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善悪の判断がつかないのではなく、善悪の判断が定まっていない大人たち

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嘘をつくことは善でしょうか?悪でしょうか?
大体の場合は悪になるでしょう。

でも、嘘をつくことが正義になることもあります。

凶悪犯がいたとして、その犯人から家族の居場所を聞かれたときに嘘をつくことは、むしろ正義であり善だと言う人は多いでしょう。

今日は『善悪の判断がつかないのではなく、善悪の判断が定まっていない大人たち』と題して、善悪とは何なのか?子どもは善悪の判断がつかないと言われることについて考えます。



世界一、幸せなみなさんへ

今日も読んでいただき
感謝しています。

そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。

くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。

くろちゃんは、
世界一幸運です。

毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。

善悪の判断』の研究

善悪の判断をするときに、人は十分に考えた上で判断するのではなく、経験に基づいて直感的に判断するということが最新の研究で明らかになったそうです。

研究を行ったのは、ノースカロライナ州立大学で倫理と認知の関係を研究するVeljko Dubljević(ベリコ・ドゥブリエビッチ)氏らの研究チームです。

ADCモデルという方法を用いて大規模な実験を行いました。

人は危険度が低い状況では「結末」よりも「行為」自体の良し悪しを重視し、危険度が高い状況では「行為」自体よりも「結果」の良し悪しを重視することを発見しました。

ADCモデルとは

ADCモデルとは、Aは物事を行う本人の性格や意図を意味する「Agent/主体」、Dはなされる物事を指す「Deed/行為」、Cは行為の結果生まれる「Consequences/結末」をそれぞれ意味します。

冒頭に書いた例のように、嘘をつくことが悪だというのは平和なときには言えるけれど、危険なときには嘘もやむなしとなるわけです。

何が善悪かというより、この人間の判断の仕組みこそが善悪だといえるのではないでしょうか。

善悪とはとても流動的でその時々で判断基準が違うのです。

しかも、その判断は熟考によってなされるのではなく、直感的に判断されるのです。

善悪の判断』がつかないと言われる子どもたち

1999年に放送されたドラマ『TEAM』(主演:草なぎ剛)は、少年事件をテーマにした刑事ドラマでした。

その中で時折出てくるのが『未成年者は未熟で善悪の判断がつかない』いうセリフです。

当時は何も思わなかったのですが、今観るととても違和感があったのです。

それで善悪について調べてみたら、前章の研究結果を知りました。

人は善悪を十分に考えた上ではなく直感で判断するという研究結果です。

もちろん研究結果がすべてではないではないでしょうが。

確かに研究結果の通り経験に基づく直感で善悪が判断されるのなら、経験の浅い未成年は善悪の判断が未熟だと言わざるを得ません。

ただ、言葉を選ぶなら、子どもは善悪の判断がつかないのではなくて、『まだ善悪の判断が定まっていない』のです。

大人と違い経験が浅い分、より直感的ともいえます。

それが世のルールにそぐわない判断を導かせているのかもしれません。

善悪の判断』が定まっていない”大人たち”

誰でも子どもの頃は小さい社会の中での経験しかありません。

子どもにとっての善は親に褒められること、叱られることは悪です。

幼稚園、小学校、中学、高校、大学と、どんどん場が変わり多くの人と関わって、社会に出るころに、ようやく最大公約数的に善悪が定まるのです。

それだって個人差が大きく、最近では法律を破ってなければいいんだろうという風潮を感じ、今回タイトルをあえて『善悪の判断が定まっていない”大人たち”』としました。

『善悪の判断』|『江戸しぐさ』とか『修身』とか

『江戸しぐさ』とか『修身』という言葉があります。

修身は今でいう道徳です。

江戸しぐさとは

江戸時代は、260年以上もの間、経済の繁栄と戦争のない平和がもたらされた時代です。

そこには江戸商人のリーダーたちが築き上げた、よりよく生きるルールのようなものがありました。

その基本は思いやりの心(惻隠の情そくいんのじょう)を持って、みんなが仲良く、平和の下で共に生きるために争い事を少なくし、人に対する言葉遣いやしぐさにも気を配るというものです。

次第に江戸の町に住む人たちにも浸透していったと言われています。

そのような日本の心、特に江戸ならではの心映えが、後に芝三光師(江戸時代から6代にわたって続いた家系。曽祖父、祖父が江戸の講の講師)によって「江戸しぐさ」と名付けられ、芝師に師事した越川禮子氏が「江戸しぐさ」の語り部として今に伝承してきました。

引用:http://edoshigusa.org/about/

実語教(じつごきょう)という平安時代末期から明治初期にかけて普及していた庶民のための教訓を中心とした初等教科書があります。

福沢諭吉の『学問のススメ』にも多く引用されているそうです。

漢字ばかりで、難しい表現が多く、とても子どもが初見でみて理解できるものではありません。

しかし、繰り返し声に出して読んでいるうちにその考えが染みこんでいくといいます。

昔の子どもたちは実語教を読み道徳を学んでいたのです。

それが江戸しぐさという江戸商人の行動哲学になっていったのです。

山高きがゆえに貴からず、木有るをもって貴しとす。

山は高いから価値があるのではない。そこに木々があるからこそ価値があるのだ。

人肥えたるがゆえに貴からず、智あるをもって貴しとす。

人は裕福だから偉いのではない。智恵があってこそ偉いのである。

老いたるを敬うは父母のごとし、幼(いとけなき)を愛するは子弟のごとし。

年寄りのことは自分の両親のように敬い、幼い子供は自分の子供や弟妹のように愛しみなさい。

引用:実語教

『善悪の判断』”思いやりの心”を持つ

人間がいる以上、意見が分かれることは当たり前です。争いになることもあるでしょう。

自己主張できないのはそれはそれで人間の闇を創ってしまいます。

意見をぶつけ合うのは大いに結構。

しかし、正しい争い方というか、正しい議論のようなものがあると思います。

道徳をとても平易な言葉でいうと”思いやりの心”惻隠の情そくいんのじょうです。

善悪の判断がつかないのではなく、善悪の判断が定まっていない大人たちのまとめ

今日は『善悪の判断がつかないのではなく、善悪の判断が定まっていない大人たち』と題して、善悪とは何なのか?子どもは善悪の判断がつかないと言われることについて考えました。

善悪の判断』の研究
人は十分に考えた上で判断するのではなく、経験に基づいて直感的に判断する。

『善悪の判断』がつかないと言われる子どもたち
子どもは善悪の判断がつかないのではなくて、『まだ善悪の判断が定まっていない』

『善悪の判断』が定まっていない”大人たち”
善悪の判断は個人差が大きく、最近では法律を破ってなければいいんだろうという風潮を感じる。

『江戸しぐさ』とか『修身』とか
昔の子どもたちは実語教を読み道徳を学んでいた。

”思いやりの心”を持つ
道徳をとても平易な言葉でいうと”思いやりの心”を持つこと。

今日も読んでいただきありがとうございます。





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