目に見えない世界と目に見える世界を分けない
目に見えない世界を信じている人と目に見えるものしか信じない人がいます。
しかし、この世界は自分と自分以外で出来いるのと同じで、目に見える世界と見えない世界で出来ています。
あると思うとあるしないと思うとないものです。
目に見えない世界は信じないと見えるようにはならないのです。
今日は『目に見えない世界と目に見える世界を分けない』と題して、目に見えない世界と目に見える世界を分けないということついて考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
2021年版『ともいき格言カレンダー』が出来ました。
目に見えない世界と目に見える世界を分けない
目に見えないものを信じる人と、目に見えるものしか信じない人がいます。
自分のことをどちらかに分類し、自分が属する方を正解、そうでない方を不正解にします。
目に見えない世界と目に見える世界は相反するもの、矛盾するものという感覚があるのでしょうか?
目に見える世界と目に目ない世界は横並びで比べるものではありません。
どちらが正解、不正解というものではありません。
目に見えない世界は、目に見える世界を通して感じるものです。
昔の日本人は当たり前のように見えない世界を信じ敬ってきました。
日本だけでなく人類にはそもそも自然を崇拝するという信仰があります。
自然崇拝は世界各地に見られ、また各地の神話にも自然物・現象を神格化した神が登場することから、古くは普遍的であったと考えられています。
自然への崇拝ではなく、自然現象、自然物に対する信仰です。
目に見えない世界、大いなる力に対する畏敬の念です。
目に見えない世界と目に見える世界は別のものはないのです。
日本人の宗教心について
日本人に『あなたの宗教は何ですか?』と質問すると70%の人が無宗教と答えたと報告されています。
海外、特に西欧では95%の人が『○○教です』と答えるそうです。
だとすると日本人は30%の人しか宗教心を持っていないということになります。
これは実体験ですが、一燈園という修行団体から出版されている本を課題図書に輪読会を開催したときに、ひとりの参加者が『宗教ですね』と言われて途中で退席されたことがあります。
日本では数十年前から複数のカルト教団が事件を起こしたことで、特に新興宗教に対し偏見持ったり、毛嫌いする傾向があります。
本当に日本人は宗教心が薄い民族なのでしょうか?実際はそんなことはありません。
たとえば食事をいただくときの『いただきます』というのは簡便な宗教儀式ですし、元旦に神社に初詣に行く人は、人気のある神社では200万人とも300万人とも言われます。伊勢神宮や出雲大社には年中、老客男女たくさんの人がお参りされています。
現代では特定の宗教団体に属する人は少なくなりましたが、日本人にとっての宗教は特別な日や特別な場所で行うものではなく日常の営みの中にあるのです。
そう考えると世界に誇れる宗教心のある国民ともいえると思います。
宗教心とは目に見えない力、大いなる力への畏敬の念を持つことです。
『いただきます』というのも目に見えている食べ物だけに唱えているのではなくて、目に見えない生命と自然の恵み、その食べ物が目の前にやってくるまでのたくさんの人の関わりなど、目には見えないすべてのものに対する感謝の念です。
日本人は今も昔も目に見えるものを通して目に見えない世界を感じてきたのです。
追伸
話を聞くという学びをしたおかげで目に見えない世界を感じる力が強くなりました。
少し話を聞いただけ、あるいは普段の行動を見ているだけで、その人の生き方を感じることが出来るようになりました。
たとえば『普段こんな風に考えてますよね』と言うと『なんでわかるんですか?』とよく言われます。
その人が気づいていない心の動きを感じるときもあります。
見える世界を通して見えない世界を感じているのです。
もともと日本人は察する力が強いといわれていますが、目に見える世界に頼りすぎたばっかりにすっかりその力が弱くなっているように思います。
目に見える世界しか信じていないと目に見えないものを信じることが出来なくなります。
逆に目に見えないものばかりを信じるのも偏っています。
目に見える世界を通して目に見えない世界を感じる。
分けて考えない世界があるのです。
目に見えない世界と目に見える世界を分けないのまとめ
今日は『目に見えない世界と目に見える世界を分けない』と題して、目に見えない世界と目に見える世界を分けないということついて考えました。
目に見えない世界と目に見える世界を分けない
目に見える世界と目に目ない世界は横並びで比べるものではありません。
どちらが正解、不正解というものではないのです。
目に見えない世界は、目に見える世界を通して感じるものです。
日本人の宗教心について
宗教心とは目に見えない力、大いなる力への畏敬の念を持つことです。
日本人は今も昔も目に見えるものを通して目に見えない世界を感じてきたのです。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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