死ぬことはいけないこと?|この世とあの世は通じている
『死ぬことはいけないこと?』という質問に回答しました。
なぜこのような質問が存在するかというと、死後の世界が明らかではないからですね。
死について考えてみました。
死は誰にとっての死なのか?
今日は『死ぬことはいけないこと?|この世とあの世は通じている』と題して、死について考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
死ぬことはいけないこと?|この世とあの世は通じている
死ぬことはいけないこと?
死ぬ事が正義とは言いませんが悪だとは思いません。
ですが世の中では自ら死ぬ事がいけないこととされていたり、安楽死は合法ではなかったり。
産まれたなら絶対生きなければいけないみたいな感じになっているのがあまり意味がわかりません。
皆さんはどう思いますか?興味本位の質問です
Yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11248689111)
興味本位の質問とありましたが、真面目にお答えしてしまいました。
ある程度年齢を重ねると何人かの身近な人の死を体験します。
そこで感じたことは、死というのは、本人の死でもありますが、周りにいる関係者にとっての死だということです。
本人はある意味死んだら無です。そこでこの世との関わりはなくなります。
しかし、遺された者にとっては死はそこからが始まりです。
大切な人を失ったという人生がそこからスタートします。
ですから死は本人にとっての死ではなく周囲の関係者にとっての死だと考えられるのです。
臨死体験した人の話
臨死体験をした人の話では、死ぬときの苦しみというのは90秒くらいであとは何もないらしいです。
痛みもなければ楽というわけでもなくて何も感じない状態なのだそうです。
臨死体験してわかったことは、生きているときは色々な抵抗を受けながら生きているということだそうです。
身体は経年劣化してるし、身体は重いし、目に見えない空気とか視覚からの情報とか、生きているときはそんなものだと思っているけど圧迫がかなりあるんだそうです。
それらの圧迫から解放されて気持ちも身体も軽くなるそうです。
ですから、ある意味本人は安らかな状態になるんだと想像します。
しかし、大切な人の死というのは遺された者たちにとっては悲しいし、辛いことですよね。
ですから死というのは本人の肉体の死という側面がひとつ、もうひとつは周りにいる関係者にとっての死という側面があるということです。
死んでも自分は困らないわけです。
もうこの世とは関わりはなくなるわけですから、しかしこの世では自分の死によって困る人たちも出てきます。
仕事場は人手が足らなくなるし、家族や友人は寂しい思いをします。
そういう人たちにとっては『いけないこと』なわけです。
世の中では死ぬことはいけないことだと思われているのは、生きている遺され者たちにとっていけないことなのです。
この世とあの世は通じている
ご批判もあるかもしれませんが、安楽死はその典型だと思います。
本人は苦しんだり他人に面倒をかけるくらいなら死んだ方がマシだと思っているかもしれません。
生かしておきたいのは遺される者の思いによるものです。
もし死んだら楽になるということが明らかだったら死にたいする世の中の常識も変わるかもしれませんね。
生きているときよりも死んでからの方が楽だったり心が平安だったりすることがわかっていたら、誰もこの世界では生きていたくないと考えるだろうし、遺される者もそれで安らかになるのであればと大切な人の死を受け入れやすくなるでしょう。
ただ、こうも思います。
生きている世界も死んでからの世界も原因と結果はセットだということです。
行いに応じた結果があるのは、この世もあの世も同じであるし、この世(行い)があの世(結果)に通じると思います。
この世で頑張ったり苦労をした分だけあの世での平安が心に染みるのではないかということです。
臨死体験のくだりで書いたようにあの世に行くとこの世の圧迫に気づいて解放感を感じるのかもしれません。
しかし、それはこの世で圧迫を感じていたから解放を感じるわけで、この世で圧迫されていなかったらあの世の解放感もそれほどではないだろうということです。
この世界でがんばった価値が無駄になることはない。そう思うのです。
死ぬことはいけないこと?|この世とあの世は通じているのまとめ
今日は『死ぬことはいけないこと?|この世とあの世は通じている』と題して、死について考えました。
死ぬことはいけないこと?
本人はある意味死んだら無です。そこでこの世との関わりはなくなります。
しかし、遺された者にとっては死はそこからが始まりです。
大切な人を失ったという人生がそこからスタートします。
ですから死は本人にとっての死ではなく周囲の関係者にとっての死だと考えられるのです。
臨死体験した人の話
臨死体験をした人の話では、死ぬときの苦しみというのは90秒くらいであとは何もないらしいです。
痛みもなければ楽というわけでもなくて何も感じない状態なのだそうです。
臨死体験してわかったことは、生きているときは色々な抵抗を受けながら生きているということだそうです。
この世とあの世は通じている
行いに応じた結果があるのは、この世もあの世も同じであるし、この世(行い)があの世(結果)に通じると思います。
この世で頑張ったり苦労をした分だけあの世での平安が心に染みるのではないかということです。
今日も読んでいただきありがとうございます。
ともいき個人セッションでは、あなたのお話を聞くことで、あなたが見えていないもうひとつの現実をともに探します。目から鱗が落ちる体験になります。
「迷わない」「信じる」ことを超本気でやってます。
ともいき信聞塾はオンラインで開催中!!
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません