過去の嫌な思い出とおさらばする方法
もし、過去の思い出が一切なかったら喜びもなくなりますが、苦しみも一切なくなります。
そんな都合が良いことはないかもしれませんが、過去の嫌な思い出とおさらばできれば嫌なことはなくなり、それだけで幸せになることができます。
過去に起こったことをなしには出来ませんが、思い出しても嫌な気持ちにならないようになれば随分と楽になると思います。
今日『過去の嫌な思い出とおさらばする方法』と題して、過去の嫌な思い出とおさらばする方法について考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
過去の嫌な思い出とおさらばする方法
過去の嫌な思い出とおさらばする方法
過去の嫌な出来事が、あることをきっかけに思い出されて嫌な気持ちになるということがあります。
たとえば、中村君という同級生が自分を中学時代にいじめていたとします。
中村という姓の人を見るたびに、中学時代のいじめられたときのことを思い出して嫌な気持ちになるとか。
嫌いな先輩が乗っていた車と同じ車種の車が走っているのを見ると、その先輩の嫌な顔が思い浮かぶとか。
そういうことを忘れる方法はありませんか?と質問をされました。
この質問に対してどういう解決方法をお伝えしたかを書く前に、その解決方法を導き出したプロセスについて説明したいと思います。
質問者さんの話をどう聞いたか?
解決方法を導き出したプロセスというのは、要するに質問者さんの話をどう聞いたか?という聞き方ということになります。
その聞き方とは、この質問者さんがこの話をしているときに、どんな景色を見ながら話しているのか?
つまり、『中村という姓の人を見るたびに、中学時代のいじめられたときのことを思い出して嫌な気持ちになっている』質問者さんが見ている景色を見ています。
言っていることわかりますか?
質問者さんは、『中村という姓の人を見るたびに、中学時代のいじめられたときのことを思い出して嫌な気持ちになっている』ときを思い出しながら、今お話をしているわけです。
その景色を見て、どんな思いをして今お話をしているのかを感じるということです。
僕は質問者さん当人ではないので、実際に嫌な気持ちにはなりませんが、嫌な気持ちになっているのを感じることができます。
そうすると、『そりゃ嫌だよね』と質問者さんの気持ちに共感することできます。
共感というと、あくまでも別の人格である者が、同じ感覚を共有するというイメージですが、それよりもう少しつながりが深いというか、同一感があります。同化するという言葉の方がより近い感じです。
ただ、僕は当人ではないですから、客観的にその気持を感じています。
つまり、僕の中に、質問者さんと同化している僕と、それを客観的に見ている僕がいるということです。
聞き方としてはそれだけです。
ただ、ありのままに質問者さんと同化して同じ景色を見て、同じ気持ちになる。
解決策を思いつくのはそれを客観的に見ている僕です。
注意しないといけないのは、いじめられたとか、友だちとケンカしたとか、それに近い体験が自分にもあった場合に、それと同じ体験を質問者さんがしたという錯覚をしないことです。錯覚もしてはいけないし置き換えもしてはいけません。
それはあくまでも自分の体験であって、質問者さんの体験ではないからです。
なのに、『同じ体験をしたんですね』的な気持ちになると、質問者さんの気持ちをわかった気になって気持ちの誤差が生じるからです。
誤差がゼロということはそもそもないのですが、出来るだけゼロに近づけるためにも自分の体験と質問者さんの体験をごっちゃにしないことがありのままに聞くためにはとても大切なことです。
では、同じ景色を見るとはどういうことか?というと。
いじめの体験は置き換えてはいけませんが、過去にいじめた人のことを思い出した体験は使えるわけです。
そういう体験をしたことがなかったとしても、もし、自分が今過去の嫌なことを思い出したらどんな気持ちになるか?
それは質問者さんの気持ちに近いはずです。
そこだけを使います。
そこだけを使うというよりも、それ以外を排除するという方がより近いです。
そうすることで客観的な僕が、同化している僕を見て何が問題になっているのか?を感じることが出来るのです。
感じるという言葉より分析という言葉がふさわしいと思いますが、少し乾いた印象で適当ではない気がします。
では、本題ですが、今回の場合、どんな解決策を提案したかというと。
どうしたら忘れられるか?
どうしたら忘れられるか?と考えているときは、いつもその人のことが頭にあるということをお伝えしました。
忘れたいと思えば思うほど、自分から捕まえに行っているということです。
『愛の反対は憎しみではなく無関心だ』といいます。
愛も憎しみも相手のことを思っているという意味では、同じくらいのシェアを自分の中に占めているということです。
ですから、自分の中から無くしたいのなら無関心になることです。
関心を持たないこと。
つまり、僕がお話を聞いて同化して感じたことは、忘れたいと思えば思うほど、心がそのことを掴みに行って、質問者さんの中でその人の存在が大きくなっているということです。
これは本人ではなかなか気づけないことです。
こうやって説明されれば理解できますが、ひとりではなかなか気づけません。
だから他人に聞いてもらうことが大事になります。
『あっ!!』と質問者さんが言ったときに『そうです』と言いました。それはそのことに質問者さんが気づいたからです。
ですが、その気づきについて解説しだしたので、もう辞めた方がいいですよと言いました。
それは、『あっ!!』と言った瞬間までは気づきなので仕方ないのですが、その後気づきについて話をしてしまうと、またその過去の嫌な思い出を掴んでしまうからです。
無関心になるために、まず最初にしないといけないことは、そのことについて話さないということです。
最初は意識的にです。心の中にはまだあったとしても話さないことで、だんだん心の中にあるその思い出が薄まっていきます。
そのうちに思い出しても無関心でいる自分になれていき、そうなるとそのうちに思い出さなくなります。
嫌な気持ちになると、人に聞いてもらってスッキリしたいという気持ちになることは理解できますが、それをしているといつまでも自分から掴みにいっているのと同じになります。
過去の嫌な思い出とおさらばする方法のまとめ
今日『過去の嫌な思い出とおさらばする方法』と題して、過去の嫌な思い出とおさらばする方法について考えました。
質問者さんの話をどう聞いたか?
解決方法を導き出したプロセスというのは、要するに質問者さんの話をどう聞いたか?という聞き方ということになります。
その聞き方とは、この質問者さんがこの話をしているときに、どんな景色を見ながら話しているのか?
つまり、『中村という姓の人を見るたびに、中学時代のいじめられたときのことを思い出して嫌な気持ちになっている』質問者さんが見ている景色を見ています。
どうしたら忘れられるか?
どうしたら忘れられるか?と考えているときは、いつもその人のことが頭にあるということをお伝えしました。
忘れたいと思えば思うほど、自分から捕まえに行っているということです。
『愛の反対は憎しみではなく無関心だ』といいます。
愛も憎しみも相手のことを思っているという意味では、同じくらいのシェアを自分の中に占めているということです。
ですから、自分の中から無くしたいのなら無関心になることです。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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