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自己肯定感の本質|ありのまま受け入れる

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ありのままの自分を大事にして、人と比べない心が自己肯定感です。

無理に自分をよく見せなくても大丈夫で、そのままの自分を受け入れることが大切です。

今日は「自己肯定感の本質|ありのまま受け入れると題して、自己肯定感について考えます。

 

世界一、幸せなみなさんへ

今日も読んでいただき
感謝しています。

そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。

くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。

くろちゃんは、
世界一幸運です。

毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。

 

●おすすめYouTube

くろちゃんはYouTubeを
観るのが大好きです。
毎日ガンガン観ています!

今日も、
そんなYouTubeの中から
オススメのものを紹介します。

●江川卓と掛布雅之の伝説の一打席

 

●自己肯定感の本質|ありのまま受け入れる

 

○自己肯定感の本質|ありのまま受け入れる

 

自己肯定感について

周りから見てブサイクな人が「自分はブスだけど他に魅力があるから大丈夫」という考えを持つのは自己肯定感が高いということですか。

また「周りからしたらブスだけど私的には可愛い」という状態は自己愛が高いということですか。どうなれば自己肯定感が高いと言えるのでしょうか。

yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14316862374

※質問は原文ママです。

 

みなさん、ごきげんよう。今日もよろしくお願いします。

 

ブスだとか魅力があるとか、そういうことに囚われなくなったら自己肯定感が高いように思います。

ありのままの自分でいいという感覚です。

ブスだろうが、美しかろうが、魅力があろうがなかろうが、自分は自分という感覚です。

そういうことで他人とも比較しなくなった状態です。

 

自己肯定感を持つというのは、「私は他の人より美しい」「私は特別な能力があるから大丈夫」と思い込むことではありません。

それは自己防衛的な自己評価であり、本質的には「他人と比べて安心を得ようとする心」です。

本当の自己肯定感はもっと静かで、もっと穏やかなものです。

たとえば、周りから「ブサイク」と言われたとしても、その言葉を深刻に受け止めなくなります。

「そう思う人もいるんだね。私は私だよ」と、心の奥でどっしりと構えられるようになります。

 

「他人からどう見えるか」が気にならなくなり、「私はこのままでいい」と思える心のあり方が、自己肯定感の土台です。

もちろん、人間だから他人の評価がゼロになるわけではありません。

でも、それを自分の価値とイコールで結びつけなくなるのです。

 

たとえば、ある人が「自分はブスだけど他に魅力があるから大丈夫」と考えるのは、自己肯定感の入り口としては有効かもしれません。

ですが、それもやはり「他の魅力がないと認められない」「何か優れた部分がないといけない」という条件つきの自己受容です。

より深い自己肯定感は、「条件がなくても、ただ自分をそのまま肯定できる」境地です。

 

この境地では、美しさも醜さも、優秀さも平凡さも、あくまで「自分を形作る要素の一つ」でしかなくなります。

そして、「他人と比較する理由がそもそもない」という感覚が育ってきます。

だから、ありのままの自分をそのまま受け止める。

それこそが、自己肯定感が高い人の自然な心の状態です。

◯「自己肯定感」という言葉を握りしめない

 

自分のことを好きな人は、自己肯定感が高いということになりますが、自分のことを好きな人は、自己肯定感について考えません。

「自己肯定感」という言葉が自分の中にあるうちは、自己肯定感は高くありません。

自己肯定感が高くないから、自己肯定感に囚われてしまうのです。

 

多くの人は、「自己肯定感を高めるにはどうしたらいいんだろう」と一生懸命考えます。

確かに自己肯定感は大切ですし、意識して向き合う段階も必要です。

でも、本当に自己肯定感が育つとき、私たちはそのことをあえて言葉にしたり、意識に上らせる必要がなくなります。

それは、呼吸のように当たり前に「ただ在る」感覚です。

 

たとえば、赤ちゃんや小さな子どもたちは、自分のことを「これでいいのかな?」などとは思いません。

彼らはそのままで生きていて、泣きたいときに泣き、笑いたいときに笑います。

そこに自己否定も過剰な自己評価もありません。

大人になるにつれ、「こうでなければならない」「人より優れていなければならない」という条件や評価基準が心に植えつけられていきます。

その結果、「自己肯定感が欲しい」という願いが生まれてしまうのです。

 

ですから、もし「自己肯定感がある状態」を目指すなら、意識の中で「自己肯定感」という言葉を握りしめ続ける必要はありません。

むしろ「自己肯定感を高めようと頑張っている自分」に気づき、その頑張りさえも優しく見守ることです。

「私は自己肯定感がまだ十分ではない。それでもいい」と言ってあげること。

その態度が少しずつ自己肯定感を育てる土壌になります。

 

「自己肯定感が高いかどうか」を気にするうちは、まだ「他人との比較や理想の自分像」に囚われています。

「私は自己肯定感について考えなくても、ただ自然にここにいて大丈夫」と思えるとき、その人はもう自己肯定感に悩む必要がないでしょう。

◯私も尊い。あなたも尊い。

 

自分のことを好きな人は、自分のことを大切にします。

自分のことを大切にする人は、他人のことも大切にします。

西郷隆盛の座右の銘として有名な言葉「敬天愛人」。

「天は人も我も、同一に愛し給うゆえ我を愛する心を以って、人を愛するなり。」と南洲遺訓にその意味が書かれています。

他人のことを自分のことのように愛するということの大切さ、尊さを説いています。

本当に自分のことを好きな人は、自分のことを大切にし、それと同じように他人のことも大切にします。

自分という存在が尊いのなら、それと同じ「人」である他人も尊い存在だということです。

だから、自己肯定感が高い人は、他人と比べません。

自分も他人も同じくらい素晴らしい存在だと信じているからです。

 

「自分を大切にする」と聞くと、わがままや利己主義だと感じる人もいます。

けれど本当の自己肯定感は、自己中心的な態度とは正反対です。

「自分が尊い」という感覚がしっかり根付くとき、他人も同じくらい尊い存在だと心から理解できます。

だから、比較や優劣ではなく「共に人間としてここに生きている」という親密さが生まれます。

 

「私が私を愛するように、他の人も愛する」。

これが「敬天愛人」の精神そのものです。

つまり、自己肯定感が高い人は、他人の欠点を責めたり、劣っていると決めつけたりしません。

自分を受け入れているから、他人をもそのまま受け入れることができます。

 

もし「周りからブスだと思われる自分」を責める心がまだ残っていたら、まずは「そう思う自分もいていい」と許してあげましょう。

「自己肯定感が足りないからダメだ」と否定する必要はありません。

人は誰でも不完全で、弱さも揺らぎも抱えています。

それでも「自分を大切にする練習」を積み重ねていくうちに、自然に他人にも優しい目を向けられるようになります。

 

「私も尊い。あなたも尊い。」

この感覚が育っていけば、周りからどう見えるかは大きな問題ではなくなっていきます。

そして、あなたはあなたらしく生きる自由を手に入れるのです。

 

今日も読んでいただきありがとうございます。

では、ごきげんよう。さようなら。

 

 

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