『今を生きる』となぜ良いのか?|『今』とは、不安や心配がない世界

『今を生きる』となぜ良いのか?
そもそも今を生きるとは?どういうことなのか?
ふわふわした抽象的な内容になりますが、言葉ではなく言葉の奥にあるモノを掴んでいただければ幸いです。
今日は『『今を生きる』となぜ良いのか?|『今』とは、不安や心配がない世界』と題して、『今を生きる』となぜ良いのか?について考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
『今を生きる』となぜ良いのか?|『今』とは、不安や心配がない世界
『今を生きる』とはどういうことか?
「今を生きる」という言葉があります。
「今を生きる」と不安や心配事を考えず、過去のことを後悔することもなくなる、
らしいのですが、
私には、全くその意味がわかりません。
今に集中しても、不安や心配事は頭から消えませんし、
過去のことを悔やみます。
生き方が下手なのは承知しています。
「今を生きる」となぜ良いのか、
どなたか教えていただけますと幸いです。
yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13267964618)
みなさん、ごきげんよう。
今日もよろしくお願いします。
『今を生きる』ことをオススメしていますが、『今を生きる』ことがなぜ良いのか?だけについて書いたことがなかったと思いますので、この質問の回答をキッカケに『今を生きる』ことの良さについて書いていきます。
まずは、『今を生きる』とはどういうことか?
『今を生きる』というのは『私』だけが、私以外とは別に『今を生きる』ということではありません。
『今に在るものと共に生きる』ことです。
『今に在るもの』とは何か?というと、それは『私』以外のすべてです。
実は『私』だけが、厳密にいうと『私の心』だけが、今にいないことがあるのです。
『私』の身体はいつでも『今に在るもの』です。
なので、『私の心』だけがフワフワとしていて、過去や未来、そして今を行ったり来たりしているのです。
その心を『今に集中する』ことで『今を生きる』ことが出来ます。
そして、『私の心』以外はいつでも『今』に在りますから、『今に在るものと共に生きる』ということは、世界と共に生きること。
つまり、世界と『私』がひとつになることなのです。
世界は大きなジグソーパズルのようなもの
世界と『私』がひとつになるといっても意味がわからないと思います。
元々、世界と『私』はひとつなのです。
1セットということです。
会話は『話すと聞く』で1セット。
『見る人と見られる人』で1セット。
『原因と結果』で1セット。
『こことここ以外』で1セット。
『私と世界』で1セット。
1セットの集まり、集合体が世界です。
世界はひとつの塊なのです。
大きなジグソーパズルのようなもの。
その中のひとつのピースが『私』です。
そのひとつのピースは、世界という大きなジグソーパズルがあって成り立っています。
ピースひとつひとつは形は違いますが、すべてのピースがセットになって大きなひとつのパズルが完成します。
つまり、それが1セットということです。
ですが、『私の心』だけがフワフワしていて、今にいないことがあって、世界と分離してしまっていることがあります。
もうほとんどの時間がそうなのです。
それが『私』という感覚です。
『今在るものと共に生きる』ことで、『私の心』もパズルのピースとしてセットされるのです。
それが『今を生きる』ということ。
世界と『私』がひとつになった状態です。
『今を生きる』となぜ良いのか?
『今を生きる』となぜ良いのか?
『私の心』が今にないとき、どこに在るか?というと、『いつかのあそこ』に在ります。
つまり、過去か未来です。
『今』ではないところです。
そして、『今』と比較をしているのです。
過去と『今』を比較して、『今』の方が良ければ幸せですし、『今』の方が悪ければ不幸せを感じます。
未来を思うとき、『今』よりも未来が明るければ幸せですし、暗ければ不幸せな気持ちになります。
ですが、人間は大抵『今にないモノ』を見ます。
『今にないけれど過去にはあった』とか、『今にはないけれど未来には手に入れたい』と考えます。
つまり、心が『いつかのあそこ』にあるとき、大抵は『今にはない』。
つまり今は不幸せなのです。
ですが、心が今に在るときは、今在るものしかありません。
心が『いつかのあそこ』には在りませんから、今在るものしか見ていないのです。
そこには不幸せも幸せもありません。
『今しかない』のです。
不幸せも幸せも比較から生じるものです。
心が『いつかのあそこ』に在るから、『今』と比較をしますが、心が『今』にしかないときは比較が出来ないのです。
ただ、今しかない。
なぜ?心が『今』に在ると『いつかのあそこ』と比較をしないのか?
それは心が『今に在る』とき、思考が出来ないからです。
『今在るものと共に生きる』というのは、五感を通じて『今在るもの』を感じているときです。
そのときは、思考が出来ないのです。
だから、何かと比較することも出来ないのです。
感じることと、思考は両立出来ません。
ですから、今を生きているとき、不安や心配の気持ちが起こらないのです。
なので、『今』という世界は、幸せな世界というより不安や心配がない世界です。
もう少しいうと、幸せとは、特別良いことがあるということではなくて、何ごともないこと。
不安や心配がないことなのです。
つまり、それが『今を生きる』なのです。
では、ごきげんよう。さようなら。
『今を生きる』となぜ良いのか?|『今』とは、不安や心配がない世界のまとめ
今日は『『今を生きる』となぜ良いのか?|『今』とは、不安や心配がない世界』と題して、『今を生きる』となぜ良いのか?について考えました。
『今を生きる』とはどういうことか?
『今を生きる』というのは『私』だけが、私以外とは別に『今を生きる』ということではありません。
『今に在るものと共に生きる』ことです。
『今に在るもの』とは何か?というと、それは『私』以外のすべてです。
実は『私』だけが、厳密にいうと『私の心』だけが、今にいないことがあるのです。
世界は大きなジグソーパズルのようなもの
世界はひとつの塊なのです。
大きなジグソーパズルのようなもの。
その中のひとつのピースが『私』です。
そのひとつのピースは、世界という大きなジグソーパズルがあって成り立っています。
ピースひとつひとつは形は違いますが、すべてのピースがセットになって大きなひとつのパズルが完成します。
『今を生きる』となぜ良いのか?
感じることと、思考は両立出来ません。
ですから、今を生きているとき、不安や心配の気持ちが起こらないのです。
なので、『今』という世界は、幸せな世界というより不安や心配がない世界です。
もう少しいうと、幸せとは、特別良いことがあるということではなくて、何ごともないこと。
不安や心配がないことなのです。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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