腹を立てないための考え方|柳は緑、花は紅
なぜ、腹が立つかというと、自分と違うからです。
違う考えをし、違う行動を取るから腹が立ちます。
どう考えると腹が立たないのでしょうか?
今日は『腹を立てないための考え方|柳は緑、花は紅』と題して、禅の言葉から腹が立たない考え方について考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
腹を立てないための考え方| 柳は緑、花は紅
柳は緑、花は紅
禅では『柳は緑、花は紅』といいます。
柳は葉っぱが美しい、花は鮮やかな色をした花が美しいのです。
柳に花は咲きませんし、花に柳のような綺麗な葉を求めてもいけません。
それぞれに良さがあります。
花も柳の世界に入れば綺麗な葉が咲かない役立たず、柳が花の世界に入れば花が咲かない役立たずです。
人間、一人ひとりもそれと同じなのです。
自分のものさしで他人を測るから、他人が自分の思い通りにならないことに腹が立ちます。
しかし、それは柳に花を、花に葉を求めているのと同じことなのです。
違うということが当たり前
私たちは、自分が多数派だと安心します。
本当の正しさよりも数を信じてしまいます。
集団から浮いた存在の人がいると疎ましがって責める気持ちが湧きます。
自分をみんなと同じだと思い、他人を自分と同じだと思うことで安心するのです。
しかし、よく心の目をこらして周りを見てください。
顔が一人ひとり違うように同じ考えの人はひとりもいません。
一人ひとり違うということが全員同じなのです。
違うということが当たり前です。
同じことが当たり前だと思っていると違うことに腹が立ちますが、違うのが当たり前だとしたらどうでしょう? 腹は立ちませんよね。
犬に向かって猫じゃないことを責めないですよね。
赤ちゃんになんで話せないんだと責めないですよね。
当たり前だからです。
他人が自分と違う考えを持っている。違う行動をする。 当たり前なのです。
無用の用を知る
『人みな有用の用を知りて、無用の用を知ることなきなり』莊子に出てくる言葉です。
有用、無用とはどんなものさしによって決まるのでしょうか?
自分にとって無用のものは、この世界で無用なのでしょうか?
たとえばアニメの人形なんかを集めていると、無駄なものを集めてと言われますが、本なら何千冊あっても『すごいね』と言われます。同じ本でも漫画だと反応は変わってしまいます。
つまり無用、有用とは、自分にとっての無用、有用なのです。
自分にとって無用のものが他人にとってはかけがえのない人生の宝物であることも少なくありません。
むしろ、そういうものこそ、その人の人生を豊かに幸せにしているのです。
まさに一人ひとり人生で大切なものは違うのです。
無用の用を知るとは、そういうことではないでしょうか。
追伸
昨日に引き続き、自分と他人の違いについての話になりました。
違うことは当たり前なのです。
同じであろうとしたり、同じにしようとするから腹が立ちます。
違うことが当たり前であり歓迎すれば、それは個性になりますが、そうでなければ変人扱いです。
究極の話ですから、そればかりだと秩序が保たれないのですが、そもそも論として人間は皆違うということを受け入れていれば腹が立つことが少なくなるのではないかと思うのです。
腹を立てないための考え方|柳は緑、花は紅のまとめ
今日は『腹を立てないための考え方|柳は緑、花は紅』と題して、禅の言葉から腹が立たない考え方について考えました。
柳は緑、花は紅
自分のものさしで他人を測るから、他人が自分の思い通りにならないことに腹が立ちます。
しかし、それは柳に花を、花に葉を求めているのと同じことなのです。
違うということが当たり前
顔が一人ひとり違うように同じ考えの人はひとりもいません。
一人ひとり違うということが全員同じなのです。
無用の用を知る
自分にとって無用のものが他人にとってはかけがえのない人生の宝物であることも少なくありません。
むしろ、そういうものこそ、その人の人生を豊かに幸せにしているのです。
今日も読んでいただきありがとうございます。
ともいき個人セッションでは、あなたのお話を聞くことで、あなたが見えていないもうひとつの現実をともに探します。目から鱗が落ちる体験になります。
「迷わない」「信じる」ことを超本気でやってます。
ともいき信聞塾はオンラインで開催中!!
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません