『自分が知っている自分』と『他人が知っている自分』
本当の自分を知るためには、これまで知らなかった自分を知る必要があります。
これまで知らなかった自分はどこにいるのか?といえば、それは目の前にいます。
今日は『『自分が知っている自分』と『他人が知っている自分』』と題して、『自分が知っている自分』と『他人が知っている自分』について考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
『自分が知っている自分』と『他人が知っている自分』
誰にでも長所もあれば、短所もある
低レベルな自分に対して、周りが優しいって何かすごい嫌じゃないですか?
厳しくされることもなくかと言って変われるはずもないっていうか。。
yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10272695615)
みなさん、ごきげんよう。
今日もよろしくお願いします。
完璧な人はいません。
誰にでも高レベル(長所)もあれば、低レベル(短所)もあります。
周りが優しくしてくれるのは、質問者さまの長所を見てくれているからだと思うのです。
文章から感じるのは、きっと質問者さまの長所は『優しさ』ではないか?と思います。
優しいから優しくされているのではないでしょうか?
『他人は自分の心を映す鏡』です。
自分が優しいと他人の振る舞いや言葉が優しく感じられるのです。
『本当の自分』は自分の一面
自分というのは、『自分が知っている自分』と『他人が知っている自分』があります。
本当の自分のことは自分しか知らないと思っています。
短所だけが自分の中でクローズアップされて、まるで、それが『本当の自分』のような錯覚が起こります。
他人は『本当の自分を知らない』と思っているので、周りが自分に優しいと申し訳ない気がして嫌な気持ちになります。
ですが『自分が知らない自分』を他人は知っていて、それが自分の長所の場合があります。
『自分が知っている自分』と『他人が知っている自分』。どちらも『本当の自分』です。
たとえば、遅刻をしたとします。
遅刻をしたけど、『ハァハァ』と息を切らせながら駆けつけ、素直に『すいませんでした』と謝りました。
その時、自分にとって自分は『遅刻をしたダメな人』です。そう思っている他人だっているでしょう。
ですが、息を切らせて素直に謝った自分を見ている他人の中には『誠実な人』に映っている人もいるのです。
すべての人が、自分と同じように自分を見ているわけではないのです。
つまり、『本当の自分』だと思っている自分は、自分の一面でしかないのです。
私がそう聞いた
ともいきの約束の一番目『私がそう聞いた』というのは、この世界のすべては『私が解釈している』という意味です。
人は見たいように見、聞きたいように聞いているからです。
遅刻した自分のことを『ダメな人』と解釈しているということは、他人が遅刻したときには、その人のことを『ダメな人』だと解釈するはずです。
自分のときは『ダメな人』、他人だったら『誠実な人』になると、自分の中で矛盾が起こるからです。
他人を見てどう解釈するか?で自分を知ることが出来るのです。
遅刻はしたけど、息を切らせて駆けつける姿が誠実に見えるのは、遅刻したことで迷惑をかけたけど、少しでも迷惑を小さくしたいというその人の心の内を感じているからです。
そう感じるのは、自分が同じ状況になったら同じことをすると想像出来るからです。
遅刻した人が本当にそう思っているかどうかはわからないのですが、自分だったらそうだという想像です。
つまり、それが自分だということです。
『本当の自分』、『本当のあの人』
自分には短所もあり長所もあります。
それ自体は当たり前のことですが、短所を見ているときに長所だってあるとはなかなか思えないものです。
なので、短所を見ているときは、自分のことを嫌いになってしまったり、嫌な気持ちになります。
ですが、必ず両方あります。他人にも両方あります。
長所ばかりの人はいませんし、短所ばかりの人はいません。
長所ばかりを見ればいいわけではないし、短所ばかり見てはいけません。
両方を見ると、『本当の自分』、『本当のあの人』が見えるのです。
両方が見えたとき、自分のことも他人のことも許せると思うのです。
では、ごきげんよう。さようなら。
『自分が知っている自分』と『他人が知っている自分』のまとめ
今日は『『自分が知っている自分』と『他人が知っている自分』』と題して、『自分が知っている自分』と『他人が知っている自分』について考えました。
誰にでも長所もあれば、短所もある
完璧な人はいません。
誰にでも高レベル(長所)もあれば、低レベル(短所)もあります。
『本当の自分』は自分の一面
すべての人が、自分と同じように自分を見ているわけではないのです。
つまり、『本当の自分』だと思っている自分は、自分の一面でしかないのです。
私がそう聞いた
ともいきの約束の一番目『私がそう聞いた』というのは、この世界のすべては『私が解釈している』という意味です。
人は見たいように見、聞きたいように聞いているからです。
『本当の自分』、『本当のあの人』
自分には短所もあり長所もあります。
必ず両方あります。他人にも両方あります。
長所ばかりの人はいませんし、短所ばかりの人はいません。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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