人間を嫌いになるのは普通?|不完全さを受け入れる視点
人間を嫌いになることは、相手の理不尽さや不合理さに目が向くため、自然な感情です。
しかし、不完全さを理解し、許すことで、自分の心に平穏をもたらし、成長することができます。
他人の短所や違いを受け入れることで、自分自身もより豊かな人間に成長できるのです。
今日は「人間を嫌いになるのは普通?|不完全さを受け入れる視点」と題して、人間嫌いについて考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
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●人間を嫌いになるのは普通?|不完全さを受け入れる視点
○人間を嫌いになるのは普通?|不完全さを受け入れる視点
人間を嫌いになるのってある意味当たり前な気がしますが、どう思いますか?
人間って理不尽な部分を沢山持っているし、自身の偏った考え方や感情などで不合理なことをしたり、他者を巻き込んだり傷つけたり。
生きている限り周囲になんらかの迷惑をかけながら存在してると思います。
悩みごとの大半が「人間関係の悩み」と言われているし、実際のところ恋愛や結婚で上手くいく人の方が少ないのも人間が難しい生き物だからだと思います。
自分も含めてひとりひとり何かしらの癖や未熟さを持っているものだし、そこは妥協が必要なのは分かりますが、でもいちいち相手にし続けているとやっぱりめんどくさいなとなり、うんざりして嫌気がさしてしまいます。
もはや拒絶反応すら起こりそうで、私の場合極端ですが、ちゃんと現実が見えていれば、普通人間を嫌になるのは当たり前じゃないか?と思うのですが、これは少数派の意見なのでしょうか??
人間好き!っていう方の感覚や人の長所の方を見つけられる!という人の感覚が分からないので羨ましいです。
yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13303531423)
※質問は原文ママです。
みなさん、ごきげんよう。今日もよろしくお願いします。
おっしゃる通りだと思います。真実を言い当てていると思います。
ただ、そんな不完全な人間を好きになるという考え方もあると思うのです。
不完全な自分を愛するように、不完全な他人のことも愛するのです。愛するといっても、手放しで愛するという能天気な愛ではなく、腹も立つし、時に殺したいほど憎いときもあるけれど、完全に見放すことはできないといった、親子の愛に近い感覚です。
嫌いというのが素直で正直な気持ちであっても、それでも気になってしまうという感じです。短所もいっぱいあるけれど、そうは言っても良いところもあるという見方です。
このように、不完全な人間関係に対する妥協と許容は、私たちの心にどのように作用するのでしょうか?
それは、それぞれの経験や価値観によって大きく異なりますが、結果的に人間を嫌うか、あるいはその不完全さを受け入れるかの選択に迫られることが多いです。
多くの人が抱える「人間関係の悩み」は、まさにこの二つの感情が複雑に絡み合った結果として生じるのです。
また、他人を許すという行為は、自分自身を解放するための手段でもあります。
相手の欠点や理不尽さに対して苛立ちを感じるとき、その感情を放置すれば、自分自身の中に、その怒りや憎しみが起こることになります。
しかし、許すことで、心の平穏を取り戻し、自分の精神的な健康を守ることができます。「許す」とは、自分の内なる世界に安心と平和をもたらすのです。
ですから、質問者さまが感じる「人間を嫌いになるのは当たり前だ」という感覚は、決して間違っているわけではありませんが、それだけではないのです。
嫌いになること自体は自然な反応であり、それを否定する必要はありません。しかし、その感情の奥には、相手を許し、理解しようとする別の感覚が存在するのかもしれません。
◯不完全さが私たちを人間らしくさせている
その時々を切り取れば、理不尽で不合理で、自分とはまったく考えの違う他人を好きになることなどありえないのかもしれません。
しかし、またその時々を切り取れば、弱くて、健気で、思いやりがあり、愛すべき存在。それが人間という存在です。そして、その両方が自分の中にも在るのです。
私たちが他人を嫌いになる理由の多くは、相手の欠点や理不尽さに目が行くからです。
しかし、その一方で、その欠点の背後には、彼らが持つ人間らしさや弱さも隠れているのです。理不尽さや不合理さは、時に彼ら自身が抱える葛藤や困難の表れであり、それを理解することで、少し違った視点で彼らを見ることができるようになるかもしれません。
人間は誰しも完璧ではありません。むしろ、その不完全さが私たちを人間らしくさせているとも言えるでしょう。
他人の欠点や矛盾に目を向けるとき、その背後にある背景や理由を理解することで、より寛容な心で接することができるようになります。
そうすることで、相手に対する憎しみや嫌悪感を和らげ、自分自身の心の安定を保つことができるのです。
人間関係において、私たちは常に相手との違いを感じ、それが原因で摩擦が生じます。
しかし、その違いを受け入れ、お互いの弱さや不完全さを認め合うことができれば、より深い信頼関係を築くことができるのです。
これが、他人との関係を続けていく上での重要な要素となります。
だからこそ、他人を嫌いになること自体は自然な感情ですが、その背後にある人間らしさや共感を見つけ出すことで、少しずつその感情を乗り越えていくことができるのです。
相手の短所を理解し、その上で関係を続けることで、自分自身がより豊かな人間に成長していくのです。
◯人間を嫌いになることは少数派?
質問者さまが感じている「人間を嫌いになるのは当たり前だ」という感覚は、実は多くの人が共有している感情かもしれません。
しかし、それを口に出すことをためらう人が多いため、少数派の意見に見えることがあるのです。
多くの人が、社会的なプレッシャーや他人からの評価を気にするため、「人間を嫌いだ」とは言えないかもしれません。
しかし、実際には誰もが他人に対して苛立ちや嫌悪感を感じる瞬間があるのです。それは自然な感情であり、人間関係の中で避けられないものです。
私たちはしばしば「人間は愛されるべき存在だ」という美しい言葉のせいで苦しんでいます。現実にはその美しい言葉とは裏腹に、他人の欠点や矛盾に苛立ちを感じることもあります。
これは、人間が持つ感情の複雑さからくるものであり、決して異常なことではありません。
むしろ、そのような感情を持つからこそ、私たちは他人との関係から自分を知り、より深く考え、改善していくことができるのです。
では、ごきげんよう。さようなら。
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ぜひ、お読みください。m(_ _)m
●人間を嫌いになるのは普通?|不完全さを受け入れる視点のまとめ
今日は「人間を嫌いになるのは普通?|不完全さを受け入れる視点」と題して、人間嫌いについて考えました。
○人間を嫌いになるのは普通?|不完全さを受け入れる視点
不完全な自分を愛するように、不完全な他人のことも愛するのです。愛するといっても、手放しで愛するという能天気な愛ではなく、腹も立つし、時に殺したいほど憎いときもあるけれど、完全に見放すことはできないといった、親子の愛に近い感覚です。
嫌いというのが素直で正直な気持ちであっても、それでも気になってしまうという感じです。短所もいっぱいあるけれど、そうは言っても良いところもあるという見方です。
○不完全さが私たちを人間らしくさせている
人間は誰しも完璧ではありません。むしろ、その不完全さが私たちを人間らしくさせているとも言えるでしょう。
○人間を嫌いになることは少数派?
質問者さまが感じている「人間を嫌いになるのは当たり前だ」という感覚は、実は多くの人が共有している感情かもしれません。
しかし、それを口に出すことをためらう人が多いため、少数派の意見に見えることがあるのです。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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