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真我とは?|ともいきの役割

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真我=ともいきというお話を書きます。

ともいきとは漢字で書くと共生です。

共に生きること。

何が共に生きるのか?

それは、見えているものと見えていないものが共に生きることです。

今日は『真我とは?|ともいきの役割』と題して、真我とは?について考えます

 

世界一、幸せなみなさんへ

今日も読んでいただき
感謝しています。

そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。

くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。

くろちゃんは、
世界一幸運です。

毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。

真我とは?|ともいきの役割

真我とはともいきである

昨日のブログで、道元が悟りを開くきっかけになった言葉『身心脱落(しんじんだつらく)』について書きました。

そして、何を隠そう『ともいき』とは、『身心脱落』の境地と同じではないかと感じています。

ネットで検索をすると、身心脱落とは『あらゆる自我意識を捨ててしまうこと』とありますが、それはひとつの表現であって、それだと自我だけが悪者みたいになってしまいます。

自我と真我は表裏一体です。

自分があって世界があるように、自我があって真我があるし、真我があって自我があるという関係だと考えています。

だとすると、私が消え、世界が消え、そしてどちらでもないひとつが出来る。これが『身心脱落』であり、『ともいき』です。

といっても、これもひとつの表現に過ぎません。

もうひとつ違う表現をご披露すると、とてつもなく自我が大きくなって、すべてが自我になったとき、それは真我になります。

真我とは何か?というと分かつことが出来ない『ひとつのもの』ですから、すべてが真我になっても真我ですが、それが自我でも同じことです。

自我が消えて、真我が消えて、そのどちらでもない『ひとつのもの』になったとしても、それも真我です。

真我と名がついたものが真我なのではなく、『分かつことが出来ず、そしてこの世界にたったひとつしかないもの』それが真我だということです。

便宜上、世界という言葉を使いましたが、世界にたったひとつしかないという文章はおかしいのです。

おかしさを説明することで、本当に伝えたいことが伝われば幸いです。

『世界にたったひとつしかないもの』というのがあるとしたら、それは『世界』と『もの』がふたつ存在していることになり、ひとつしかないものではなくなってしまいます。

『もの』が世界そのものになる。これが真我です。

つまり、換言すると『私が世界そのもの』であるという境地こそ真我であり、『身心脱落』であり、『ともいき』なのです。

真我を正しく言葉で説明出来ないのは文章で書くとこういう矛盾が起こるからです。

ともいきの役割

さて、いくらそういうことを頭で理解しても生きている間は『私』があります。

『私』があるということは、『世界』があるということです。

そうすると忘れてしまいます。

忘れるというよりも目の前にあることが優先されてしまいます。

そして、目の前に起こる出来事に一喜一憂してしまい、怒ったり、悲しんだり、また喜んだりもするわけです。

『私が世界そのもの』ですから、何が起ころうと、何に感情が揺さぶられようが、実は何の問題もありません。

ときに、あまりにも苦しいときがあって、そんなときはこの世界の理(ことわり)を思い出すと楽になります。

『ともいき』の目的はそのことを思い出すことです。

『私』が物語の中にどっぷり浸かってしまって、巻き込まれているときにヒョイとつまんで物語の外にある客席にあなたを戻す。

そんな役割が『ともいき』にはあると思っています。

心の中でふたつに分かれた『私」がひとつになる

そのための方法論として、何度か紹介していますが、お釈迦さまのエピソードのようなことをします。

ある朝、お釈迦さまが集会で座っていました。

ある男がお釈迦様のもとにやってきました。

その男は熱心な信奉者で、神の存在を信じて人生を生きてきましたが、人生も残り少なくなって来て、ほんの少しだけ疑いを持ってしまったのです。

とうとう男はお釈迦さまに尋ねました。

『神はいますか?』と。

お釈迦さまはその男にこう言いました。『いません』と。

夕方、別の男がまたお釈迦さまによってきました。

その男は大変な無神論者で、どれだけ神を信じている人がいても10分も話すと神がいないことを証明しました。

その男も、やはり人生が残り少なくなってきて、もし本当は神がいたとしたら?と、自分の考えを疑ってしまっていたのです。

その男もお釈迦さまに尋ねました。

『神はいますか?』と。

お釈迦さまは言いました。『います』と。

なぜ、朝と夕方でお釈迦さまはまったく反対のことを言ったのでしょう?

お釈迦さまがなさったことは、その人が信じていることの反対を見せたということです。

見えている景色の反対の景色を見せたのです。

そのためには『聞く』ということが大事になってきます。

それも言葉を聞くことではなく、心を聞くことです。

お話を聞いて、その人が心で見ている景色を感じ、見えていない景色を見せます。

そうすることで見えているモノと見えていないモノがひとつになります。

『ともいき』とは、漢字で書くと共生です。

見えているモノと見えていないモノが共に生きること。

心の中でふたつに分かれた『私」がひとつになることです。

ありのままにこの世界を捉えることで、見えていないことで起こる苦しみから解放されるのです。

真我とは?|ともいきの役割のまとめ

今日は『真我とは?|ともいきの役割』と題して、真我とは?について考えました。

真我とはともいきである 
『世界にたったひとつしかないもの』というのがあるとしたら、それは『世界』と『もの』がふたつ存在していることになり、ひとつしかないものではなくなってしまいます。
『もの』が世界そのものになる。これが真我です。
つまり、換言すると『私が世界そのもの』であるという境地こそ真我であり、『身心脱落』であり、『ともいき』なのです。

ともいきの役割 
ときに、あまりにも苦しいときがあって、そんなときはこの世界の理(ことわり)を思い出すと楽になります。
『ともいき』の目的はそのことを思い出すことです。
『私』が物語の中にどっぷり浸かってしまって、巻き込まれているときにヒョイとつまんで物語の外にある客席にあなたを戻す。
そんな役割が『ともいき』にはあると思っています。

心の中でふたつに分かれた『私」がひとつになる 
『ともいき』とは、漢字で書くと共生です。
見えているモノと見えていないモノが共に生きること。
心の中でふたつに分かれた『私」がひとつになることです。
ありのままにこの世界を捉えることで、見えていないことで起こる苦しみから解放されるのです。

今日も読んでいただきありがとうございます。

 

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