悩まない生き方|○○を信じる自分を信じる
悩まないためには、悩んでも仕方がないことに気づくことです。
つまり、ほとんどの、いえすべての悩みは悩んでも仕方がないことに悩んでいるのです。
今日は『悩まない生き方|○○を信じる自分を信じる』と題して、悩まない生き方について考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
悩まない生き方|○○信じる自分を信じる
『僕は悩まないよ』という話
ある人に、『僕は悩まないよ』と言いました。
『そうなんですか?』
少し考えて、『多分。他人の頭の中が見えるわけではないから確証はないけど。多分、僕は他の人とは少し考えが違うと思います』と。
なぜ、僕が他の人とは少し違うと思ったのかというと、かつては僕も他の人と同じように悩んでいたからです。
それも結構つい最近までです。
しかし、最近ブログでよく書いていますが、『すべては決まっている』ということ。そして『必要なものは十分に用意されている』ということを信じるようになって悩まなくなったのです。
すべては決まっているのだから、何が起こっても誰のせいでもないですし、ただ受け入れるだけです。
それまでは、何か悪いことが起こったら誰かのせいにしたり、あるいは自分のせいにして落ち込んだりしていたわけです。
良いことが起こったときには何も思わずに享受する。でも悪いことが起こったら人のせいにしたり、自分のせいにする。何かおかしいですよね。都合が良すぎるというか、逆に悪すぎるというか。
本当は、良いも悪いもない。ただ出来事が起こっているだけ。決まっているかどうかも本当はどっちでもいい。
ただ、決まっていると考えた方が受け入れやすいというだけのことです。
そして、必要なものは十分に用意されているのだから、たとえ無いと感じても、無いことが用意されていると思う。そうすると不足を感じなくなりました。
そうなると他人と比べることもなくなりました。
それまでは自分よりもお金持ちそうだと羨ましかったり、自分のことを不甲斐ないと思うこともしばしばありましたが、それもなくなりました。
その人には必要だからある。僕にも必要なだけある。ただそれだけのことです。
比べても意味がありません。
これは物質だけではなくて、人間関係もそう。
たとえば、彼女彼氏がいない。いないことが必要だから、そうなっている。
いないことで出来てることがあるはずです。
それについては何も考えず。ただ、いないことだけを言うのは変ですよね。
たとえば、離婚歴のある彼氏がいないアラフィフの女性。彼氏がいないおかげで孫の子守が出来る。みたいなことです。
悩まないから、いつも穏やかというわけでもない。
そりゃ嫌なことも嫌いな人もいるから、いっぱしに文句も言います。ですが、それらもすべて用意されていると考えます。
だから嫌だけどやるとか、嫌いだけど必要だからお付き合いするみたいな感じです。
嫌なことが用意されているということは、それがあるからこそ得られることも用意されているということだからです。
誤解がないように付け加えますが、だから我慢をするということではありません。
嫌なことは嫌だと言うし、嫌いな人には嫌いだと言うこともある。
それで場の空気が悪くなることもありますが、それも決まっていたことだと思っているので全然平気です。
我慢して内に溜める方が心に悪いですから。
イヤイヤやるから適当にやるとかでもないです。
逆に、嫌いとか好きなんてことに囚われていないので、やる以上シャキシャキします。
トータル的に言うと、悩まないし、感情にいつまでも囚われないので、いつもスッキリしていて身軽で、小回りが効く燃費の良い軽自動車のような生き方をしている気がします。
自分教
この話をアラフィフの女性にしたら、『黒瀬さんと出会って私はラッキーですね』と言ってもらえます。
そう言われるので、また調子に乗ってこういう話ばかりするのですが。(笑)
こんな話をする人はあんまりいないですからね。
思っていても実際に他人に話す人がいないということもある。
他人に話せないのは、どこかその考えを疑っているからかもしれないですね。
どうせ信じてもらえないというのもあるし、宗教みたいと思う人もいる。
こちらの話を信じないとしたら、その人は別の何かを信じているということですね。
何かを信じることを信仰と言うのですから、宗教みたいと言いながら、その人は別の宗教を信じているようなものです。
科学しか信じないという人は科学を信仰しているわけです。
宗教みたい。『ええ宗教ですよ。自分教です』とか言って笑っています。
一番の教えなど存在しない
別の教えや考えを信じるのも実は同じことです。
自分以外の何かを信じている自分を信じるわけですから、突き詰めると自分を信じられるかが試されているわけです。
月並みですが、『人間は幸せになるために生きている』といいます。
ですが幸せになるためには、自分を信じないとなれません。
自分以外の教えや考えを信じてももちろんいいのですが、それを信じている自分を信じていないとダメです。
仮にその宗教がインチキカルト宗教だったとしても、それを信じたのは自分です。
教えが嘘だったとしても自分を信じてさえいれば関係ないし、その境地にいるのなら本当は自分教でいいはずです。
教えを通して『自分を信じる』ことに気づくことが大切であって、教え自体に特別な効力があるわけではないのですから。
僕は、天でも神でも道(タオ)でも、サムシング・グレートでも『ともいき』でも、何を信じてもいいと言っています。
それは、それを信じる自分を信じるということに気づけるならなんでも一緒だからです。
これが一番とか、これが本物とかいうのは偽物くさいです。
ブルース・リーの『考えるな感じろ』の有名なシーンです。
この中で『指に集中するんじゃない。その先の栄光が得られんぞ』とブルース・リーは言います。
指が教えです。教えに集中すると、その先にある真理が得られないのです。
すべての指が指している一番大切なものに意識を向けないといけないのです。
すべての指は、その一番大切なモノを指し示しているに過ぎないのです。
一番の指など存在しないのです。
悩まない生き方|○○を信じる自分を信じるのまとめ
今日は『悩まない生き方|○○を信じる自分を信じる』と題して、悩まない生き方について考えました。
『僕は悩まないよ』という話
最近ブログでよく書いていますが、『すべては決まっている』ということ。そして『必要なものは十分に用意されている』ということを信じるようになって悩まなくなったのです。
すべては決まっているのだから、何が起こっても誰のせいでもないですし、ただ受け入れるだけです。
それまでは、何か悪いことが起こったら誰かのせいにしたり、あるいは自分のせいにして落ち込んだりしていたわけです。
自分教
こちらの話を信じないとしたら、その人は別の何かを信じているということですね。
何かを信じることを信仰と言うのですから、宗教みたいと言いながら、その人は別の宗教を信じているようなものです。宗教みたい。『ええ宗教ですよ。自分教です』とか言って笑っています。
一番の教えなど存在しない
ブルース・リーの『考えるな感じろ』の有名なシーンです。
この中で『指に集中するんじゃない。その先の栄光が得られんぞ』とブルース・リーは言います。
指が教えです。教えに集中すると、その先にある真理が得られないのです。
すべての指が指している一番大切なものに意識を向けないといけないのです。
すべての指は、その一番大切なモノを指し示しているモノです。一番の指など存在しないのです。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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