許す心、貴い心|許されたから許す人になれた

許す心は貴い心です。
今日は中山靖雄著『すべては今のためにあったこと』から、許すことの貴さを感じるエピソードをご紹介します。
許すことで救われる心があります。
人は許すことで許されます。
今日は『許す心、貴い心|許されたから許す人になれた』と題して、許すことの貴さについて考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
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毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
許す心、貴い心
中山靖雄著『すべては今のためにあったこと』の中から許すことの大切さを感じる部分を引用させてもらいます。
許す心の貴さを感じるお話です。
ぜひご一読ください。
どんなご縁であっても、自分のためにその出来事に出会わせてもらっています。そのことを本当に納得し、「こういうご縁だったんだなぁ」と心から思えた時に、自分が解放されるのです。
しかし、到底受け入れられない、筆舌に尽くしがたい出来事が起きてしまった時も、本当にそんなふうに思えるのか。そのことを考えてみたいと思います。
私のところへ勉強に来られていた高円寺さんというご夫婦がおられました。
この高円寺さんの五歳の娘さんが突然交通事故に遭い、亡くなってしまったのです。
その時、事故を起こした人が警察にいるということを聞いて、このご夫婦はその人に会いに行かれました。そして、どうされたかというと、このご夫婦はその事故を起こした方に向かって、土下座をして、お詫びをされたのです。
「こういう縁にあわせてしまってごめんなさい。こういう縁にあう子どもを育てたのは私の因縁です。どうぞあなたは安心して、このことを忘れて、世のため人のためになってください。本当にごめんなさい」
このように謝られたのです。ご夫婦には、悲しみも、許し難い思いも当然あったでしょうが、命が生まれてきた理由を本当に学びきっておられたのですね。
頭でわかっていても、実際にそんな目にあった時に、本当にそう思えるかどうかということが難しいわけです。ご夫婦は普段からそのような生き方をしていたからこそ、その時にそういう思いが湧かされたのでしょう。
「許す」ということの大切さはみんな知っているかもしれません。しかし、「許すこと」「許しきること」さらに、「許しおおすこと」は深さが違うのです。この「許しおおす」という世界は、このご夫婦のようなことをいうのかなと深く感じさせられました。
その高円寺さんご夫婦が、この前会いに来てくださってこういうお話をしてくださったのです。
「あの事故から三十年経ちました。あの子の三十年の命日に娘のお墓参りに行ったのです。お墓参りに行くと、新しいお花がお供えしてありました。ああ、誰かがお花を取り替えてくれたのだなぁと思って、いったん帰りかけたのですが、ふともう一度お墓に寄ってみたんです。すると、雨降りの中、娘のお墓に一生懸命拝んでいる人がいたのです。ああ、あの人が花を替えてくれたんだなと思って、よく見てみたら、娘を轢いた相手の方だったのです」
とおっしゃいました。相手の方を見てびっくりした奥さんは、
「お墓参りをしてくださって、あなたもお詫びをしてくれていたのですね。本当にありがとうございます」
と声をかけられたのだそうです。すると、相手の方も驚かれ、
「お母さんでしたよね。ごめんなさい」
と謝られたあと、
「ここで会えると思いませんでした。あの後、一度たりとも事故を起こしたことを忘れたことはありませんでした。私が悪かったのです。本当にごめんなさい。
奥さんとご主人の愛に包まれて、俺はどんなことがあっても人を許さなければいけないんだと思って生きてきました。そして、娘さんを神様みたいに思って、毎日お詫びをして生きてきました。お目にかかれて嬉しかったです。ありがとうございます」とお礼を言ってくださったそうです。
「許すこと、許しきること、許しおおすこと」このことを私は高円寺さんご夫婦から教えていただきました。[p172 許しおおす]より抜粋
許すことでしか救われない
『すべては今のためにあったこと』の中でも、大変衝撃を受け、またこんなことが出来る人間でありたいと痛切に思うエピソードです。
許すということの大切さはみんなが知っていることですが、それを本当に実践することはとても難しいことだと思うのです。
実際に当事者になったとき、許すことに正義を感じないというのも本音の部分にあるだろうと思います。
このお話に出てくる娘さんを轢いた方は、大変反省されていて、30年間お詫びし続けた方なので許した価値があったなと思えますが、反省の色が見られないと許したことじたいを後悔してしまうかもしれません。
このお話を読むまで、こういったケースで許すといった想像は出来ませんでした。
許すことは大切な人(この場合は娘さん)に対する裏切り行為のような気がしていたのです。
許すことも想像出来ませんし、許した場合の世界を想像することも出来ませんでした。
しかし、高円寺さんが実際に許したこのお話で、許した場合の道、許した場合の世界があるんだということを知り、まったく無いと思っていたものが、あるということに驚いているのです。
そして、実際に許した世界の中で、高円寺さんは『自分はどんなことがあっても人を許さないといけない』と、そういう許す人を作ったのです。
高円寺さんが許したことで、五歳という幼さでこの世を去った娘さんの短い人生が価値あるものになったと思うのです。
もし、許していなければ、轢いた方は『許す人』になったでしょうか?
30年もの間、たった一人の人を神様と思ってお詫びをするような人になったでしょうか?
娘さんが亡くなったことは大変残念なことですが、それ自体を無かったことには出来ません。
そのことが、少しでもいいふうに、これからの世界のお役に立つようにするには、許さずに相手を責めることではなく、許すことでしか、いいふうにはならないのです。
許したからこそ、残念な出来事が少しでも価値あることに変わったのです。
許すことで許される
人は許すことで許されます。
誰から許されるかというと、自分からです。
人の失敗で許せないのは、自分も過去に似たような失敗をしていて、自分を許せていないからです。
もしくは、もし自分が同じ失敗をしたら自分自身を許せないからです。
自分が失敗しても大丈夫、取り返しがつく、やり直しが出来ると思えることは他人が失敗したとしても同じように思えます。
人は許すことで許されるというのはそういうことです。
人を許すというのは自分を許すための先出しジャンケンのようなものです。
許すことが相手のためだけではなくて自分のためでもあるとわかっていたら許すことに前向きになれます。
他人を許す広い心は、自分にも向けられるのです。
他人を許すことは自分を許すためのトレーニングです。
たとえ相手を叱ったり、文句を言う場合でも許すことを前提にしてください。
許すつもりがないのに責めると、今度は自分が責められます。
責めたら責められるのです。
許す心、貴い心|許されたから許す人になれたのまとめ
今日は『許す心、貴い心|許されたから許す人になれた』と題して、許すことの貴さについて考えました。
許すことでしか救われない
許したからこそ、残念な出来事が少しでも価値あることに変わった。
許すことで許される
たとえ相手を叱ったり、文句を言う場合でも許すことを前提にしてください。
許すつもりがないのに責めると、今度は自分が責められます。
責めたら責められるのです。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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