健康を願う心は煩悩?|「今」を受け入れる智慧

「健康になりたい」と思う気持ちも、今じゃない自分を求める心=煩悩です。
でもその思いがあるからこそ、私たちは元気に生きようとする力が出てくるのです。
今日は「健康を願う心は煩悩?|「今」を受け入れる智慧」と題して、煩悩について考えます。
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●健康を願う心は煩悩?|「今」を受け入れる智慧
○健康を願う心は煩悩?|「今」を受け入れる智慧
けんこうになりたい。健康でいたいというのは煩悩ですか?
yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13314731263)
※質問は原文ママです。
みなさん、ごきげんよう。今日もよろしくお願いします。
今以外のことを願う心は、すべて煩悩であると考えられます。
煩悩とは、文字通り私たちを煩わせ、悩ませ、苦しめる心のことです。
たとえば、「健康になりたい」「健康でいたい」という誰もが願うことも煩悩に含まれます。「なりたい」という願望は「今」の状態ではない未来を求める心であり、「いたい」「このままでありたい」という願望もまた、「今の状態がいつまでも続くとは限らない」という不安から生じる「今」以外の状態を求める心だからです。
重要なのは、その願いの内容が正当であるか、もっともであるかではありません。私たち自身を煩わせ、悩ませるものであるならば、それは煩悩なのです。「もっと健康に」「もっと幸せに」「もっと穏やかに」という「もっと」がつく限り、それは「今」を否定する気持ちであり、それが煩悩です。
もちろん、健康を願うこと自体は悪ではありません。それが原動力になって努力できることもあります。ですが、その願いに囚われて、今の自分を否定し、苦しみ続けるならば、それはまさに煩悩による支配です。
私たちは「健康でありたい」と願うあまり、「病気になるかもしれない」という不安を常に抱えます。「健康を保てているのか」と自分にプレッシャーをかけ続けます。それが知らず知らずのうちに心をすり減らしていくのです。
「今」を生きるということは、健康である今の自分を受け入れること。あるいは、たとえ病気を抱えていても、その現実を否定せず、そこにとどまる覚悟を持つことです。未来を願い、過去を悔やみ、「今」を忘れてしまう私たちの心の在り方こそが、真に煩わせるものなのです。
◯悟りを求める願望もまた煩悩
煩悩を滅ぼし、苦しみから解放されることは「解脱」や「悟り」と呼ばれます。
しかし、生きることは本質的に煩悩を伴うものです。「朝起きる」「歯を磨く」「ご飯を食べる」といった日常の行為は、常に「今」とは異なる状態を目指す動きと言えます。「空腹を満たす」「不快を避ける」など、生きるとは「今この瞬間」に満足していないことから出発する営みでもあります。
さらに言えば、解脱や悟りを求める願望そのものもまた、煩悩の一つなのです。涅槃を目指し、苦しみのない心を求める心も、「今ではない状態」を目指す心です。つまり、「煩悩をなくしたい」という願いもまた煩悩。そう考えると、私たちはどこまでいっても煩悩から逃れられないように思えます。
では、どうすればいいのか。答えは、煩悩を否定せず、煩悩と共に生きることにあります。
「今を生きる」ことの本質とは、「今を生きたい」ではなく、「今のままでいい」と受け入れる姿勢です。
「健康になりたい」という思いも、「健康でいたい」という願いも、それ自体を消そうとする必要はありません。むしろ、「そう思ってしまう自分がいるんだ」と認めること。認めることで、その願いに対する執着が少しずつほどけていきます。
つまり、煩悩があるからこそ、人は努力し、学び、歩んでいけるのです。煩悩が悪ではなく、煩悩に支配されることこそが問題なのです。
煩悩をコントロールしようとせず、ただ見つめること。そこにこそ「今を生きる」第一歩があります。
◯煩悩を生きる力に
「健康になりたい」「健康でいたい」と思う心は、確かに煩悩です。けれども、すべての煩悩を否定する必要はありません。むしろ、その煩悩があるからこそ、私たちは毎日歯を磨き、野菜を食べ、早く寝ようとするのです。
つまり、「健康になりたい」という煩悩は、私たちを動かすエネルギーでもあります。自分の体を大切にしようとする愛。誰かのために元気でいたいと願う優しさ。その根底には、命を守ろうとする強い意志があります。
煩悩のすべてを消そうとするのではなく、それを「生きる智慧」に変えていくことが大切ではないでしょうか。たとえば「怒り」は他人への関心の裏返しであり、「欲」は向上心の表れでもあります。健康への願いもまた、自分の存在を丁寧に生きようとする意志の表現にほかなりません。
だからこそ、大切なのは「なぜ健康を願うのか」という問いを、自分に向けることです。「誰のために健康でいたいのか?」「その願いの先にあるものは何か?」と問い直すことで、煩悩に巻き込まれず、主体的に生きることができるようになります。
煩悩を持つことは、弱さではありません。それは「生きている証」です。健康を願う心があるならば、それを丁寧に抱きしめましょう。
そして、その願いに流されることなく、しっかりと「今」の自分を見つめることができたとき、私たちはようやく「健康でいたい」という願いを、人生を深める力に変えることができるのです。
では、ごきげんよう。さようなら。
電子書籍を出版しています。
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ぜひ、お読みください。m(_ _)m
●今日のまとめ
今日は「健康を願う心は煩悩?|「今」を受け入れる智慧」と題して、煩悩について考えました。
○健康を願う心は煩悩?|「今」を受け入れる智慧
「健康になりたい」「健康でいたい」という誰もが願うことも煩悩に含まれます。「なりたい」という願望は「今」の状態ではない未来を求める心であり、「いたい」「このままでありたい」という願望もまた、「今の状態がいつまでも続くとは限らない」という不安から生じる「今」以外の状態を求める心だからです。
◯悟りを求める願望もまた煩悩
生きることは本質的に煩悩を伴うものです。「朝起きる」「歯を磨く」「ご飯を食べる」といった日常の行為は、常に「今」とは異なる状態を目指す動きと言えます。「空腹を満たす」「不快を避ける」など、生きるとは「今この瞬間」に満足していないことから出発する営みでもあります。
さらに言えば、解脱や悟りを求める願望そのものもまた、煩悩の一つなのです。
◯煩悩を生きる力に
煩悩を持つことは、弱さではありません。それは「生きている証」です。健康を願う心があるならば、それを丁寧に抱きしめましょう。
そして、その願いに流されることなく、しっかりと「今」の自分を見つめることができたとき、私たちはようやく「健康でいたい」という願いを、人生を深める力に変えることができるのです。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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