人と関わる意味|不自由が生む本物の自由

誰かと関わると心が疲れ、一人のほうが楽だと感じる瞬間は誰にでもあります。
しかし、人との間に生まれるストレスこそが、実は一人の時間の素晴らしさを際立たせるスパイスになります。
また、目に見えない多くの人の支えによって日々の生活が成り立っていることに気づくと、世界の見え方は大きく変わります。
心の重荷を少しだけ軽くして、人間関係という複雑な仕組みの中にある本当の豊かさを探っていきましょう。
今日は「人と関わる意味|不自由が生む本物の自由」と題して、人と関わる意味について考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
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くろちゃんは、
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●自由とは【ドラマの名言で哲学する】#コタツがない家 「深掘悠作が自由の本質を語る」
●人と関わる意味|不自由が生む本物の自由
○人と関わる意味|不自由が生む本物の自由
人と関わっていい事ってありますか?ストレス溜まるだけだと思います。
yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12325693972)
※質問は原文ママです。
みなさん、ごきげんよう。今日もよろしくお願いします。
おっしゃる通り、人と関わることは多くのストレスとコストがかかるものです。
誰かと時間を共有するためには、自分の大切な時間を削らなければなりませんし、食事や交際にお金もかかります。何より、相手の言葉や態度に一喜一憂し、心が疲弊してしまうことは、現代社会において避けては通れない課題です。
しかし、そのストレスやコストがあるからこそ、私たちは一人の時間の自由さを、心から実感できる側面があります。
たとえば、一日中誰とも言葉を交わさずに過ごした後に感じる静寂と、大勢の中でもみくちゃにされた後に帰宅して感じる静寂では、その深みが全く異なります。
他者が存在し、自分を制限する刺激があるからこそ、そこから解放された瞬間の「自分だけの時間」が、かけがえのない輝きを放つのです。
もし世界に自分一人しかいなければ、その自由は空気のような当たり前の存在になり、自由であることの喜びさえ感じられなくなるかもしれません。
また、人と関わることは、自分一人では決して気づけない「自分の輪郭」を知る作業でもあります。
一人でいるとき、私たちは自分を万能だと錯覚したり、逆に不必要に卑下したりしがちです。しかし、他者との摩擦を通じて、自分の得意なこと、苦手なこと、あるいは譲れない価値観が浮き彫りになっていきます。
一人の寂しさを知ることも、一人では成し遂げられない大きな感動を誰かと分かち合う喜びを知ることも、すべては対人関係という「不自由」の入り口を通過した先に待っている報酬です。
どちらが良いか悪いかという二元論ではなく、両方の状態を行き来することで、人生の質は高まっていくのではないでしょうか。
ストレスという負荷は、心がより豊かな自由を感じるための「準備運動」のようなものと捉えることができます。
◯不自由から解き放たれる瞬間のエネルギー
2023年の秋に放送されたドラマ「コタツがない家」の中で、小池栄子さん演じる深堀万里江の夫、悠作が語った言葉に、自由の本質を突いた名言があります。
彼は「若い頃って、何にも縛られてない時間を自由って思いがちだけど、違うよ。時間の制約がある中で、たまに訪れる解放感のことを自由って言うんだよ」と語りました。この言葉は、人間関係に疲れを感じているすべての大人の心に深く響く真理を含んでいます。
人間関係は、確かに私たちの自由を奪い、ストレスを生む大きな要因になります。
心理学者アドラーが「すべての悩みは対人関係の悩みである」と断言したように、私たちが感じる不快感の多くは、他者との関わりから生じます。
しかし、もし全く誰にも縛られない、24時間365日が完全に自由な環境に置かれたとしたら、人はその状態を「自由」ではなく「虚無」や「退屈」と呼ぶようになるのではないでしょうか。
学校や職場、家庭といった場所で、自分の思い通りにならない時間があるからこそ、たまに訪れるコーヒー一杯のひとときや、誰にも邪魔されない休日が、最高のご馳走に変わるのです。
たとえば、重い荷物を持って歩いた後に、その荷物を下ろした瞬間の体の軽さを想像してみてください。あの解放感は、重い荷物を持っていたという「制約」があったからこそ味わえる快感です。
人間関係のストレスもこれと同じです。他人との調整、気遣い、時には衝突といった重荷を背負って社会を歩いているからこそ、一人の時間の価値が最大化されます。
私たちが求めているのは、実は「何もない空虚な自由」ではなく、「不自由から解き放たれる瞬間のエネルギー」なのかもしれません。
◯人は一人では生きていけない
そして、忘れてはならないのが、人は決して一人では生きていけないという事実です。
私たちの生活は、目に見えない無数の人々との関わりによって成り立っています。
ここで「バーチャルウォーター(仮想水)」という概念を例に挙げて考えてみましょう。おにぎり一個を作るために、お米の栽培から計算すると、実に270リットルもの水が必要だと言われています。おにぎりそのものに含まれる水分はわずかですが、その背景には膨大な水が使われており、それを管理する人々が存在します。
おにぎりに必要なのは水だけではありません。広大な田んぼで泥にまみれてお米を作る人、収穫した米を精米し、袋に詰めて運ぶドライバー、それを店頭に並べて販売する店員、そしておにぎりを握って商品にする調理担当者。一つの小さなおにぎりの背後には、想像もつかないほど多くの人の労働と、それぞれの人生があります。
私たちが朝乗る電車も、夜道を照らす街灯も、今手にしているスマートフォンも、すべては見知らぬ誰かが、誰かの役に立つために働いた結果として存在しています。
このように、すべてのモノやサービスは、たくさんの人の関わりの連鎖によって届けられています。
そして、その人たちの後ろにも、さらに多くの家族や関係者が存在します。
すべての人が他者の喜びや利便性のために自分の時間と労力を提供し、その対価として報酬を得て、自分たちの生活を営んでいます。この循環こそが社会の正体であり、私たちが享受している豊かさの源泉です。
確かに、直接的な人間関係はストレスを生みます。
しかし、そのストレスを伴う「仕事」や「役割」を誰かが果たしてくれているからこそ、私たちは今日を無事に過ごすことができています。
自分自身が誰かのためにストレスを感じながら働くことも、回り回って誰かの幸せを支える一部になっているのです。
今日も読んでいただきありがとうございます。
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