昔の心を取り戻す|今を生きる大人の処方箋

「子どもの頃はあんなに毎日がキラキラしていたのに、今はどうして不安ばかりなんだろう?」そう思うことはありませんか?
大人は将来のことを考えるのが当たり前。だから、不安になるのは自分が悪いわけではありません。
でも、誰かに負けたくないという気持ちで心がトゲトゲしてしまうと、せっかくの「今」が台無しになります。
忙しい毎日の中でも、あの日みたいな自由な心を取り戻すコツをお話しします。
今日は「昔の心を取り戻す|今を生きる大人の処方箋」と題して、昔の心を取り戻すについて考えます。
世界一、幸せなみなさんへ
今日も読んでいただき
感謝しています。
そして、
幸せでいてくれて
ありがとうございます。
くろちゃんも、
いつも幸せを感じています。
くろちゃんは、
世界一幸運です。
毎日、
奇跡を感じている
くろちゃんです。
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●昔の心を取り戻す|今を生きる大人の処方箋
○昔の心を取り戻す|今を生きる大人の処方箋
昔の様な気持ちを取り戻すには?
子供の頃は何にもなかったけど、心までは貧しくなかった気がします
yahoo知恵袋(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12323545517)
※質問は原文ママです。
みなさん、ごきげんよう。今日もよろしくお願いします。
子どもは今を生きています。
今、目の前にある楽しいことに夢中になれます。 ところが、大人になるとそうはいきません。
今、目の前が楽しいだけでは不安になるのです。これが永遠に続かないと思うからです。その心が貧しいのです。
たとえ、目の前に美味しいご飯があっても、楽しい遊びがあっても、心から楽しめる時間は少ない。いつまでも楽しんでいたら、誰かはわからないけど置いていかれたり、出し抜かれたりすると思っているからです。
誰よりも先に自分が奪わなければ、誰かに奪われてしまうという目に見えない怖れをいつも抱えているからです。だから、心が貧しいのです。
この「心の貧しさ」の正体は、私たちが社会という荒波の中で身につけてしまった、過剰な自衛本能に他なりません。
子どもの頃、道端に咲く花を眺めて何時間も過ごせたのは、その瞬間の後にやってくる「責任」や「評価」を計算に入れる必要がなかったからです。
しかし大人は、花を愛でている最中ですら、スマホの通知を気にし、明日の仕事の段取りを考え、周囲の人間と自分を比較して勝手に焦燥感を募らせます。
本来、豊かさとは物質的な所有量ではなく、対象に没入できる「心の余白」の広さを指すはずです。
しかし、現代社会を生きる私たちは、その余白を将来への備えや他人への警戒心で埋め尽くしてしまいました。空腹を満たすための食事が、いつの間にか「効率的な栄養摂取」や「SNSでの自己誇示」に形を変え、純粋に味わうという行為が置き去りにされています。
この焦燥感は、皮肉にも私たちが必死に守ろうとしている「生活」そのものを侵食していきます。
豊かになるために必死に走り続け、ふと立ち止まったときに感じるのは、かつて持っていたはずの、胸が熱くなるような純粋な喜びの欠落です。
何もないはずなのに満たされていたあの日々と、すべてを手にしているはずなのにどこか虚ろな今日。
その決定的な違いは、私たちが「今」という瞬間を、次の目的のための単なる「通過点」として扱ってしまっているところにあるのです。
◯課題を分けて考える
この問題を永遠に解決することは難しいです。解決することが永遠に難しいのではなく、心が貧しくない状態を永遠に”維持”することは難しいという意味です。
なぜなら、それは永遠に子どものままでいるようなものだからです。
つまり、将来のことを考えてしまうのは、生きている以上自然なことで、将来のことを考えて今を楽しめないのは、生きている以上「当たり前」のことなのです。
ですから、そう思うことは心が貧しいわけではないのです。 それ自体は仕方がありません。
しかし、放置してはいけないことがあります。
それは将来のことを考えて今、目の前のことを楽しめないことを「心が貧しい」と思って心が消極的になっていることです。
誰かに置いていかれたり、出し抜かれたくない。誰かに奪われる前に自分が奪わなければならない。
そういう気持ちになることが「心が貧しい」のであって、焦ることや不安になること自体は”自然”なことです。
この2つの課題を分けて考えてください。
多くの人は、不安を感じることそのものを「悪」だと捉えます。しかし、リスクを予測し、生存を確保しようとする生存本能を否定することはできません。問題は、その本能が暴走し、他者を敵と見なし、自分を孤独な競争の中に追い込んでしまうことにあります。
不安を感じる自分を責める必要はありませんが、その不安から逃れるために「誰かを蹴落とそう」とする心の貧しさには自覚的であるべきです。
もし、「最近、心が枯れているな」と感じているなら、それはあなたが真面目に、そして一生懸命に自分の人生を、あるいは大切な人の未来を守ろうとしている証拠でもあります。その責任感は決して恥じるべきものではありません。
ただ、その責任感が強すぎるあまり、心が「戦闘モード」に固定されてしまっているだけなのです。
◯意識的に「今ここ」に戻る努力
ほんのひと時でも、今目の前のことに一生懸命に生きてください。
その時間だけは、懐かしい気持ちを取り戻せると思います。
しかし、それだけでは現実は立ち行かなくなるでしょう。
現実に戻ってしまっても、懐かしい気持ちを取り戻したいと思ったときは、また今に戻ってくればいいのです。
「昔のような気持ちを取り戻す」というのは、過去にタイムスリップすることではありません。
今、この瞬間に流れている空気の冷たさや、コーヒーの温かさ、隣にいる人の声の響きに、全神経を集中させるトレーニングのことです。かつて私たちは、努力せずともそれができていました。しかし今は、意識的に「今ここ」に戻る努力をしなければなりません。
たとえば、食事の最初の一口だけは、スマホを置いて、味の繊細な変化だけに没頭してみる。あるいは、帰り道に吹く風が肌を撫でる感覚を、ただ観察してみる。そんな数秒から数分の「今」の集積が、やがて貧しくなった心を潤してくれます。
もちろん、そんな時間を持ったとしても、次の瞬間にはまた支払いの悩みや、誰かとの比較が頭をもたげるかもしれません。それでいいのです。
現実世界で生きていくためには現実から目を背けてはいけません。しかし、一日中ずっと未来のことばかり憂いている必要はないはずです。
あの頃の心を取り戻したいと願う心は、ただ、日々の忙しさと防衛本能の影に隠れているだけです。懐かしさとは、単なる感傷ではなく、本来の自分との再会の予感です。「今」に帰る場所を自分の中に持っている限り、心が完全に貧しくなることはありません。
明日からは、少しだけ「無駄な時間」を自分に許してみてください。結果が出なくてもいい、誰にも評価されなくてもいい、ただ自分が今ここに存在していることを実感できる時間を。その積み重ねの先に、心が探し求めていた「あの頃の景色」が、今この場所にも広がっていることに気づくはずです。
今日も読んでいただきありがとうございます。
では、ごきげんよう。さようなら。
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