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愛とは自分中心が発展したもの?|完璧な愛について

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今日の質問は『愛とは自分中心が発展したもの?』です。

自分中心という言葉が愛とはほど遠いという感じですが、そこのところを解説します。

今日は『愛とは自分中心が発展したもの?|完璧な愛について』と題して、完璧な愛ついて考えます。

 

世界一、幸せなみなさんへ

今日も読んでいただき
感謝しています。

そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。

くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。

くろちゃんは、
世界一幸運です。

毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。

愛とは自分中心が発展したもの?|完璧な愛について

無償の愛

愛って自分中心から発展していく物なんですか?

yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11272850391

 

みなさん、ごきげんよう。

今日もよろしくお願いします。

 

愛とは何か?

『無償の愛』という言葉があって、見返りを求めることはせず、相手のために尽くす愛情だと言われます。

『見返りを求めない』というのは、自分を犠牲にしてでも相手に尽くすということで、これは愛ではあるけども『究極の愛』ではない気がします。

上下をつけるのはおこがましいですが、更に完璧な愛、最上級の愛があると思います。

『愛』に最上級があるとしたら、それは優劣がなく、分かつことが出来ない『完璧な愛』ではないか?と思います。

完璧な愛

『無償の愛』は、私が見返りを求めずに相手に尽くす愛です。

私が(我)ですから、私が愛したいという気持ちです。

それは、相手が上(大切)で自分を下(犠牲)にするという区別があります。

貴い愛に違いないのですが、そこに区別があります。

相手と私の区別がない『愛』。優劣のない『愛』。分かつことが出来ない『完璧な愛』こそが『愛』です。

無償とか、自己とか、修飾語がつかない『愛』です。

誰も犠牲にならない『愛』。愛という言葉でしか表現出来ない『愛』です。

それが『完璧な愛』です。

さて、現実的にそんな愛が存在するのか?

概念としてはあっても、実現することは難しいです。

ですが、大事なことは概念として在るということです。

概念が在るからこそ、実現出来なかったとしても目指すことが出来るからです。

それに限りなく近いのが『無償の愛』であるというのなら、もっともだと思います。

すべては『自分』

たとえば、他人のことを『こんな人だ』と解釈しているのは自分です。

起こった出来事を幸せだとか、不幸せだとか解釈しているのも自分です。

すべては自分の中で起こっていることです。

すべては『自分』なのだと気づくのが究極の愛です。

『私はあなた、あなたは私』というのは、すべてはそれぞれの『私』の中に在るということです。

苫米地博士が、You Tubeで、お釈迦さまが悟ったことは何か?を説明していました。

『ここにあるコップと自分の母親、どっちが大事かって聞かれたら、どっちも同じくらい大事』ということをお釈迦さまは悟ったのだと言っていたのを聞きました。

なるほどと思いました。

頭で考えたら、もちろん母親です。

それでいいんです。

ですが、それは区別をつけているわけです。

『親子愛』という修飾語がついた愛です。

『愛』には違いないですが、分かつことが出来ない『完璧な愛』ではないのです。

愛とは自分中心が発展したもの?

今日の質問『愛とは自分中心が発展したもの?』の回答ですが、すべては『私』(自分)の中に在って、頭の中で優劣をつけているのが、修飾語がついた『愛』です。

『無償の愛』『自己愛』『家族愛』『人類愛』『愛国心』etc.

それらの優劣がなくなったとき。

生きている間はなくならないと思いますが、なくなる瞬間があるとしたら、それが『愛』(完璧な愛)です。

人は生きている間『私』があります。

『私』がある間は『私』と『私以外』という区別があります。

生きている間は、区別もあるし、優劣もつけます。

死んだ瞬間『私』はなくなり、『私以外』もなくなります。

そのとき、『私』と『私以外』の区別がなくなり、ひとつになります。

その状態が『完璧な愛』です。

私が(我)愛するのではなく、私が『愛』になるのです。

なので、『自分中心から発展していったモノ』というのは、ひとつの表現として間違っていないと思います。

 

では、ごきげんよう。さようなら。

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今日は『愛とは自分中心が発展したもの?|完璧な愛について』と題して、完璧な愛ついて考えました。

無償の愛 
『無償の愛』という言葉があって、見返りを求めることはせず、相手のために尽くす愛情だと言われます。
『見返りを求めない』というのは、自分を犠牲にしてでも相手に尽くすということで、これは愛ではあるけども『究極の愛』ではない気がします。
上下をつけるのはおこがましいですが、更に完璧な愛、最上級の愛があると思います。

完璧な愛 
相手と私の区別がない『愛』。優劣のない『愛』。分かつことが出来ない『完璧な愛』こそが『愛』です。
無償とか、自己とか、修飾語がつかない『愛』です。
誰も犠牲にならない『愛』。愛という言葉でしか表現出来ない『愛』です。
それが『完璧な愛』です。

すべては『自分』 
たとえば、他人のことを『こんな人だ』と解釈しているのは自分です。
起こった出来事を幸せだとか、不幸せだとか解釈しているのも自分です。
すべては自分の中で起こっていることです。
すべては『自分』なのだと気づくのが究極の愛です。

愛とは自分中心が発展したもの? 
人は死んだ瞬間『私』はなくなり、『私以外』もなくなります。
そのとき、『私』と『私以外』の区別がなくなり、ひとつになります。
その状態が『完璧な愛』です。
私が(我)愛するのではなく、私が『愛』になるのです。
なので、『自分中心から発展していったモノ』というのは、ひとつの表現として間違っていないと思います。

今日も読んでいただきありがとうございます。

 

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