい。』
これは高畑充希主演のドラマ『ムチャブリ!わたしが社長になるなんて』で、高梨雛子(高畑充希)が社長を努めるリレーションフーズの経理担当、深山和湖(山田真歩)の名言です。
実に哲学的な言葉です。
聞いた瞬間、深いな〜と唸りました。
この言葉が出たシーンでは、若い女性秘書の水科柚(片山友希)は、『今のわかりました?私全然わからなかった』と言う。
これがまたこのシーンを味わい深くします。
手に入れようともがいて苦しんだ結果、悟った先輩社員の言葉だということが表現されています。
『所有する』という考えを変えてみるということです。
変えるというよりも、所有という概念を手放すということです。
自分が所有しているモノも、他人が所有しているモノもないという新しい考えを持つのです。
所有という概念があると、自分のモノと、そうでないものが生まれます。
自分のモノには執着が生まれ、失くしたり、奪われたり、盗まれたりすることを恐れます。
自分に無いモノには、無いということへの執着が生まれます。
無いことが自分の無価値感につながり、喪失感や苦しみになります。
だから、深山和湖は『はじめから持たないと決めた方が生きやすい』と言ったのです。
この土地はオラのもの
そもそも所有という概念は、なぜあるのか?
『この土地はオラのもの』からはじまったのではないか?と思っています。
土地に名前などついていません。
そもそも誰のものでもなかった。
しかし、法律というものができる遥か昔から所有という概念はあったはずです。
つまり、それが『この土地オラのもの』です。
そして、モノ(動産)にもその概念がひろがり、貨幣経済になるとお金も当然そうなった。
所有することに価値や豊かさを見出したのです。
ですが、太古の昔土地が誰のものでもなかったようにお金もモノも本来誰のものでもない。
お金に至っては概念そのもので実体すらない。
自分のモノでもないし、他人のモノでもないのです。
自分のモノがないということは、他人のモノもないということです。
ここで非二元(ノンデュアリティ)が登場します。
『私=世界』ですから、すべては世界のモノ、言い換えると自分のモノという景色が見えてきます。
『世界に私しかいないは、私はいない』ということと同じことなのです。
『私=世界』という非二元(ノンデュアリティ)を信じると所有という概念がなくなります。
そうすると、前述した『無いことが自分の無価値感につながり、喪失感や苦しみになる』ということから解放されます。
必要なモノが必要な分だけ手元にある
非二元を信じたとしても『私』が感じているリアリティがなくなることはありません。
つまり、二元性がなくなるわけではありません。
他人が持っているお金は、やはり現実世界では他人のものではあるのですが、『あなたは私』という景色が見えていたら、あなた(他人)のことが許せるように、あなたのお金が私のお金のような感覚が起こります。
お金持ちを妬ましく思ったり、ないことに無価値感を感じることもない。
ふわっとした話になりますが、所有という感覚を手放すと必要なモノが必要な分だけ手元にあるということに気づけます。
所有感をなくすということは『足るを知る』ことです。
今在るものが、たとえば天から決められた必要十分なのだということを信じるのです。
いつでも今在るモノは『私』にとって必要十分なだけあるのです。
これまでもそうだったのだから、これからもそうなのです。
持っていない苦しみから解放される|必要なモノが必要な分だけ手元にあるのまとめ
今日は『持っていない苦しみから解放される|必要なモノが必要な分だけ手元にある』と題して、持っていない苦しみから解放されるについて考えました。
はじめから持たないと決める
自分に無いモノには、無いという執着が生まれます。
無いことが自分の無価値感につながり、喪失感や苦しみになります。
だから、深山和湖は『はじめから持たないと決めた方が生きやすい』と言ったのです。
この土地はオラのもの
そもそも所有という概念は、なぜあるのか?
『この土地はオラのもの』からはじまったのではないか?と思っています。
土地に名前などついていません。
そもそも誰のものでもなかった。
しかし、法律というものができる、はるか昔から所有という概念はあったはずです。
つまり、それが『この土地オラのもの』です。
そして、モノ(動産)にもその概念がひろがり、貨幣経済になるとお金も当然そうなった。
必要なモノが必要な分だけ手元にある
今在るものが、たとえば天から決められた必要十分なのだということを信じるのです。
いつでも今在るモノは『私』にとって必要十分なだけあるのです。
これまでもそうだったのだから、これからもそうなのです。
今日も読んでいただきありがとうございます。
ともいき個人セッションでは、あなたのお話を聞くことで、あなたが見えていないもうひとつの現実をともに探します。目から鱗が落ちる体験になります。
「迷わない」「信じる」ことを超本気でやってます。
ともいき信聞塾はオンラインで開催中!!
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません