真理について|無いけれど在るものが在る
『真理』というキーワードについて書きました。
悟った者ではありませんので、真理について語ることは出来ませんが、真理とはこういう性質のものだろうと思われることを書きました。
真理を探求することは、生きることそのものな気がします。
今日は『真理について|無いけれど在るものが在る』と題して、真理の性質について考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
真理について|無いけれど在るものが在る
真理とはどういう性質のものなのか?
今日は真理とは何か?という話ではなく、真理とはどういう性質のものなのか?について考えたいと思います。
真理の定義は、『いつどんなときにも変わることのないもの』。この世界の仕組みのことです。
この世界はきっと真理という仕組みによって成り立っているのだろうと考え、古代から哲学者も科学者も、そして求道者も探求してきたのです。
それをわかった人を覚者とか悟った人、仏陀と言ったのです。
では、わかった人は、他の人にその真理について教えてくれなかったのでしょうか?
お釈迦様は多くの弟子に教えを説いたのですよね?
ですが、言葉で伝えるには限界があったのだろうと思います。
教えによって悟った人もいましたが、悟れなかった人の方が圧倒的に多かった。
真理ほどのことではなくても、たとえば料理のレシピみたいなものでも言葉だけで教えるのは難しいものです。
もちろん、それに近いものは出来るでしょうが、まったく同じものにはもちろんなりません。
料理なら、多少誤差があっても美味しくいただければ、それは許容範囲です。
しかし、真理は『いつどんなときでも変わることのないもの』ですから、誤差があってはいけないのです。
というよりもたとえ1mmでも誤差があると、それは真理ではないのです。
言葉で聞いても、それは頭で理解したこと。
料理のレシピをみて作り方を理解するのと、実際に作るのではまったく違います。
言葉では、どちらも『わかった』と表現しますが、わかった深さ、程度が違います。
真理をいくら言葉で説かれても、それを自分自身が体感するまではわかったことにはならない。
それが真理だと考えられます。
言葉は聞いた人のもの
言葉は話した人のものではなく、聞いた人のものです。
聞いた人が解釈したことがその人にとっては真実になります。
ですから話す人は、聞いている人がどう解釈しているかを聞きながら(感じながら)、話すことが出来ると最高です。
もし、自分が伝えようとしていることを違う解釈をしているとわかれば、言葉を変え、言葉で足らないときにはやってみせ、それでも足らなければさせてみる。
やってみせ 言って聞かせて させてみせ
誉めてやらねば 人は動かじ
とは、日本海軍連合艦隊司令長官 山本五十六海軍大将の名言です。
これには続きがあって、
話し合い 耳を傾け承認し
任せてやらねば 人は育たずやっている 姿を感謝で見守って
信頼せねば 人は実らず
と続きます。
真理をいくら言葉で説かれても、それを自分自身が体感するまではわかったことにはならない。と先ほども書きましたが、まさにさせてみなければ本当にわからせることは出来ないのです。
山本五十六海軍大将の言葉は真理を含んだ言葉なのです。
真理と真理でないもの
真理と真理でないものの違いは何でしょうか?
真理は、すべてのことを含んだこの世の仕組みです。
真理でないものは、表裏なら、表だけとか裏だけとか片方だけを捉えたものです。
紙には表と裏があります。
どちらか一方だけを切り取ることは出来ません。
表裏があって一枚の紙です。
善人は悪人がいるから善人です。
悪人も善人がいるから悪人なのです。
善人からみれば、悪人は悪人ですが、悪人からみれば、善人は悪人になります。
絶対的な善人、絶対的な悪人はいません。
こういう仕組みが真ん中にあり、それが派生してこの世界は成り立っています。
善と悪、光と闇、天と地、物質と空間、心と身体、自分と自分以外、今と今以外。
そのすべてがふたつでひとつです。
では、真ん中にあるのが真理かというと、そうではありません。
真ん中が真理だとすると、真ん中と真ん中以外が出来、真ん中も片方になってしまいます。
その派生したものを全部含んだ大きな塊が真理と考えられます。
同じく、ここに書いたことを真理のすべてだと主張したら、それはもう真理ではありません。
ここに書いてあることは、言葉で表現出来たことのみです。
言葉では表現出来なかったことがあります。
それは、仮にこの後、原稿用紙に何千枚と書いても同じことです。
表現出来たことが増えたとしても表現出来なかったことがゼロになるわけではありません。
ですから、言葉を通して、言葉にならないものを汲み取ってもらうしかないのです。
伝える側は、汲み取ってもらえるような言葉を並べないといけないのです。
在るけれど無いもの。無いけれど在るものが在るということが、この世界で一番大切なこと。
真理ではないかと考えているのです。
真理について|無いけれど在るものが在るのまとめ
今日は『真理について|無いけれど在るものが在る』と題して、真理の性質について考えました。
真理とはどういう性質のものなのか?
真理は『いつどんなときでも変わることのないもの』ですから、誤差があってはいけないのです。
というよりもたとえ1mmでも誤差があると、それは真理ではないのです。
真理をいくら言葉で説かれても、それを自分自身が体感するまではわかったことにはならない。
言葉は聞いた人のもの
言葉は話した人のものではなく、聞いた人のものです。
聞いた人が解釈したことがその人にとっては真実になります。
真理と真理でないもの
真理は、すべてのことを含んだこの世の仕組みです。
真理でないものは、表裏なら、表だけとか裏だけとか片方だけを捉えたものです。
紙には表と裏があります。
どちらか一方だけを切り取ることは出来ません。
表裏があって一枚の紙です。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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