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自分と他人の境界線について考えてみた

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『自分と他人の境界線』という言葉を聞いて、色々なことを思う人がいるのではないでしょうか。

自分と他人の区別がつかないことで困っている人、逆に区別がありすぎて悩んでいる人。

区別が出来ない人が身近にいて困っている人。

それがいい風に作用している人。

どう捉えるかでまったく違うものになるし、人によってまったく感覚が違うものだと思います。

今日は『自分と他人の境界線について考えてみた』と題して、自分と他人の境界線について考えます。

 

世界一、幸せなみなさんへ

今日も読んでいただき
感謝しています。

そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。

くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。

くろちゃんは、
世界一幸運です。

毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。

自分と他人の境界線について

山と海の境界『恋はDeepに』

4月から始まった新ドラマ『恋はDeepに』。

石原さとみさんが海洋学者の役を演じているドラマです。

その中で『山と海は密接に関係しているんです』というセリフがあります。

山の生態系が変わると海の生態系にも影響するというのは、海や山について専門知識がなくてもなんとなくわかる気がします。

密接に関係しているというセリフを聞いた時にそうか!と気づいたことがあります。

関係しているどころか海と山は同じひとつのモノじゃないかということです。

もし海に水がなければ、海と山は地球という同じひとつの陸地です。

水があることで海と山にわけているのは人間の概念でしかありません。

海と山を分けているのは人間の頭の中だけの話しなのです。

そして本題である『自分と他人の境界線』は海と山とを区別していることと同じことなのです。

自分と他人の境界線

自分と他人の区別が海と山の区別と同じと言われても・・・。

自分は確かに、間違いなく自分としてあるし・・、と思いますよね。

海と山を分けているのは『海の水』です。

海の水があることで、海と山とを分けています。

水があるところは海、ないところは陸もしくは山ということになります。

海と山なら海の水がなくなった状態を想像できるので、なるほど、と思えるところもあると思います。

では、自分と他人の場合、何がなくなると海と山のようにひとつにつながるのでしょうか?

それは『私』とか『自分』という感覚です。

私があるから私以外があるのです。

私がいる以上、私以外はなくならないのです。

つまり、私がある以上、自分と他人の境界線は歴然とあるということになります。

言葉で言われても想像しにくいと思いますが、私という感覚が薄い人がいれば、それは濃い人に比べると境界線も薄くなりますよね。

私という感覚が海の波のように寄せては引いていくものだとしたら、私と他人の境界は実に曖昧になります。

今はここまでが私だけど次の瞬間そこまでが私になった、なんてことが起こるのです。

自分と他人の境界線が曖昧な人がいると普通の人からすれば少し変わった人ということになります。

ですが、この感覚は他人にはわからないものです。

自分は普通だと思っていても何が普通かはわかりません。

自分ではここまでは自分だと思っていても、その『ここまで』が他人と同じとは限らないのです。

所有感を持たない

私という感覚の正体は何か?というと。

それは所有感です。

私の身体とか、私の心とか、私の考えとか。

目に見えるものも見えないものも。

私のモノかそうでないか。

すべての前提にその区別があります。

そして私のモノと思えば、それは特別なモノになりますし、私のモノではないとなれば特別感が薄れます。

随分以前にお金を大量に扱う仕事をしたことがあります。

お金持ちだったわけではありません。(笑)

たとえば銀行の窓口のような仕事をイメージしてもらうといいと思うのですが、目の前には常に1000万円くらいのお札がありました。

しかし、自分のものではありません。

この時、このお金は紙切れのようなものです。

紙切れは言いすぎですかね。(笑)商品のようなものです。

お金ということはわかっていますので、もちろん捨てたり燃やしたりは出来ませんが、自分のものではありませんので、嬉しくもなんともありませんし、ドキドキもしません。

それがたとえ1枚でも自分の財布に入った瞬間に大切なモノに変わります。

それが『私のモノ』という所有感です。

所有感を持たないという教え、考えがあります。

すべては天からの預かり物だということです。

これが本当に腑に落ちるとすべての縛りから解放されると考えられます。

なぜなら、得ることも失うこともなくなるからです。

そうなると不安も恐れもありませんし、何かを達成しようとか、成功しようという考えも起きません。

何をしても自分のモノにはなりませんし、見方を変えるとすべてが自分のモノだからです。

ないということもありませんし、たくさんあるということもありません。

必要なモノが必要な量だけあります。

お金も食べ物も住まいも人間関係もです。

このことを頭で理解するのではなくて、心から・・・。

心も私の所有物のひとつですから、『心から』という表現も正しくないと思うのですが、言葉では表すことには限界がありますので、心という言葉を使います。

心から理解することを昔から人は悟りとか目覚めといったのだと思います。

自分と他人の境界線について考えてみたのまとめ

今日は『自分と他人の境界線について考えてみた』と題して、自分と他人の境界線について考えました。

山と海の境界『恋はDeepに』 
もし海に水がなければ、海と山は地球という同じひとつの陸地です。
水があることで海と山にわけているのは人間の概念でしかありません。

自分と他人の境界線 
自分と他人の場合、何がなくなると海と山のようにひとつにつながるのでしょうか?
それは『私』とか『自分』という感覚です。私があるから私以外があるのです。

所有感を持たない 
私のモノと思えば、それは特別なモノになりますし、私のモノではないとなれば特別感が薄れます。

今日も読んでいただきありがとうございます。

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