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悟りを科学することは出来るのか?

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『悟りを科学することは出来るのか?』

随分と大きく出たタイトルですが、ほぼ雑談だと思ってください。

ただ、いつもこんなことばかり考えているのか?と僕の頭の中を想像するのには十分な雑談だと思います。

今日は『悟りを科学することは出来るのか?』と題して、悟りを科学することについて考えます。

 

世界一、幸せなみなさんへ

今日も読んでいただき
感謝しています。

そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。

くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。

くろちゃんは、
世界一幸運です。

毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。

悟りを科学することは出来るのか?

悟りは科学できるのか?

昨日のブログ、『自分を捨てるとは?|自分の捨て方』を読んで感想をいただきました。

自分を捨てると
自分が大きくなる。

なるほど〜❣️と思いました。

これまで
こうだと思っていた
認識範囲が拡大するって
事ですね。

どこまでいっても
結局は主観的だとは思いますが
認識範囲の拡大は
創造主である自分を
再構築するのに
とても重要だと感じました。

という感想を読んだ率直な感想は、説明うま!!

僕の昨日のブログをとても短い文章でわかりやすくまとめたな〜と思いました。(笑)

『自分を捨てる』という目に見えない話がまるで目に見えたような感じがしました。

そう!科学したなと思いました。

科学とは自然の成り立ちを解明することです。

自分を捨てるとは、自分と世界がひとつになることです。

認識範囲が拡大して、自分が究極に大きくなったとき、自分と世界が同じ大きさになるときが来るんです。

今は『自分は世界の一部』という感覚ですが、自分が世界になる感覚です。

悟るとは、そのような感覚を体感することだと思います。

自分の認識が究極に拡大すると、世界との区別がなくなり、ひとつになるんです。

悟りは目に見えない世界のことで、言葉では表現不可能な世界だと思っていました。

言葉で説明していることがすべてなはずがないと考えてきました。

悟り体験について語る人も『言葉で説明出来ない』という人が多いので、その言葉のトラップにまんまとはまっていました。

別にトラップを仕掛けているというわけではなくて、本当に言葉では説明出来ないんだと思いますが。(笑)

しかし、それは現段階のことで、科学するなら言葉で説明できなければ、それは科学したとは言えないと思うのです。

悟りはいつか科学できる。

そう思いました。(読んだ瞬間は)

知らずして知ること

科学とは自然の成り立ちを解明することです。

この世界には科学が証明したものだけが実在しているわけではありません。

自然があって、その成り立ちが証明されたものを科学と言っているに過ぎないのです。

実在があって、それが解明されているものと解明されていないものに分けられ、解明されたものは科学、解明されていないものは非科学、オカルト、神秘現象に分類されます。

宇宙がその最たるもので、実在は誰もが認めるものの数%しか解明されていないと考えられています。

全体(100%)がわかっていないのになぜ数%と言えるのでしょうか?おかしな話ですね。

悟りも同じことではないでしょうか。

悟りとはこの世の真理、成り立ちを悟ることですよね。

この世の全体像(100%)わかっていないのに今自分がそのうちのどのくらいを悟っているのかはわかりません。

あとどれくらいのことがわかると悟るのかもわかりません。

ですが、覚者と言われる人は自分は悟ったとわかっているんです。

すごいですね。

だから悟りを得たいと求道する人が太古の昔から後をたたないのです。

知らずして知ること(2)

もし悟りが科学されたして、問題になるのは、頭では理解出来ても実感が伴うか?ということです。

スマホが一般的に使われるまでテレビ電話というものはSF漫画や映画の世界の話でした。

頭では、いずれそういう便利な世の中がやってくるとは思っていましたが、いまひとつ実感がありませんでした。

それがスマホの登場で飛躍的に実感が伴ったのです。

スマホの構造や技術についてまったく知らなくても便利さを実感し享受することは出来ました。

ここまで書いてきてなんですが、悟りの最終目的は科学することではなくて実感することなのです。

もし言葉を尽くして悟りについてこれ以上の説明はないというほど非の打ち所のない説明がされたとしても、受け取る側の自分が開いていないと実感することは出来ません。

何を開いていないといけないかが相応しい言葉が見つかりません。

心はきっと相応しくないと思います。

心よりももっと深くて大きいもののような気がします。

『何かが開いていないといけない』という表現でお許しください。

開いていて受け取ることが出来ると、全体(100%)がわかっていないのに、それがこの世のすべてだと理屈ではなく実感が出来る。

それが悟りの境地だと思います。

そのためには何かはわかりませんが開いていないといけないのです。

いつでも受け取れるように開いて準備していることが大事なのです。

悟りを科学することは出来るのか?のまとめ

今日は『悟りを科学することは出来るのか?』と題して、悟りを科学することについて考えました。

悟りは科学できるのか? 
悟り体験について語る人も『言葉で説明出来ない』という人が多いので、その言葉のトラップにまんまとはまっていました。

知らずして知ること 
この世の全体像(100%)わかっていないのに今自分がそのうちのどのくらいを悟っているのかはわかりません。
あとどれくらいのことがわかると悟るのかもわかりません。ですが、覚者と言われる人は自分は悟ったとわかっているんです。

知らずして知ること(2) 
ここまで書いてきてなんですが、悟りの最終目的は科学することではなくて実感することなのです。
もし言葉を尽くして悟りについてこれ以上の説明はないというほど非の打ち所のない説明がされたとしても、受け取る側の自分が開いていないと実感することは出来ません。

今日も読んでいただきありがとうございます。

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