世界は自分を中心に回っている|世界は自分の心の映し鏡
世界は自分を中心に回っています。
好むと好まざるとにかかわらずです。
だから、どう世界を見るか?が大切なのです。
今日は『世界は自分を中心に回っている|世界は自分の心の映し鏡』と題して、世界は自分を中心に回っているについて考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
世界は自分を中心に回っている|世界は自分の心の映し鏡
世界は自分を中心に回っている
人は皆、自分が中心で世界が回っています。
しかし、人のことを、適切に思いやることのできる人もいますよね。
人のことも思いやって行動できている人って、どういう思考回路なんでしょうか。
自分は、人の気持ちを考えて行動するのが苦手なようで、直したいです。
yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11273674846)
みなさん、ごきげんよう。
今日もよろしくお願いします。
おっしゃる通り、人は皆、自分中心に世界が回っています。
『私』がいて世界があるという意味です。
『私』の周りに世界があります。
養老孟司著。平成で一番売れた新書『バカの壁』がありますが、『私』と世界の間には、たしかに『バカの壁』が存在します。
表面的には『私』の周りには、人、モノ、出来事という世界がありますが、実際はそれらのものを『私』というフィルターを通して見ています。
世界は、私の周りにあるようで、実は『私』の中にあります。
『私』にとって都合の良いように見て、都合の良いように聞いています。
つまり、実際には壁の外は見えていないということです。
自分中心に世界が回っているというのは、そういう意味です。
世界は自分の心の映し鏡
自分中心の世界の中で、人のことを適切に思いやれるというのは、どういうことでしょうか?
人は皆、自分中心で世界が回っています。
だからこそ、とも言えるのですが、世界は自分の心の映し鏡です。
自分というフィルターを通して、世界を見ているということは、自分の心を映しているということです。
ということは、人を思いやれるは、自分のことを思いやっているからですし、他人を粗末にするのは、実は自分を粗末に扱っているということなのです。
いじめ問題というのは、それを端的に表しています。
”いじめ”は、他人を粗末に扱う姿の代表例です。
そして、いじめている側も自分のことを粗末に扱っています。
最初は遊び半分なのかもしれませんが、途中からいじめを辞めると今度は自分がいじめられる側になるかもしれないから引っ込みがつかなくなっていっているのです。
強迫観念にかられているのです。
『バレたらどうしよう』、『でも辞めたら次は自分の番だ』と、どんどん自分を袋小路に追い込んでいます。
すべては『私』という壁の中で起こっている
自分が傷つくと苦しいから、他人のことも傷つけまいとします。
自分に厳しい人間は他人にも厳しくなります。
自分に厳しいのは、本当は自分に優しいからです。
今楽をすると、後で困ったことになるので、自分を律しています。
他人に厳しいのも実は優しさだという場合があります。
繰り返しになりますが、すべては『私』という壁の中で起こっていることです。
それをどう感じているか?は、それを受けている相手の壁の中で起こることだということを忘れてはいけないのです。
そのことをすべて自覚した上で、ありのままに壁の向こうを見ることが出来るなら、それは本物の思いやりなのかもしれませんが、それも実は自分というフィルターを通しているのかもしれません。
では、ごきげんよう。さようなら。
世界は自分を中心に回っている|世界は自分の心の映し鏡のまとめ
今日は『世界は自分を中心に回っている|世界は自分の心の映し鏡』と題して、世界は自分を中心に回っているについて考えました。
世界は自分を中心に回っている
表面的には『私』の周りには、人、モノ、出来事という世界がありますが、実際はそれらのものを『私』というフィルターを通して見ています。
世界は、私の周りにあるようで、実は『私』の中にあります。
『私』にとって都合の良いように見て、都合の良いように聞いています。
つまり、実際には壁の外は見えていないということです。
自分中心に世界が回っているというのは、そういう意味です。
世界は自分の心の映し鏡
世界は自分の心の映し鏡です。
自分というフィルターを通して、世界を見ているということは、自分の心を映しているということです。
ということは、人を思いやれるは、自分のことを思いやっているからですし、他人を粗末にするのは、実は自分を粗末に扱っているということなのです。
すべては『私』という壁の中で起こっている
すべては『私』という壁の中で起こっていることです。
それをどう感じているか?は、それを受けている相手の壁の中で起こることだということを忘れてはいけないのです。
そのことをすべて自覚した上で、ありのままに壁の向こうを見ることが出来るなら、それは本物の思いやりなのかもしれませんが、それも実は自分というフィルターを通しているのかもしれません。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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