臨死体験|死後の世界は幸せな世界
臨死体験の研究結果を発表した動画をYou Tubeで観ました。
大変興味深い研究結果で、共感出来る部分がたくさんあり、ともいきとも繋がりました。
ともいきの意味についてもうまく表現出来たと思います。
今日は『臨死体験|死後の世界は幸せな世界』と題して、臨死体験と死後の世界について考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
臨死体験|死後の世界は幸せな世界
臨死体験
臨死体験についての動画を観ました。
臨死体験や死後の世界というと、日本では怪談やホラーの類いとして扱われている印象があって、昔から夏の風物詩の域を出ない感があります。
しかし、日本でも世界でもその分野の専門家がいて真面目に研究がされているのです。
一番興味深かったというか共感が出来たのが、『体験後の変化』についての報告です。
臨死体験をすると『死への恐怖の軽減』と『死は終わりではない』という感覚を持つ体験者がほとんどなのです。
僕は、臨死体験をしたという実感はありませんが、脳出血で死ぬかもしれないという思いをしたことと、それ以前からある見えない世界についての興味関心から、十数年前にはなかったのですが、今はこの2つについて同じ感覚を持っています。
表現が良くなかったと反省していますが、『死ぬのが楽しみだ』と発言したときに、『そんなことを言うもんじゃない』と不快に思われたことがあります。
正確に言うと死ぬのが楽しみなのではなくて、死んだ後の世界を見るのが楽しみなのです。
臨死体験者の中には、あの世界に戻りたいと言った人もいるらしく、それほど平安な気持ちになる世界のようです。
僕の場合は体験者ではありませんので、体験ゆえに死ぬのが楽しみなのではなく、自分なりの死への理解と解釈の結果、そりゃ死後は平安な気持ちになるだろうと確信しています。
では、なぜそう思うようになったのかを書いていきます。
死後の世界は幸せな世界
死後の世界が幸せな世界なのだと思うようになったきっかけがあります。
2015年に弟を事故で亡くしたときに、チベット仏教の高僧であるザ・チョゼ・リンポチェ様から、『人は死んだ時、すべての概念から解き放たれる。だから、人はみな、死んだ瞬間幸せになる』という御言葉をいただきました。
聞いてすぐに御言葉の意味が明らかにわかったわけではなかったのですが、その御言葉が間違いのない真理を表した御言葉だと、そう思ったのです。
それから見えない世界を勉強するうちに人の苦しみは見えない世界があることだと理解しました。
自分に見えている世界は、ほんの一部にしか過ぎません。
人の行動や発言は見えるものですが、その意図である心は見えないものです。
見えるものから見えないものを想像するときに、自分に都合良く想像するばかりではありません。
むしろ都合悪く想像する傾向にあるのが人間です。
そこに苦しみがあります。
死ぬと見えない世界が見えるようになる、といよりも見える・見えないの区別がなくなります。
概念から解き放たれるというのは、自分にとって都合が良いことも悪いことも結局は自分の想像・思い込みでしかなくて、その想像・思い込みから解き放たれるということです。
ありのまま見通すことが出来るようになるのです。
だから、苦しみがなくなり『人はみな、死んだ瞬間幸せになる』そういう意味だと理解しました。
思い返せば、このときのリンポチェ様の御言葉は僕にとって、とても大きく存在感のある御言葉でした。
この御言葉が真理の核を表していると思い、これに符合するように物事を考えるようになりました。
『すべてを見通せたなら人はみな幸せだ』という解を前提に物事を観て解釈するようになったのです。
幸せに、様々な色をつけていて、その色が自分にとって不都合な色なだけなのです。
生きているときに想像している死も同じです。
死を人間にとって都合が悪いものだと思い込んでいるのです。
だから人は死を忌み嫌っているのです。
『死は終わりではない』という臨死体験者の感覚は肉体の死のことを指していると考えられます。
肉体の死は悲しいことかもしれません。
しかし、魂とか意識と言われるものは、まだ死んでいないのです。
そして、その本当の答えを知ることが出来るのは、死以外にないわけですね。
だから、楽しみだということになるのです。
『ともいき』と死について
僕が『ともいき』を始めたときに、今日書いたようなことを言葉で表現できるほど、『ともいき』という言葉に中身はありませんでした。
しかし、『ともいき』という言葉に出会ったときに、『ともいき』が自分のこれからの活動を表す言葉として最も相応しい言葉だと直感で確信し、自分の活動と生き方を、これからは『ともいき』と呼ぶことにしました。
『ともいき』は漢字で書くと共生です。
『ともいき』とは、見える世界と見えない世界、幸せと不幸せ、現在と過去未来、自分と自分以外、その他、二つに分けてジャッジしているすべての事柄を『ともに生きる』ということです。
『コレとコレ』をともに生きるという決まった『コレとコレ』はありません。
人それぞれ、コレとコレは違います。
一人ひとりに必要な『ともいき』があるのです。
生きている今、死んだ後のように、すべてを見通して生きること。
死んで天国に行くのではなく、生きている今、天国にいるように生きる生き方が『ともいき』という生き方です。
臨死体験|死後の世界は幸せな世界のまとめ
今日は『臨死体験|死後の世界は幸せな世界』と題して、臨死体験と死後の世界について考えました。
臨死体験
臨死体験や死後の世界というと、日本では怪談やホラーの類いとして扱われている印象があって、昔から夏の風物詩の域を出ない感があります。
しかし、日本でも世界でもその分野の専門家がいて真面目に研究がされているのです。
一番興味深かったというか共感が出来たのが、『体験後の変化』についての報告です。
臨死体験をすると『死への恐怖の軽減』と『死は終わりではない』という感覚を持つ体験者がほとんどなのです。
死後の世界は幸せな世界
死後の世界が幸せな世界なのだと思うようになったきっかけがあります。
2015年に弟を事故で亡くしたときに、チベット仏教の高僧であるザ・チョゼ・リンポチェ様から、『人は死んだ時、すべての概念から解き放たれる。だから、人はみな、死んだ瞬間幸せになる』という御言葉をいただきました。
『ともいき』と死について
生きている今、死んだ後のように、すべてを見通して生きること。
死んで天国に行くのではなく、生きている今、天国にいるように生きる生き方が『ともいき』という生き方です。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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