本当の自分について|自分の欠けているものが見える
本当の自分とは?
自分を探すのは、自分の知らない自分があると薄々わかっているからですね。
すべての自分が明らかなら探す必要はありません。
今日は『本当の自分について|自分の欠けているものが見える』と題して、本当の自分について考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
本当の自分について|自分の欠けているものが見える
目は目を見ること能わず
本当の自分とは何でしょうか?
人間には意識と無意識が在ると言われています。
意識は顕在意識とか表層意識と言って自覚出来る意識。
無意識は潜在意識とか深層意識と言って無自覚な意識です。
無意識の方が意識よりもはるかに大きいと考えられています。
本当の自分とは、意識と無意識を合わせたすべての意識のことではないでしょうか。
自分のことは自分がよく知っているといいますが、『目は目を見ること能わず(あたわず)』『刀は刀を切ること能わず』と言って、どんなに目が良いといっても目自体を見ることはかないません。
いくら自分のことは自分が一番知っているといっても、それは自覚出来る表層意識のことであって、自覚出来ない深層意識についてはわかっていないといえます。
自分さえ知らない自分
まずは、自分のことは自分が一番知っているけれど、自分さえ知らない自分も存在するということを認めることが大切なことだと思います。
そして表層意識にあがってこない理由は様々あると思いますが、その中には無意識に深層意識の奥深くに閉じ込めてしまっている抑圧された思いというものがあります。
現実は自分の心を映し出す鏡だと言われます。
確かに『目は目を見ること能わず』ですが、鏡を使えば見ることが出来ます。
それが現実なのです。
現実とは他人や出来事の自分に対する反応です。
それが鏡になっているのです。
他人をみて感じることは、自分にも同じものがあるからです。
もっと正確に言うならば自分の中にないものは見えません。
人だけではなくて、すべてのことは自分を通してしか見ていないからです。
他人の行動や発言をみて『この人は〇〇な人だ』と評価することがあります。
しかし、その〇〇というのが自分の中にまったくないのにそう思うことはないということです。
食べたことのない味の食べ物を食べたとき、どんな味か表現をすることは出来ませんよね。
『なんと言っていいか。。。食べたことない味だわ』というしかありません。
あれは塩辛いね。〇〇に似た味だと言えるのは、過去に似た味の物を食べた経験が自分の中にあるからですね。
他人のことを客観的に評価しているつもりが、実は自分の中にある無意識に対する評価の場合もあるのです。
そして、大抵の場合、それは自分の中に抑圧された意識の場合が多いと考えられるのです。
なすべきことを丁寧にこなしていく
抑圧された意識というのは、他人には見せられない自分であり、自分が認めたくない自分なのです。
外面が良くて誰にでも見せられる自分と、とてもじゃないけれど他人には見せられない醜い自分がいます。
醜いというのは自分の評価ですから、必ずしも一般的にそれが醜いかどうかはわかりません。
大抵は醜い心を綺麗な心で上手に包み隠していることが多いですね。
他人のためと言いながら、よくよく突き詰めると自分のためです。
他人のためになると想像しているのは自分ですから、無意識のうちに自分の都合が入り込んでいることがあります。
いずれにせよ。
自分の知っている自分と自分の知らない自分を合わせたものが本当の自分だと言えるでしょう。
他人を評価している自分がいたら、それは自分のことでもあるんだと思いながら自分の話を聞くという姿勢はとてもいいと思います。
それが過去の自分という場合もあると思いますが、だとすると単に評論家気取りで評価するだけではなくて自分に何か出来ることはないかと考える姿勢は貴い心です。
現実は自分の心を教えてくれる鏡です。
現実に起こることを他人ごとにせずに自分の心の中だと思って向き合うことが出来れば自分のなすべきことが見えてきます。
自分の欠けているものが見えるからです。
なすべきことを丁寧にこなしていくと、自分の足で人生を歩いている確実な手応えを感じます。
それが自信になり幸せを感じる源になると考えています。
だから、無意識を意識化すること。本当の自分を知ろうとすることは大事なことだと思うのです。
本当の自分について|自分の欠けているものが見えるのまとめ
今日は『本当の自分について|自分の欠けているものが見える』と題して、本当の自分についてについて考えました。
目は目を見ること能わず
自分のことは自分がよく知っているといいますが、『目は目を見ること能わず(あたわず)』『刀は刀を切ること能わず』と言って、どんなに目が良いといっても目自体を見ることはかないません。
いくら自分のことは自分が一番知っているといっても、それは自覚出来る表層意識のことであって、自覚出来ない深層意識についてはわかっていないといえます。
自分さえ知らない自分
他人をみて感じることは、自分にも同じものがあるからです。
もっと正確に言うならば自分の中にないものは見えません。
人だけではなくて、すべてのことは自分を通してしか見ていないからです。
なすべきことを丁寧にこなしていく
現実は自分の心を教えてくれる鏡です。
現実に起こることを他人ごとにせずに自分の心の中だと思って向き合うことが出来れば自分のなすべきことが見えてきます。
自分の欠けているものが見えるからです。
なすべきことを丁寧にこなしていくと、自分の足で人生を歩いている確実な手応えを感じます。
それが自信になり幸せを感じる源になると考えています。
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