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中庸について|プラス1が起これば、どこかでマイナス1が起こっている

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中庸で一番大切なことは何も変えないということだと考えています。

存在しているということは中庸によって成り立っているのです。

では、どういう見方をすると中庸なのか?

中庸は、中庸にするための考え方ではないと思います。

もともと中庸であるこの世界を正しく見るための考え方なのです。

今日は『中庸について|プラス1が起これば、どこかでマイナス1が起こっている』と題して、中庸について考えます。

 

世界一、幸せなみなさんへ

今日も読んでいただき
感謝しています。

そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。

くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。

くろちゃんは、
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くろちゃんです。

中庸について|プラス1が起これば、どこかでマイナス1が起こっている

中庸について

中庸というと、中という言葉から真ん中とか間をイメージしがちだと思います。

どちらにも偏らない中の道という解説もあります。

それもありますが、中庸のひとつの側面であろうと思います。

中庸とは全体という言葉と等しいのです。

しかし、全体では全体を説明することが出来ません。

全体性を持った生き方をしましょうと言っても伝わりにくいわけです。

もっと平たい言葉でいうと『世の中のために生きましょう』といっても、この世の中(全体)には色々な考え方の人がいて、そのどちらをも幸せにするということは、どういうことか?となるわけですね。

ですから中庸は極端な生き方をしないこと、片寄らず中正なことではありますが、それだけでは中庸の一側面を言っているに過ぎないのです。

中立的な立場に立つだけでは両方を幸せにすることは出来ないからです。

中庸とは全体という言葉と等しい

言葉でいくら理解しても実感は伴いません。

しかし、私たちの身体は中庸によって、地球上に存在していますよね。

大気圧についてはご存知の方が多いと思いますが、地上での空気の圧力は1cm2あたり10N(ニュートン)ほどだそうです。
これは、1cm2あたりに1kgの物が乗っているのと同じ状態です。
これは、10cm四方の面積であれば、100kgのものが乗っているのと同じということになります。

私たちの上には何百kgの空気が乗っかっているわけです。

ではなぜ、空気の重みで身体がつぶれないかというと、下からも同じだけの空気の圧力がかかっているからです。

じゃあなぜ、上からと下からの空気に挟まれてつぶれないかというと、体内からも同じだけの圧力で押し返しているからなんですね。

実感は伴わないかもしれませんが、ものすごい調和で私たちは地球上に存在しているわけです。

私たちだけではなくて、すべての物質がそうです。

そして何かひとつでも狂えばすべてのバランスが狂うのです。

中庸が真ん中という立場を取るというのであれば、それは前からも後ろからも、上からも下からも同じだけの圧力があるから真ん中に立っていられるわけです。

つまり、それは全体というバランスの上に成り立っている。

だから中庸とは全体という言葉と等しいといえるわけです。

プラス1が起これば、どこかでマイナス1が起こっている

さて、そうはいっても人間関係などを考えたときにバランスを欠いていると感じることがありますね。

それぞれの立場があって、お互いが自分の立場の正義があって、分かり合えないという状態はよくある光景です。

そんな状態を中庸という概念で見るとどうなるでしょうか?

中庸という概念の中で一番大事なことは何も変えないということだと思います。

AさんとBさんの間がうまくいっていない。

誰かが間に入るとか、新たなアイデアを出すことでAさんとBさんのバランスを取るというのは中庸ではありません。

先ほどの大気圧の話からも、そもそもこの世に存在しているということは中庸によってです。

それを片方だけの立場から見るから偏ってしまうだけのこと。

しかし、よくよく見れば反対からも同じだけの圧力がかかっていると気づくのが中庸です。

この世界はどこかでプラス1が起これば、どこかでマイナス1が起こるのがルールです。

私たちは、そのどちらかしか見ていないことがほとんどなのです。

プラスを見た人は『運がいい』『ついてる』『幸せだ』といい。

マイナスを見た人は『運が悪い』『ついていなかった』『不幸だ』というのです。

自分にプラスがあったときは、同じだけのマイナスを感じている他人がいます。

逆もまたしかりです。

中庸とはそれを見抜くということなのです。

中庸は怖れをなくす

僕は『ともいき』の中で、色々なお話をさせていただきます。

一生懸命にお話をさせていただくのですが、その結果伝わることもあるし、伝わらないこともあります。

しかし、伝わったから成功した、伝わらなかったから失敗したとは思いません。

以前は、自分が何かをする以上、結果が出ないと自分の力が及ばなかったと思い、それを怖れて何かをすることをためらうこともあったと思いますが、今はそれがなくなりました。

それは中庸という概念をそれまでよりも深く理解出来たからだと思います。

何かを変えることが目的ではないと気づいたのです。

深く学んだとしても物質的には何も変わりません。

ただ、見え方が変わるだけなのです。

それは僕もそうですが、伝えさせていただいたあなたもそうなのです。

今見え方が変わらなかったから失敗ではありません。

変わっても変わらなくても、あなたを取り巻く環境は何も変わりません。

いつかあなたが気づいたときに、周囲を見渡して、自分は幸せだったんだと気づく。

それでいいのだから、僕に失敗はないのです。

そうわかったので、何かをすることに怖れがなくなったというわけです。

中庸について|プラス1が起これば、どこかでマイナス1が起こっているのまとめ

今日は『中庸について|プラス1が起これば、どこかでマイナス1が起こっている』と題して、中庸について考えました。

中庸について 
中庸は極端な生き方をしないこと、片寄らず中正なことではありますが、それだけでは中庸の一側面を言っているに過ぎないのです。
中立的な立場に立つだけでは両方を幸せにすることは出来ないからです。

中庸とは全体という言葉と等しい 
中庸が真ん中という立場を取るというのであれば、それは前からも後ろからも、上からも下からも同じだけの圧力があるから真ん中に立っていられるわけです。
つまり、それは全体というバランスの上に成り立っている。
だから中庸とは全体という言葉と等しいといえるわけです。

プラス1が起これば、どこかでマイナス1が起こっている 
そもそもこの世に存在しているということは中庸によってです。
それを片方だけの立場から見るから偏ってしまうだけのこと。
しかし、よくよく見れば反対からも同じだけの圧力がかかっていると気づくのが中庸です。
この世界はどこかでプラス1が起これば、どこかでマイナス1が起こるのがルールです。
私たちは、そのどちらかしか見ていないことがほとんどなのです。

中庸は怖れをなくす 
変わっても変わらなくても、あなたを取り巻く環境は何も変わりません。
いつかあなたが気づいたときに、周囲を見渡して、自分は幸せだったんだと気づく。
それでいいのだから、僕に失敗はないのです。
そうわかったので、何かをすることに怖れがなくなったというわけです。

今日も読んでいただきありがとうございます。

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